若者と企業を志で繋ぎ、日本を元気に。与えてもらった恩を返していく生き方。

採用コンサルタント、就活コンサルタントとして、若者の就職支援、企業の採用支援に携わる上田さん。「Pay it forward」の精神で、もらった恩を返していきたいという想いはどのように生まれたのでしょうか。さまざまな選択肢がある中で、就職支援が天職だと思うようになった背景とは?お話を伺いました。

上田 浩史

うえだ ひろふみ|若者と企業を志で繋ぐ
株式会社LeaGLO代表取締役/グローバル就活予備校 GBA代表

熱く生きて、情熱を評価されること


大阪府の豊中市に二人兄弟の次男として生まれ、幼稚園で神戸に引っ越しました。年の近い兄は勉強が得意で、常にライバル意識を持っていましたね。兄よりもかっこよく見られたいという気持ちが膨らんで、友達に対しても競争心が強く、人よりも目立ちたいと思っていました。

11歳のとき、阪神淡路大震災が起きました。その日は地元の家が潰れるくらいの横揺れが来て、やっとの想いで飛び出すと、街が燃えていました。通っていた小学校が遺体安置所になって、亡くなった人を目の前にして、なぜ自分は生きているんだろうと思いました。周りの人、ましてや一緒に勉強していた友人が死んでしまった。それなのに、自分は生きている。人の命って儚いんだなって。日常は当たり前なんかじゃないってことを肌で感じました。

一方で、困っている中で手を差し伸べてくれる人の暖かさにすごく助けられました。避難所で誰もが暖かく迎えてくれたり、全国からボランティアに来てくれたり、物資が届けられたり。優しさや思いやりに支えられ、なんて素敵な振る舞いなんだと、心が熱くなりました。今だけじゃなく、こうやって自分は助けられ、生かされているんだって実感したんです。当たり前じゃない命を生かしてもらっているのだから、どうせなら熱く生きようという使命感のようなものが芽生えました。

中学に入る頃には、その想いが発言や行動にまで表れてきました。リーダーシップが芽生えて、学級委員や生徒会に推薦されるようになったんです。持ち上げられることで「俺はそういう人間なんだ」という使命感がまた強くなりましたね。

高校では県でトップの神戸高校に受かり、サッカー部に入りました。小さい頃からずっと続けていたんです。すると、2年生からキャプテンを任されました。飛び抜けて上手いわけでもなかったのですが、熱く生きるとか、責任感を持って振舞うという、物事に対する姿勢を評価してもらったんです。技術ではなく、心の在り方で認めてもらるんだと、初めて気づきました。

キャプテンとしては、チームの精神的な成長を大切にしていました。礼儀作法や挨拶、物事に向き合う姿勢を通してメンバーをまとめていたんです。特に、後輩の世話を焼くのは大好きでしたね。入部当初はサッカーがうまいことで調子に乗っていた後輩たちが、きちんと礼儀を学んで、人間としての魅力が増していくのを見るのが嬉しくて。人が変わっていくのを助けるのがモチベーションになっていきました。

大きな大会では、弱小チームだった僕たちが強豪校を倒し、県で準優勝することが、新聞でも「古豪復活か」と大きな見出しで特集を組んで頂きました。メンバーそれぞれの小さな心の変化が大きな結果として出て、やっぱりこれが一番大事なんだという想いが強まりました。

満足の行く結果で部活を引退して、進路を考え始めました。将来経営者になりたいという願望もあり、地元で一番偏差値が高い神戸大学で経営を学びたく目指しましたが、ところが、センター試験が上手くいかず、神戸大学には合格できませんでした。めちゃくちゃ悔しかったですが、性格的に浪人しても伸びないのが見えていたので、学費免除生として立命館大学に進むことを決めました。

初めての挫折から、本気の就職活動


大学では最初何も価値を見出すことができず、憂鬱な日々を過ごしておりましたが、将来起業を志す大切な仲間との出会いが学生人生を変えてくれました。彼らとはたくさんやんちゃもしましたし、その中で、友人との絆が深まり、充実した1年目を迎えました。

しかし、このままではいけないという思いで一念発起で公認会計士の試験を目指しました。将来経営者になりたいという中で数字に強くなりたいという思いが強く始めましたが、こちらも頑張れたのは最初だけ。1年間やりきった中で、気づけば3年生。資格試験、就活、留学、起業など様々な選択肢を抱えた中で選んだのが就活でした。ある先輩との飲みの場で、上田は視野が狭い。将来経営者を目指すなら就活で様々な業界、会社を見てから選びなさい。特に起業したいならリクルートという会社がいいよとアドバイスを受けました。そこで、切り替えて就活に専念することにしました。

大学受験も失敗したので、就活ではどうせやるなら大学で一番になるという意気込みで始めました。先輩のアドバイス通り、人材系で最大手のリクルートから絶対に内定をもらおうと決意しました。

本気で生きる


そこからはもう死ぬ気で努力しました。40人くらいOB訪問して、会社のビジネス本も全て読んで、咀嚼して、自分の言葉で語れるようにして。初めて自分の人生と本気で向き合いました。ここでやらなければ後はないと思ったんです。結果として、全ての企業から内定をいただきました。念願のリクルートから合格連絡が来たときは泣きましたね。

大満足で内定承諾の返事をしようとしていたある日、リンクアンドモチベーションというコンサルティング会社をネットで見つけました。コンサルティングには特に興味もなかったのですが、「モチベーション」という言葉に惹かれ、会社を見に行くことにしました。

そこで、本気で世の中を変えようとしている大人たちと出会ってしまったんです。彼らの志が、自分がずっと大事にしていた「物事への姿勢」や「生き方」と重なりました。それこそ日々社会人が元気がないなと問題意識を持っており、その理由は仕事に働きがいややりがいを見いだせていないからではないかという思いを持っていました。これからの時代、金銭報酬ではなく、非金銭報酬、コミュニケーション報酬が大切だと考え方にも共感しました。

自分が生きてる意味、自分にしかできない仕事ってなんだろうって考えたら、高校でキャプテンだったときの想いが蘇ってきたんですよね。あのとき成し遂げたことは、きっと俺以外の人間にできなかったこと。人の本気に火をつけることこそが、自分にしかできない、成すべきことだと腹落ちしたんです。

本気で生きる彼らと共に働きたいと考え、コンサルティングという仕事についてはじめて考えてみると、すごく価値があると思えました。世の中に、仕事が辛いと感じる人が多いからこそ、会社を幸せな場所に変えれば沢山の人を幸せにできると確信したんです。そんな理由で、リンクアンドモチベーションに入社することを決めました。

就活を終えたタイミングで、内定者の友人たちと一緒に就活支援団体を立ち上げました。相談に乗った多くの学生を内定に導き、感謝の言葉を貰いました。就活で苦労した自分だからこそ、苦しむ学生の気持ちは誰よりも理解できたんです。僕みたいな学生でも努力すれば受かる。それが誰かの希望になることが、本当に嬉しかったですね。

お金のためにやっていたわけじゃない


リンクアンドモチベーションに入ってからの日々は、あっという間に過ぎて行きました。最高の上司と同僚に囲まれ、泥臭いテレアポ営業からスタートして、毎日無我夢中で働きました。当時はほとんど誰も知らない会社だったので、苦労は多かったですが、3年間走りきりました。

仕事には大きなやりがいを感じていましたが、起業のために3年で会社は辞めると決めていました。30歳までに社会的な成功を掴みたかったので、26歳には独立しようと決めていたんです。

起業へのモチベーションは、エンジェル投資家になりたいという想いでした。就活中に読んだ本で、自分が成功を収めたあとに他人のために時間と人脈を投資するエンジェル投資家という存在を知り、衝撃を受けたんです。なんて素敵な生き方だと。自分も成功して、自分以外の人のためにお金と時間を投資できたら最高だと思いました。

エンジェル投資家になるためにも、どうしても若いうちに成功したい。その一心で、26歳で会社を退職し、大きなお金が動く金融ビジネスで雇われ代表になりました。

結果的に、最初の起業は失敗に終わりました。そこにミッションやビジョンはなく、ただ経営者になりたいという一心だったので、全くうまくいかず、半年で代表を下りることにしました。

自分がプライドの塊であることに気づき、そのプライドを壊すべく、半年間の日雇い労働をすることに決めました。苦しかったですね。26歳、周りは順調に仕事をやっている中で、日雇い労働の日々。プライドも全てがズタズタになるかと思いました。

それでも、なんとかなる、こんな時期があったと笑えるように努力して成功しようという強い意志が生まれ、本当に自分が人生で成し遂げたいことは何かを、自分に問い続けました。そこで出た答えが学生のキャリア支援でした。あそこまで情熱を注げるのは自分しかいない。
今の就活支援には大きな問題や課題が山積みで、一言で言うとほとんどの就活生が「準備」の重要性をわかっていないという危機感がありました。そんな想いから改めてゼロから起業し、無料の就活塾を開き、学生たちと向き合うことを決めました。最初はお金もなかったので、HP制作の代行などお金になることは何でもやりました。色々な方に支えていただきました。

それからは、学生支援の仕事に全力で向き合い、1万人以上の学生と接しました。関西にとどまらず、日本全国で就活の準備の大切さを伝えています。また、学生の可能性を開花するためには自分自身が夢を持ってチャレンジしている必要があると思い、就活支援と成長するアジアで勝負する起業家という肩書きでも事業に取り組みました。

アジアを飛び回る中で、様々なご縁をいただき、フィリピンのオンライン英会話の執行役員、そしてフィリピンセブ島でセブ留学スクール経営などを手がけることが出来ました。ただ自身の力不足もあり、事業は廃止し、現在はシンガポールにて学生アジアインターンシップ「GENTEN」を主催し、毎年100名以上の学生をシンガポールにて育てています。

誰かの人生を良く変えていくのが喜び


現在は株式会社LeaGLOの代表を務め、採用コンサルタント、就活コンサルタントとして、企業と若者の志に貢献することをテーマに志事をしています。その上で一番大切にしているのが「志」です。企業も個人も何のために存在しているのか?何を成し遂げたいのか?個人で言えば、自分以外の人のために何ができるのか?企業では言えばどんなミッション、使命を持ち、世の中に貢献していくのか?

まだまだ企業の採用も学生の就活も、「やり方」ばかり。本当に大切な事はやり方ではなく、「あり方」ではないかと考えています。どうありたいのか、どうあるべきなのか、その先にやり方があるものだと考えています。

企業にとって採用は未来のビジョンを達成するための同志集めの大切なターニングポイントであり、学生、若者にとって就活は未来の自己実現をするための晴れ舞台選び。両方ともに非常に大切なターニングポイントに関われて志事を出来ているのは誇りに思います。

1年前には、その想いを共有する方と共同で、「志で企業と学生をつなぐための場所」として、日本初の志育成、マッチングプラットフォーム「ビジョンズ・ラウンジ」を大阪梅田の一等地に作りました。

年々歳を重ねていくにつれて採用、就活支援も加速しています。直近では、日本に正しい常識を創るべく、中卒、高卒の就活支援「第0新卒採用」という今までにない概念を採用、就活マーケットで創造するサポートも始めました。中卒、高卒の若者の可能性を最大限に広げ、人生を自分選ぶことができるようにしたいんです。

メディアで話題になる機会は増えていますが、まだまだ大卒と中高卒の壁は大きいです。ただ、想像以上に非常にエネルギーを持った魅力的な若者が大半です。輝ける環境がなかった、大人が用意していなかっただけなんです。ういう強い想いを持った人たちをサポートできるのは僕にとっても喜びですし、社会にとっても大きな意味があると思います。

今、日本は豊かなのに元気ないと言われますが、ひとりひとりがもっと志を持てば絶対に良くなるはずなんです。だからこそ、大学生も大学に行ってない子もひっくるめて、若者を応援することが、未来の日本を元気にすることにつながると確信しています。

30代で関わる企業、若者の志に貢献し結果を残せたら、次の夢にも挑戦したいです。40代では、世界中の父親や家族のあり方を変え、元気にしたいですね。どんなビジネスかは今模索中ですが、家族や父親という存在の価値をもっと高める仕掛けを創りたいです。

叶えたい夢はいくつもありますが、すべての源には「Pay it forword」の想いがあります。今までの人生で、震災でも就活でも起業でも、周りに助けてもらってきました。自分が何もしていないのに、助けていただいた。それって人間としてすごくあたたかくて、素敵だと思って。だからこそ、いただいた恩を僕も家族、周囲の関わる方々、ひいては社会に恩返しをしていきます。

就活支援も、家族のあり方、父親のあり方を変えることも、エンジェル投資家も、自分の人生と関わる人の人生をより豊かにしたいから。「上田さんと出会ってよかった」とか「わくわくした」とか「可能性が広がった」っていう言葉たちは、僕にとってはお金には変えられない宝であり、生きがいですね。だからこれからも、周りの人間にも、社会にも、恩返しをし、また恩送りをしていきたいですね。

2018.02.01

ライフストーリーをさがす
fbtw

お気に入りを利用するにはログインしてください

another life.にログイン(無料)すると、お気に入りの記事を保存して、マイページからいつでも見ることができます。

※携帯電話キャリアのアドレスの場合メールが届かない場合がございます

感想メッセージはanother life.編集部で確認いたします。掲載者の方に内容をお伝えする場合もございます。誹謗中傷や営業、勧誘、個人への問い合わせ等はお送りいたしませんのでご了承ください。また、返信をお約束するものでもございません。

共感や応援の気持ちをSNSでシェアしませんか?