安心して「ただいま」と言える場所をつくる。 街の作り手を増やし、日立の街をもっと元気に。

茨城県日立市にUターン後、「Tadaima Coffee(ただいまコーヒー)」を立ち上げ、オリジナルブレンドコーヒーの製造と販売を行う和田さん。自分の生き方の答えを求めて、地元を飛び出した和田さんが、「ただいま」という言葉に込める想いとは。お話を伺いました。

和田 昂憲

わだ たかのり|自家焙煎コーヒー豆の販売店オーナー
茨城県日立市にUターンし、オリジナルブレンドコーヒーの製造と販売を行う「Tadaima Coffee(ただいまコーヒー)」を運営する。

いつかコーヒーのお店を開きたい


茨城県日立市で生まれました。小さい頃から、ご飯や飲み物を作ったり、友達とままごとで遊ぶのが大好きでした。家にコーヒーミルが置いてあり、自分で豆を挽いてコーヒーを淹れていました。苦くておいしいとは思いませんでしたが、大人っぽい雰囲気に惹かれていたんです。

コーヒーの他には、サッカーが好きでした。体が大きくて運動は得意でした。勉強もできたので、クラスの人気者でしたね。子どもだったこともあり、まるで自分がスーパースターになったかのような気分でした。

ところが、中学生になり、みんなの関心が音楽やテレビ、漫画などに移ると、注目されなくなりました。それまでチヤホヤされていた分、急に人が離れていくように感じて、強い不安に襲われました。みんなに好かれようと、テレビを観まくって話題についていこうとしたり、八方美人に振る舞ったり。友達付き合いはうまくやっていましたが、常に人目を気にして気を遣っていましたし、人と深いところで繋がれない感覚がありました。

中学時代は、喫茶店通いにはまりました。近所のダイニングバーのオーナーに、自分の店を持つにはどうしたらいいのか、しょっちゅう聞いていましたね。学校をさぼっては、いろんな純喫茶に通いました。お店独特の世界観を楽しみながら、いつか僕もこんなお店を出したいと思うようになりました。

高校でもサッカーを続けていたのですが、怪我に悩まされました。一軍に上がった途端に靭帯を痛める大怪我をして、3カ月休むことになったんです。さらに、復帰後の試合では剥離骨折。さすがにサッカーをやめようと思いましたが、「苦しい中でも何かできることをしよう」と気持ちを切り替え、体づくりに打ち込みました。

それが功を奏して、プレーでは当たり負けをしなくなり、ボールをキープできるようになりました。監督に褒められたときは嬉しかったですね。苦しいときでもポジティブでいれば、結果が出るとわかりました。

高校卒業後は、地元を出て都会の大学に進もうと考えていました。日立は急速に過疎化が進んでいて、こんな寂れた街に面白いことなんて何もないと思ったんです。もっと広い世界に出てから自分の生き方を決めたい。海外にも行きたい。そう考えて、国際系の学部を中心に、東京や関西の大学を志望しました。

自分の軸や想いを言語化する


第一志望だった東京の大学には合格できず、一浪の末、京都の大学に進学しました。大学では、自分の可能性を広げるため、アンテナを広く張って、いろんな人に会いました。海外インターンシップに参加したり、様々なバイトを経験したり、イベントにも足を運びました。

京都での生活を楽しむ一方で、地元に帰るたび、街が急激に寂れていることを実感しました。商店街の店はどんどん潰れ、街に活気はありません。まだ残っているお店の人からは、「戻ったって仕事はないから、外で就職するんだよ」と寂しい表情で言われるんです。これは本当にまずい状況なんだと思いました。

若い世代も全然元気がなくて、街全体に諦めムードが漂っていました。このまま衰退が進めば、生まれ育った街の風景や思い出は消えてしまう。そう思うと、すごく寂しくなりました。

地元をなんとかしたい。子どもの頃からずっとやりたかった飲食の事業で、地域に貢献することはできないか。地元に貢献する方法を探し、地域復興や着地型観光ビジネスの勉強会に参加するようになりました。

就職活動も、地元に貢献できる仕事を軸に置き、不動産ディベロッパーや飲食企業を中心に見ました。その中で、あるインターンシップに参加した時、とても刺激的な経営者と出会いました。

彼は、とにかく自分の人生と徹底的に向き合っている人でした。何のために仕事をするのか、どういう人生を生きたいか、自分のお墓になんと刻まれたいか、周りからどんな人として見られたいかなど、自分が歩みたい人生をはっきりと示すんです。

その姿を間近で見て、事業家ってかっこいいと思いましたね。それと同時に、僕ももっと真剣に生きなくちゃと思いました。それまでは自信がなくて自分の想いを表に出していませんでしたが、自分の軸や想いを言葉にして、周囲に示さなければと。要は、自分のミッションに沿った生き方をしたいと思ったんですね。

成長を急ぎすぎた代償


いくつかの企業から内定をもらった中で、最終的にはレストランやホテル事業を運営するベンチャー企業に就職しました。ベンチャーなら早く成長できると考えたんです。

3年くらいでやめて、地元に貢献できる事業を立ち上げようと考えていたので、とにかく必死に働きました。大手を蹴ってまでベンチャーに入ったので、早く結果を出して出世しなければ意味がないと思っていました。

しかし、から回って結果は出ないし、体を壊してしまいました。仕事中に頭痛や吐き気に襲われ、朝は無気力状態で起き上がれないんです。病院では軽いうつだと言われました。

それに、自分のことだけを考えて、他人を利用しようとしている自分に気づいてしまいました。例えば、同期でイベントをやるときなど、自分が主催者になって地位を上げようとか考えてしまうんです。そんな自分に対して「何やってるんだろう、俺」と、嫌気がしました。

そのままの状態で働き続けることは無理だと思い、3ヶ月で会社をやめることにしました。

不安はありませんでした。むしろ、ちょっと自分を追い込んでやろうと思っていましたね。日本社会で新卒ってかなり貴重じゃないですか。それを捨ててまでやりたいことに熱意を持って向き合えるのか、自分を試したくなったんです。

それに、苦しくても、壁を乗り越えられる自信もありました。サッカー部で怪我をしたときも、大学受験で志望校全部に落ちたときも、最後まで諦めずにやり続けたらいい結果が出たので、今回もなんとかなるだろうと考えていました。

会社をやめてからは、スローライフ的な生活をすることにしました。それまでは毎日、目標やその日にやることを決めるタイプだったので、そういうのを全部やめてみようと思ったんです。その日に楽しいと思うことをしながら、これからのことを考えようと。それで、沖縄の小浜島のリゾートホテルで、仕事をしながら暮らすことにしました。

ただ、家族や友人には、引け目を感じていました。「会社をやめてしまったダメな奴だ」と思われるんだろうなと。

ところが、帰省してみると、家族も友人もこれまでと変わらずに受け入れてくれたんです。自分がどんな状態になっても、家族や友人との関係は変わらないこと、自分にはいつでも「ただいま」と帰ってこれる場所があるんだとわかって、自分の存在が肯定された気がしました。いつか、こんな風に安心できる場所をつくりたいと思いましたね。

人のために生きれば自分に返ってくる


沖縄では、三味線を弾いたり、飲みに行ったり、ゆっくりと過ごしました。それでも、ホテルでの仕事はしっかりやりました。「自分はできる人間だ」というプライドを捨てて、「できない自分」を受け止めて、一から学び直す気持ちでした。できないなりに貢献しようと思い、人が嫌がることを率先してやったり、頼まれた仕事を全力でやったりするうちに、自分の成長ではなくチームを意識できるようになりましたね。

ただ、数ヶ月もすると、同じことを繰り返す生活に物足りなさを感じ始めました。やっぱり、目標や使命感を持って生きたいと感じたんです。地元に戻り、幼い頃から好きだったコーヒーを使って何かをやりたいと考え始めました。

そんなとき、公務員をやめて自家焙煎のコーヒー販売を始めた人がいると、インターネットの記事で見ました。「人のために生きることが自分に返ってくる」という信念を貫いていることに、感銘を受けました。自分のためじゃなくて、人のために動いて喜んでもらえたことが、はじめて自分の幸せに繋がる。その考えが、僕には強く響きました。

その人のもとでコーヒービジネスを学びながら働きたい。その想いを手紙に書き、愛知県まで会いに行った結果、働かせてもらうことになりました。

新しい職場では、自分と徹底的に向き合う大切さを学びました。頑張ろうとしてついついペースを上げてしまいがちなのを、オーナーは優しく止めてくれます。決して急ぎ過ぎず、自分の心の動きを感じて、それを言語化することが一番大事だと気づかされました。

また、コーヒービジネスは好きなだけでは不十分で、関係するすべての人の幸せに貢献できなければならないと分かりました。生産者に適切な対価を払って仕入れて、適切な価格で消費者に届けることによって、両者を幸せにする。その橋渡しの役割があることを教わったんです。

3、4年は働こうと思っていましたが、2年程した頃、独立することに決めました。茨城に経営大学院の分校ができたり、知事が変わるということで、地元で事業を立ち上げるチャンスが巡ってきたと直感したんです。オーナーも挑戦を応援してくれました。

それで、茨城県のビジネスコンテストに出ました。コーヒーを中心に地元と連携して、街の活性化に繋げたいという内容で発表しました。すると、賞をもらうことができました。これならいけると確信して、地元に戻りました。

その後は、コーヒー豆の選び方や淹れ方など迷っている人にアドバイスをしたり、地元の人を巻き込んでお店の内装を整えたり、1年間の準備をして、自分のお店を立ち上げました。

「ただいま」と言える場所を目指して


僕が立ち上げた「Tadaima Coffee(ただいまコーヒー)」では、オリジナルブレンドコーヒーの製造と販売を行っています。コンセプトは「ただいま」と言える場所を作ることです。

「ただいま」には、「帰ってきたときの挨拶」と「今、この瞬間」という二つの意味があると考えています。僕のように地元を出た人も安心して帰ってこられる場所、人が集まり繋がる場所を大切に作り上げていきたいと思い、この名前をつけました。

人口が減り続けている日立の街が、再び活気を取り戻すためには、住民一人ひとりが主役となって、「街の作り手」として街づくりに関わることが重要だと思います。そのために、コーヒーを通して、人が集まりコミュニティが広がる仕掛けをつくろうとしています。

お店では、大きな丸いテーブルを囲って、知らない人同士でも会話しやすいようにしたり、本棚にお客さんのオススメの本を置いて紹介したり、コミュニケーションを生むデザインにしています。また、地域でコーヒー教室を開催したり、イベントでコーヒーを提供したりと、地域のコミュニティに対して、自分ができることから一つずつ取り込んでいます。

活動を始めてみると、日立を元気にしたいという想いに共感して、協力してくれる人がたくさんいるとわかりました。今後は、日立を想い活動する人や全国で活躍する仲間たちと協働して、様々なプロジェクトを展開したいですね。

いつか、「Tadaima Coffee」で手がけた商品が、日立の名産品として全国に出回ったら嬉しいです。また、豆を生産する海外のコーヒー農園をPRする企画も打ち出していければと思います。今後も地域の人々や出会うことのできた人々との関係を大切に、一歩ずつ活動の規模を拡げていきたいです。

また、長期的には「ただいま」というコンセプトを、困難な状況にいる子どもたちにまで届けたいと考えています。僕が今こうして活動できるのは、ありのままの僕を受け入れてくれる家族や友人が待つ場所があるからです。一方で、生まれた時から施設をたらい回しにされたり、虐待されて育つと、自尊心が低くて、自分を抑えてしまうようになる子も多いんです。最終的には、そういう子どもに貢献して、彼らが「ただいま」と言える場所をつくりたいんです。

大きな社会課題ですが、自分の個性と周りの個性を絡めながらやっていければと思います。

2018.03.29

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