大阪府四條畷市に生まれました。姉が2人います。両親から勉強しろと言われたことはなく、自由奔放に育ちました。ただ、親は僕のやる気を駆り立てるのが上手く、テストで98点を取ると、「もうちょっとで100点だったね」と、褒めながらも意欲が高まる言葉をかけてくるんです。それで自分から机に向かうようになりました。

小学校4年生の時、クラスで学級委員を決める選挙がありました。小4の男子って、ほぼ全員が立候補するわけですよ。大阪だし、みんな「俺や!」みたいな。僕も、楽しそうくらいの気持ちで立候補して、幸運にも当選したんです。

その瞬間に、学級委員としての自覚が芽生えました。当選した嬉しさもありましたが、与えてもらった役割に恥じないように、責任を果たそうと決めました。

理想的なクラスを考えた時に、青臭いんですが、みんなに笑っていてほしいと思いました。そこで、クラスメイトの長所を投函する目安箱を活用しました。落ち込んでいる子がいたら、僕がその子の良いところを紙に書いてそこに入れておくんです。目安箱の紙を、担任の先生がピックアップして、帰りのホームルームで読み上げてくれました。

根底には、一人一人の良さを生かし全体の調和がとれたクラスを作りたいという思いがありましたね。たとえみんなから感謝されなくても構わない。理想的なクラスになるために自分がしている行動に、誰か一人が気づいてくれれば充分でした。

高校では、マンドリン部と合気道部、生徒会執行部に入って、文化祭中央実行委員会と体育祭中央実行委員会にも参加し、みっちりとしたスケジュールで動いていました。

卒業後の進路は、京都大学の工学部一択で考えていました。きっかけは中学3年生の時に読んだ科学雑誌『Newton(ニュートン)』です。生意気だった僕は、中学で習う数学や理科の内容に飽きていたんです。そんな僕を見かねて、塾の先生から「東くん、好奇心旺盛だから、これ面白いと思うよ。読んでみて。」と、Newtonを渡されました。

その号では、核融合が特集されていました。それを読んで雷に打たれましたね。「太陽を地球に作ろう」というテーマで、水素原子から灼熱の太陽を生み出すというもので、そのスケールの大きさに、中3からしたらワクワクしかないんです。「かっこいい!これしかない!」と思いました。そこで、最先端の研究室をインターネットで検索し、京都大学の工学部の研究室に進むために受験勉強に励み、工学部物理工学科原子力専攻に進学しました。