兵庫県の神戸市で生まれました。子どもの頃はおとなしくて、人見知りな性格でした。親父がすごく厳しくて、算数の筆算に定規を使わないと激怒して、計算ドリルをビリビリに破るような人だったんです。僕はボロボロ泣きながら計算をやり直すわけです。とにかく親父が怖くて萎縮してましたね。

親父は不動産会社の社長でしたが、経営には苦労していました。日々、借金取りが家の戸口を叩く音に怯えて過ごしました。「なんで借金なんて抱えるんだろう」「なんで家族を置き去りにして自分だけ隠れるんだろう」と、いつも思ってましたね。経営の苦労なんて全く理解できず、とにかく親父のことが大嫌いでした。

中学1年の時に阪神大震災が起こり、家族の生活は一変しました。僕が住んでいた地域は、神戸市の中でも被害が一番大きくて、周りは全て地震とその後の火災で焼け野原に。亡くなってしまった友達もいました。みんな家を無くしてしまって、しばらくは水や電気もなかなか確保できず、大変な状態でした。

震災から2年後、生活の基盤ができて、学校にもまた通えるようになりました。高校は、公立高校の情報処理科に進学して、コンピューターのプログラミングを学びました。ただ、推薦で入れることで選んだ学校というだけで、コンピューターやITの仕事に興味はありませんでした。勉強もせず遊んでばかりだったので、成績はずっと赤点でしたね。

進路選択の時期になると、周りの生徒はみんなパソコン検定とか簿記検定とか、何かしらの資格を取っていて、気がついたら僕だけ何も持っていませんでした。親父に、他の子と同じようにコンピューターの専門学校に行きたいと相談したら、「まず手に職をつけろ!」って怒られて。親父は昔ホテルで料理人をやっていたので、ホテルマンか料理人のスキルを学ぶよう勧めてきました。アルバイトで接客の経験はあったので、そういう仕事もいいかなと思いつつ、半ば強引な形で観光事業の専門学校に入りました。

専門学校では、レストランのサービス業を学びました。毎週のレストラン研修では、生徒が実際にお客さんを迎えて、フレンチのフルコースを提供します。「こんな料理にしよう」「こんな出し方をしょう」とか、皆で試行錯誤したサービスがお客さんに喜ばれることが快感で、楽しかったですね。

その後、大阪のホテルで研修が始まりました。そこで見たのは、見た目も立ち振る舞いも完璧で格好良いホテルマンの姿。僕もああいう風に仕事がしたいと、憧れるようになりました。いろんなホテルの面接を受けて、大阪の有名ホテルに採用が決まり、中華料理のレストランで働く事が決まりました。