「こうあるべき」にとらわれず、 スキなことを全部やりたい女性のために。

2人の子どもを育てながら企業の女性活躍推進を支援する事業を行う髙野さん。セミナーや講演を行うかたわら、働く女性のためのWebメディア「Woo!」を運営しています。働く女性がもっと自由に生きていける社会を目指す背景にはどんな経験があったのか、お話を伺います。

髙野 美菜子

こうの みなこ|株式会社ナチュラルリンク代表
働く女性のお悩み解決サイト「Woo!」を運営する株式会社ナチュラルリンクの代表取締役を務める。

両親の期待に応えたい


京都府京都市伏見区で生まれました。父親は大手企業に新卒から勤め上げ、母親は音大出身。二つ年上の兄がいます。母の影響で3歳からピアノを習い始め、「将来は音大に行って、お嫁さんになるんだよ」と言われて育ちました。

小さい頃から、いわゆる「いい子」でしたね。兄が塾に通っていたのですが、両親が兄の勉強を熱心にサポートする様子を見て、私は両親に負担をかけないようにしなければと考えるようになりました。なるべく両親に心配をかけないように、常に顔色を見ていました。真面目に勉強し、小学校の成績はいつもオール5でしたね。

中学、高校はピアノ中心の生活でした。毎日まっすぐ家に帰って練習をして、規模は小さいけど、毎年必ず発表会に出演していました。「ピアノが大好き!」というわけではなかったのですが、両親に褒められたい一心でした。高校に入ってからもそんな生活は変わらず、部活に入らないで放課後はすぐに帰宅。音感をつけるために声楽のレッスンにも通いました。

高校3年生の春、進路を決めるの3者面談がありました。元々、ピアノ中心の生活でしたが、真面目に勉強していたので、成績は良かったんです。担任の先生から進路について「勉強で進学するかピアノで進学するか決める最後のチャンスだ」と言われました。実は担任もピアノをしていたのですが、途中で挫折して学校の先生になった過去がありました。だからこそ、業界の厳しさを知っていて、本気で私の進路について考えてくれていたんです。

「本当にピアノを選んでいいんだね?」と言われて、ふと思ったんです。このままピアノの道を選んだら、大学に入ってもアルバイトもできなくて、またまっすぐ家に帰ってピアノを弾くことになる。四年間地獄じゃないか、そんなの嫌だって。その時初めて自分の気持ちに気づいて、咄嗟に「勉強で行きます」と言いました。急に反抗期が始まったような感じで、親はびっくりしてましたね。

家に帰って相談すると、父親は賛成してくれましたが、母親は「毎週のレッスン通いの送り迎えや、かかった時間やお金を考えると、この15年間は一体なんだったんだ」と落胆していました。それでも、気持ちは変わりませんでした。親とぶつかることを急に厭わなくなったんです。最終的に、大学でもピアノを続けることを条件に、地元の私大を選びました。昔からなんとなく英語が好きだったので、国際金融という分野がある商学部に進みました。

これまでとは違う世界を見てみたい


大学に入ると、これまでの反動から真面目と言われることにコンプレックスを感じるようになりました。そこで、髪の毛を金に染めてパーマをかけて、比較的ノリが軽かったテニスサークルに入ることにしたんです。

ただ、中身は変わらないので、すぐに周りのノリについていけなくなり、顔を出さなくなりました。大学の勉強自体にもあまり興味が持てず、めんどくさいなと思いながら毎日通っていましたね。

そんな中で興味があったのは海外旅行や留学でした。バイトでお金を貯めて、オーストラリア、USA、カナダ、フランス、インドネシアなど、とにかくその時に安い旅費で行ける場所に手当たり次第に行きましたね。これまで自分が狭い視野で生きていた反動からか、知らない世界を体験するのがすごく楽しかったです。自分の価値観が広がりました。

三回生になって就活が始まり、そこで初めて就職を意識して焦り始めました。周りを見渡すと、みんなどこかのサークルで部長をしていたり、インターンに行ったりしている。そんな状況を私は全然知らなかったんです。

他の人と同じような就活をしても受からないと思い、とにかく数をこなそうと考えました。そこで100社近くの会社にエントリー。しかし、1年近く経っても内定は0。結局、話すこともないので、その場で取り繕った自己アピールばかりしてました。就活の情報サイトに載っているようなありきたりな自己アピールをしたり、本当は違うのにボランティアが好きですと言ったり、思ってもないことを喋っていました。

ゼミに行くと「お前はどこに内定もらったんだ?」とか「俺が内定をもらった会社、福利厚生がこんな感じやけど、お前んとこの会社は?」みたいな会話をしていました。でも、私は一社も内定を持ってなかった。絶対私の方が数を当たって、努力をしたはずなのに、とめっちゃ悔しくなりました。その時、「いつか見てろ。5年10年経った時にあいつめっちゃすごいことなってるやんて言わせてやる」と燃えました。そしてたった一社、残っていた最終面接を迎えました。

取り繕った自己アピールではどうにもならなかったので、これはもう、素で行くしかないと思いました。面接官からの質問で、入社後、「どのような仕事をやってみたいですか?」と聞かれましたが、「わかりません」と答えました。さんざん自己分析をしたけど、何がやりたいか全然わからなくて、焦っていて、でも成長したい。周りの友達に5年10年経った時、あいつすごいことなってるって言われたい。だからどんな仕事でも、頑張ります、みたいことを泣きそうになりながら話しました。その結果、なんとか内定をもらうことができました。

営業売上0からトップセールスへ


入社したのは、主に中小企業に対して研修・コンサルティングを行う会社でした。配属当初、私はとにかく何をやってもうまくいかない、ダメな社員でした。細かい作業が苦手で書類一つ満足に作れず、人見知りでコミュニケーションもうまくとれない。挙げ句の果てには歩き方すら注意されてしまうようなありさまでした。毎日打ちひしがれていて、私はやっぱりダメな人間なんだなと凹みましたね。

上司からは「お前に事務作業は無理だから営業しかないぞ」と言われ、渋々営業として研修を受けることになりました。その会社では、上司を相手にしたロールプレイでOKをもらえれば営業として独り立ちできます。しかし私は、なかなかOKがもらえず、最終的に仕事が始まってしまう制約上「合格したことにしたるわ」と言われ、研修を終えました。

そんな背景もあり、自分の営業スキルに自信がなく、不安でいっぱい。客先の会社のインターホンを押す時に吐き気を感じるほどでした。一方で、多くの会社の社長さんに直接会ってプレゼンするうちに、社長って面白そうだなという気づきもありました。社内の飲みの席でも「いつか社長になりたい」と話していましたね。

ただ、成績は全く伸びず、入社1年目は売り上げが0の月も多々ありました。定期的に開かれる営業会議で、売り上げが上がらない原因を聞かれて、既存顧客の少ない田舎の地域を担当していた私は「私かって頑張ってるし、いい地域担当したら私でも出来ますし」と言ったんです。すると上司に激怒されました。「できるやつはどこでもできるんや!言い訳して結果を出さないようなやつに売り上げの要となる地域を任せられるわけないやろうが!たとえ他の地域を担当しても必ず言い訳をする。まずは与えられた環境で精一杯やってみろ」って。

他にも、私が社長になりたいと言っていることが上司の耳にも入っていたらしく、「この会社で役に立てない奴が世の中の役に立てるわけがないやろ」と言われました。

そこで、本当にこのままではダメだなと感じました。小さい頃から褒められて育ったので、そんなに叱られたことがなかったんですよね。さすがにこのままではまずいと思いました。どうするか考えた結果、営業成績で社内1位をとることを上司と約束したんです。

その時以来、何かかわった感覚がありました。逃げ腰で環境のせいにしていたところから、どうやったらアポが取れるか、次に繋がる面会ができるか、すごく工夫するようになったんです。

捉え方が変わると、途端に仕事が面白くなりました。どうすれば一番になれるか常に考え、そのための工夫の一つとして、一位だった憧れの先輩女性社員の真似をするということにしたんです。その先輩は、定時に帰りながら、売り上げはいつも圧倒的にトップ。何より、仕事が誰よりも楽しそうでした。

まず形からと、先輩と同じ手帳やペンを買って、話し方や笑い方を真似して。営業に同行させてもらい、お客様との商談の様子や移動時間の使い方までそばでじっくり観察しました。

徹底的に真似した結果、営業成績はぐんぐん上がり社内で2番になりました。あとは真似してきた先輩を抜かなければならない。先輩から、私との違いは社内の応援者の多さだと教えてもらいました。そこで、何か少しでも相手にとってプラスになる仕事をしようと心がけました。

結果的に、社内でみんなが応援してくれるようになって、トップの賞をとることができたんです。今まで自分で決めて達成した経験がなかったので、すごい達成感でしたね。ピアノも途中でやめちゃったし、入りたいゼミにも入れなかった、私は結局やっても無理やと思っていたのが、トップを取れたことで、すごい自信になりました。


人の縁に支えられ、独立へ


営業トップになってからは、頑張らなくても一定の成果が出せるようになりました。ありがたいことに、お客さんから継続的に紹介してもらえる仕組みができたんです。ところが、そんな状況が続くと、なんだか自分がこれまでのような成長をしていないことに不安を感じるようになりました。この先私はどうするんだろう、ともやもやを抱えていました。

そんな時、とある商談中に、相手の社長から「君は将来のビジョンは何かあるの?」と質問されました。とっさに昔言っていたことを思い出し、「社長になりたいと思っています」と答えました。続けて、「そのためにどんな準備してるの?」と聞かれ、なにもしてないと言うと、すごく怒られました。「そんなこと、軽々しく言うな。今この瞬間、起業するのかしないのか決めろ」と言われ、思わず「やります!1年以内に起業します!」と答えました。

そこからはことあるごとに社長同士の集まりに呼ばれるようになり、「この子、1年以内に起業するんだってよ」と他の会社の社長に紹介され、あとに引けない状況になりました。

ここまでしてもらって、起業しないわけにはいかないと思い、辞める相談を専務にしました。上司にしても、絶対に止められることがわかっていたからです。しかし、結局何も見えてない今のままでは無理だと止められ、仕事を続けながら起業の準備を進めることになりました。

まずは自己分析。社会人になって初めて自分自身と向き合い、ノートにすると30冊くらい自分について書きました。女性のための起業塾に通ったりもしました。また、退職した元同期に電話して「起業しようと思って準備してるんだけど、一緒にやらない?」と声をかけると、その場で「やる!」と言われました。

誘ったくせに、まさか即決されるとは思ってなくて、「まだ何をやるか決まってへんで」と言ったのですが、「みなちゃんとやったらやる!」と返されました。また、「うちら中小企業しか知らんから大手に転職するわ」と言われ、大手の人事部に1年契約の派遣として就職しちゃったんですよ。やばい、人生を変えちゃったと思って、これは本気で何をやるのか考えないといけないなと思いました。

そこで、どんなサービスが求められているのか考えた時、あらゆる企業が共通して抱える悩みがありました。それは、優秀な女性社員が結婚や出産で会社を辞めてしまうということ です。会社は復帰して欲しいのに、女性からするとロールモデルがいないので諦めてしまう。その会社と女性社員との間にあるギャップを埋めることができれば、ものすごく価値のあることなんじゃないかと考え、当時まだそんな言葉はなかったですが、「企業の女性活躍推進サポート事業」を行っていこうと決めました。反対していた上司も応援してくれるようになり、27歳で独立を果たしました。

働く女性をHAPPYに


立ち上げ当初は、必要な機材を買ったり、HPを作ったりとお金のかかることばかりで貯金がどんどん減っていきました。そんななか、なんとかして売り上げを上げなければと、これまで前職でやってきたことを活かして、新人社員研修をやったり、社誌を作ったりしました。それと並行して、無料でいいからやらせてくださいと女性社員のコーチングなども行いました。

とにかく24時間365日ずっと仕事のことを考えているような生活でしたが、会社を立ち上げて4年目、子どもができ、働き方を変えざるをえなくなりました。売り上げは伸ばしていかなければならないなか、働ける時間は半分になったからです。そこで、もっと効率よくサイトから反響がもらえるようにHPを修正したり、自身のブランディングを行うために本の執筆を行ったりとできる方法を考え、取り組みました。その結果、売り上げは伸びました。仕事はかける時間じゃないんだとハッキリとわかりました。

講演や研修の幅も広がっていきました。特に研修の需要は以外と多く業種や会社の規模に関わらず、依頼をいただくようになりました。研修内容としては大きく二つで、一つは女性社員の部下を持つ上司のための、部下の育て方や接し方についての研修。もう一つは女性の営業職に対してのキャリアについての考え方や働き方についての研修です。ただし、いくら現場が変わろうとしても一部の意識改革だけでは会社は変わらないと思っているので、決起大会を開くなどして、なるべく全社で共有できるような仕掛け作りを意識しています。

後悔のない人生を


最近は研修の他に、新サービスである働く女性のインタビューや悩み解決のコラムが掲載されているサイト「Woo!」の運営に力を入れています。私は会社員として働き、独立し、母になり、様々な岐路を超え、その過程で多くの働く女性とお会いしてきました。そんな中で、自分らしい生き方を目指す女性ほど「女性はこうあるべき」「母はこうあるべき」という常識や固定概念に縛られ、生きづらさを感じていることに気づきました。

そんな女性たちの悩みを解決するヒントや、自分らしく生きる働く女性のインタビューが掲載されたメディアがあると、彼女たちの背中を押せるのではと思い始めました。

そもそも思いついたきっかけには、私が2人目の子どもを出産し、さらに思うように働けなくなったということがあります。また、生き方として、「自分らしく」というと漠然としてますが、周りの目を気にせず進んでいく人生にしたいなと、自分自身が思っているからこそ、そのために必要な情報や考え方を発信していけることに、すごくやりがいを感じます。

今後は「Woo!」に力を入れて育てていきたいです。事業を通してもっと周りの目を気にせず、自由に自分の人生を楽しむ人を増やしていきたいと考えています。また、そもそも私自身がアクセス解析をして効率の良い導線を考えたり、コンテンツを作り込んだりといったサイト運営に関わる業務が好きだというのもあります。ゆくゆくはこの「Woo!」を働く日本の女性全員が読んでいるようなメディアにしていきたいです。

女性活躍推進は、なにも女性のためだけの考え方ではありません。今後ますます労働人口が減少していく日本において多様な働き方を許容できる環境を整える必要があります。その一環としてもっと女性が活躍し、イキイキ働ける環境を作ることは日本の未来にとっても非常に重要なのです。実際に危機感を持っている企業もとても多いです。研修名もあえて「女性」という言葉を入れずに、「ダイバーシティ」や「働き方」といったワードを押し出すことが多いです。

将来は、日本と海外を行ったり来たりしながら働くことも視野に入れています。夫の海外出張や、長女のインターナショナルスクール通学など、2拠点生活が現実的にありえるなと思っているからです。だからこそ場所にとらわれずに暮らせるように、働き方も作っていきたいです。

私は死ぬときに、「あの時もっとああやっとけばよかった」と感じることなく、ほんとにいい人生だったと思って死にたい。だからこそ、常識がこうだからとか、周りが反対するからとやりたいことを諦めずに生きていきたいです。

実際に海外に行っていたり、日本で必死に働きながら結婚、出産、育児、と経験してみて、無意識に縛られて行動を制限されてしまう状況が多いと感じます。でも、本来もっと自由であるべきだと思うんです。

どんな形であれ、「あの人なんか自由で活き活きしてるよね」って思えるような人が日本の女性に増えたら、自分の道を歩こうって後輩も増えると思います。自分も、人生を通じて、理想の生き方を体現し、娘たちが20年後、30年後、働くときに今よりも自分を貫ける日本にしていきたいです。

2018.03.01

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