東京では、印刷関係の仕事を始めたのですが、すごく忙しかったです。あまりにきつくて、体を壊してしまいました。大腸炎でした。トイレで血を見たときに、さすがに耐えられないと思い、伊那へ帰ることを決めました。

伊那に帰ってからも、いくつかの会社で働きました。でも結局、上手くいきませんでした。すぐに、嫌になっちゃうんです。面接では気に入ってもらって採用されるんですけど、いざ働くと自分の心がついていかないんです。

やりたいことがなくなったときに、僕にできるのは農業を手伝うことしかないと思いました。自分の中で、それしか選択肢がありませんでした。

25歳のとき、農業が本業になりました。父からは、有機農業に関わるならその前にまずは一般的な農業を知った方がいいと言われて、イチゴの栽培をすることにしました。ただ、農薬を使っていることに違和感がありました。

数年経って自分の中での違和感が限界を迎えたあるとき、父の無農薬リンゴの取引先の人から「何やってるんだ」と言われました。「あの親父の子なら、無農薬でやってみろ」と。その言葉に背中を押されて、農業を始めて6年目に有機イチゴ農家として独立しました。