未来の空間のあり方を追求する。誰にもわからないからこそ、自由で楽しい。

スイスの家具メーカー「Vitra(ヴィトラ)」の日本法人代表を務める片居木さん。家具自体を販売するだけではなく、導入した先にあるオフィス空間の提案に力を入れます。これからの空間や働き方は誰も答えを見つけていない領域だからこそ、自由に発想できておもしろい。そう語る片居木さんに、半生を伺いました。

片居木 亮

かたいぎ りょう|オフィス環境の提案
Vitra株式会社にて代表取締役を務める。

自分なりのスタイルを貫きたい


埼玉県所沢市で生まれ育ちました。3人兄弟の長男です。小さい頃から自分のやりたいことに没頭するタイプでした。両親によると、自立心が強かったと言うか、将来の進路に関しても、自分の頭でできるだけ考えて、何でも決めようとしていました。そのせいで何度も痛い目に合ったと思いますが、両親は自分の考えを尊重してサポートしてくれていました。

好奇心も強い方でした。特にスポーツが好きで、水泳に始まり、幼稚園ではサッカー、小学校6年間は少年野球にのめり込みました。一度やりたいと思ったら、納得できるまで練習しましたね。

中でも、群を抜いてハマったスポーツが、スノーボードでした。比較的新しいスポーツで、競技性も好きでしたが、それ以上にその世界観が好きだったんです。ただ難易度を競うだけじゃなくて、それぞれの個性やスタイルを重視するんですよね。技をするにしても形の美しさとかスタイルを極めたり。自分なりのスタイルを追求できるのが好きでした。

学校に行きながらも生活の中心はスノーボードで、大学に進学するときも、将来は何かしら海外で生活していくイメージがあったのと、必要なのは英語とプラスアルファだろうと考え、教育学部の英文学科を選びました。ずっとスノーボードに関わって生きたいと考えていたので、卒業後も就職せずに海外の雪山に行くことに決めていました。

周りが就職活動を始めたときも、プロになるほどの実力でないのはわかっていましたが、将来に不安は感じませんでした。どうにかしてスノーボードに関わって、一生滑りたいと思ってましたね。

働きたいけど働けないつらさ


予定通り、大学卒業後すぐにカナダに行きました。ただ、春先はスノーボードができるシーズンではありませんので、しばらく学校に通ってみることにしました。

すると、そこには意識の高い同年代がたくさんいました。志や先々のプランをしっかり持ち、視野も広いし英語のレベルも高い。そんな同世代を目の当たりにして、がつんと一発食らったような気分でした。

自分でも、スノーボード以外の何かを見つけなければいけないと意識していたので、一気に現実を突きつけられたようでした。自分は一体何しにカナダに来たのか。そんなことを考えるようになりました。

また、妻となる女性とも出会いました。付き合い始めて3ヶ月くらいで直感的に結婚すると思い、しっかりしなくちゃという気持ちがさらに大きくなって。それで、しばらくカナダで過ごした後、日本に帰って就職することに決めたんです。

ところが、日本で就職したいと思っても、うまくはいきませんでした。大学生向けの就職サイトで仕事を探そうと思っても、新卒ではない私は登録すらできません。そのとき初めて「既卒」という言葉を知ったのですが、どんなに調べても「新卒以外での就職は厳しい」としか出てこない時代で。新卒で就職しないとこんなに苦労するなんて知りませんでした。

履歴書を送るだけの状態が続き、苦しかったですね。就業経験がなく、働きたいのに働けない。「自分は就職できないんだ」というショックはかなり大きかったです。キャリアやビジョンとかではなく、どこか雇ってくれないかと祈るような気持ちで、選ぶ余裕もなかったです。

初めての仕事で感じる挫折とやりがい


苦労した就職活動でしたが、最終的には、知り合いの紹介で従業員6名の商社に雇ってもらいました。海外から輸入した文具や家具を小売業者に販売する会社。その中で、家具と空間に関する新規プロジェクトに関わりました。

社会人の常識を何も知らない上に、新卒のトレーニングがあるわけでもないので、苦労しました。上司に恵まれましたが、何もできない自分が情けなくて、つらかったですね。大学の同級生は、すでに大手企業で華やかな仕事をしている人も多くて、夢から離れたばかりの自分は仕事を楽しいとは思えませんでした。貢献したい想いはあって、とにかく精一杯働きましたが、関わっていたプロジェクトは入社半年ほどで終了。結局、上司から紹介された会社へ転職することになりました。

転職先は、輸入家具の販売代理店でした。主に扱っていたのは、スイスのVitra(ヴィトラ)というメーカーの家具。家具やオフィスのデザインは専門ではありませんでしたが、英語ができたので、外資系企業の日本支社などのオフィスの仕事を担当することになりました。

前職で、買いやすい安価な家具を売っていたのが、同じ家具でも著名なデザイナーの作った家具を外資系企業などに売るような世界になったんです。デザインや製品の付加価値を説明して売れた時の快感は、それまでとは比べ物になりません。初めて仕事のやりがいを感じましたね。

やりたいのは、空間を提案すること


代理店で働き始めて4年ほど経った頃、ヴィトラの日本法人が立ち上がることになり、販売責任者として転職しました。ヴィトラに入社するにあたって、本社に研修に行くことになったのですが、そこでの経験は衝撃的でしたね。

ヴィトラの研修では、家具をすぐに売ろうとすることはしなかったんです。世の中はどのように変化しているのか。未来の働き方はどうなっているのか。今後のオフィスの意義とは。そんなことを問いかけながら、最終的には「オフィスは生産性の高い空間を作るためにある」という理解を得て、提案していきます。日本でもそういう売り方をしている人がいなかったわけではないのですが、家具メーカーにも関わらず、自分の製品の話をせずに、顧客の働き方の話を聞き続ける研修は、私にとっては新しい体験でした。

コンサルティングというか、「お客さまに価値を売る」という考え方が、私の中ですごくヒットしたんです。オフィス空間を提案する仕事をもっとやりたいと思いましたね。

しかし、転職したタイミングでリーマンショックが起きてしまい、不景気の最中、新しい空間を提案するというチャレンジは、あまりできなくなりました。さらに、東日本大震災が起きたときは、新しいオフィスの仕事はさらに難しくなり、同時に顧客のマインドも大きく変わったことで、グローバル企業として、日本のオフィス空間にどう貢献できるのかというを本当に考えさせられました。

苦しい時期も諦めずに、ほとんど休むことなく努力しました。その結果、4年ほど経った頃に限界がきました。仕事は好きでしたが、自分で追い込みすぎたせいで、精神的に疲れ切ってしまったんです。その状態で、もうこの会社にはいられないと思い、次のチャレンジを求め、退職することにしました。

未来を作る仕事がしたい


その後、大手消費財メーカーのシンガポール支社で働き始めましたが、不本意ながらあまりうまくいきませんでした。良い環境でありながらも、自分の力不足も痛感しました。毎日が学びの連続で、結果的に今の仕事の基礎ができたと感謝しています。退職後、以前の上司に誘われ、中国市場の営業責任者としてヴィトラに戻ることにしました。

そこで、ヴィトラのカルチャーが好きだったことを再認識したんです。全世界に2000人以上社員がいる企業ですが、世界中に分散しているので、それぞれの支社の規模は小さく動きやすい。規模のメリットは使いながらも、それに沿って目の前の顧客を見てすばやく決定していく「グローバルブランドだけど、自由度が大きい」という点が好きだったわけです。

中国での仕事も楽しかったですね。中国では、オフィス空間を設計するという市場はまだまだ未成熟。良い意味でベースがないので、ダイナミックな挑戦ができるんです。急成長ベンチャー企業のオフィスをデザインしたときも、クリエイティビティを存分に発揮した提案ができました。ずっと中国で働きたいと思うほど楽しかったです。

ただ、1年ほど経つ頃、日本法人の体制変更に伴い、日本に戻ることになりました。それも、社長としてです。33歳、経営の経験はなかったので驚きましたが、やるしかありませんでした。

社長として日本に戻ってきから、ヴィトラの家具を広げるために「2本の柱を持つ」ことを意識しました。ひとつの柱は、従来通り、上質な家具をマーケティング戦略を立てて、しっかり販売をしてお客様に届けるという動き。もうひとつの柱は、未来に対しての投資として、これからのオフィスや働き方を追求することです。既存の仕事に9割位の時間を使い、残りの1割を新しいチャレンジに充てるようになりました。

働き方やオフィスのあり方が大きく変化する中で、既存の仕事の繰り返しだけでは、今後ニーズに応えられなくなると思うんです。今までは、オフィスを作るってなったら効率的に椅子と机を並べればよかった。でも、これからはそれじゃダメ。10年先にどんな働き方が主流になっているかわからないし、究極今のような形のオフィスがなくなっている可能性もゼロではありません。

そういう時代の中で、改めてオフィスという空間や家具が果たす役割を問い直すことが、家具を作る会社として求められているんです。

これからの空間に必要なもの


現在も、既存の事業を推進しながら、未来のオフィス空間を追求しています。

未来は予測できませんが、どんな状況でも変わらない「空間の価値」はあると思っています。それは、外部の人実際に会ってコラボレーションを生んだり、コミュニケーションすること。

デジタルの進化でどこでも働けるようになり「ただ作業をするための場所」としてのオフィスの存在価値が薄れてくるでしょうが、複数の人が集まり、コミュニケーションをすることで新しいものを生む機能は絶対になくならないと思います。そういう意味で、コミュニケーションを最大限活性化できる空間をつくることが、ひとつのテーマです。

その分野では例えばアメリカの西海岸が進んでいますが、単純に真似するだけじゃなくて「その空間で働く人たちに何が機能するか」という視点がとても大切です。「新しくオフィスを作りましょう」となったら、フリーアドレスやコラボレーションスペースを導入したいと言われるんですけど、オフィスを変えるという目的が先行した場合、実際にうまくいっているケースを見たことがありません。「会社をどうやって成長させたいか」というビジョンを理解することが先で、それに合わせて空間を作らなくてはいけません。

アメリカの西海岸の人って、ある意味でオープンでクレイジーです。積極的な人が周りの人に話しかけるからコラボレーションが生まれますけど、日本ではそういう人って少ない。実際、コワーキングスペースでも、知らない人と話す人ってごくわずかじゃないですか。

ハードだけ整えてもだめですし、そんなに簡単なことじゃないと思うんですね。私たちがオフィス空間を考えるときも、ハードの話だけでは解決しません。それよりも、その会社を理解し、どんな人が働いているかとか、どういうきっかけで人が交わるかなど、仕組みなどソフトの話も大事なんです。

そうはいっても、画一的な正解があるわけではありませんし、ニーズや時代の変化に合わせた試行錯誤を続けることが大切な領域です。各企業がいろんなことを試して、たくさん失敗もしてきたのが現在の状態で、効率化だけじゃ何も生まれないのが明確になった今、「本当に結果をだすために何をしようか」っていうタイミングなんです。

だから、私たちが提案する空間には、先進的な実験もあります。試しながら適応して変えていくというか。IT系の企業のコワーキングスペース内で「ジッケンオフィス」という企画をやったのもまさにそこで。究極の正解かはわからないなかで、次を見据えて、働く人同士のコミュニケーションをどのように活性化できるかを実験する機会を作ったのです。

これからの社会で、10年後にどんな空間が求められるようになるのかは、今のところ検討がつきません。ただ、わからないからこそ、オフィス空間の中に可変できる柔軟な部分を残しておくっていうのは、すごく大切だと思います。

また、個人的には、自分から周りに話しかけられるタイプではなくて、「クリエイティブな発想は持ってるけどなかなか表に出せない人」の力を引き出せるようにすることが、これからのオフィス空間の鍵になるのではないかと考えています。全員がパーフェクトなわけじゃないし、スーパービジネスマンなわけじゃありません。でも、クリエイティビティを持っている人はたくさんいます。その人たちを中心に考えたオフィス設計が、今後は必要になると考えています。

オフィスって、あくまで経営をサポートするツールですが、社員が毎日使うもので、パソコンのようなデバイスと同様で、仕事にインパクトが大きいものだと思います。会社が実現したいことをサポートするためにオフィス空間を作るという仕事に、やりがいを感じます。

働き始めたころは「なんで自分はオフィスを売っているんだろう?」と疑問に思っていることもありましたが、いまは働き方やオフィスの周辺は大胆なイノベーションの起きうる領域。その中でもっと面白いことができるのが楽しみで仕方ないですね。

2017.12.21

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