東京都墨田区で生まれ育ちました。小さい頃から末っ子として姉と兄の姿を見ていたからか、要領は良かったですね。こうすれば周りが笑ってくれるとか、物事をどうするとうまくいくとかいつも考えていて、自分のポジショニングもうまかったと思います。

実家は銅合金鋳造業の小さな町工場を営んでいました。溶かした金属を土の型に流し込み、製品をつくる工場です。小学生のときは積極的に父の仕事を手伝っていました。

中学に上がる頃に反抗期が始まり、父とはほとんど口をきかなくなりました。よそのお父さんたちは外に出て働きに行くのに、自分の父は一日中家の工場にいる。昼間にはテレビを見て、夕方の6時頃には早々に仕事を引き上げて浅草まで飲みに出かける、そんな父の姿がなんだか嫌でした。働かない父はろくでなしだと思っていたんです。

母がとても教育熱心だったこともあり、中学一年生から受験のために塾に通わされていました。納得感もなく何かをやらされるのが嫌で、勉強が大嫌いでしたね。学校と塾を往復する毎日に、「何のために学校に行ってるんだろう」と感じていて。部活もせず、彩りのないグレーな毎日でした。

反対に、高校では部活でソフトボールに熱中しました。そこで初めて物事に打ち込む楽しさを知りましたね。ソフトボールのために学校に通っていた感じです。1,2年生ではキャッチャーを、3年生ではキャプテンかつエースピッチャーとしてチームを率いました。

大学への進路を考え始めた頃、世間はF1の全盛期でした。テレビのレース中継では、日本人のエンジニアたちが世界を相手にトップを競い合っている。そんな姿に憧れて、将来はF1のエンジニアになりたいと思いました。その頃は、家業を継ぐことはいっさい考ませんでしたね。父は自分の代で工場を閉めると言っていたし、仕事の様子を見て、従業員の年齢の高い製造業や町工場って大変だなと思っていましたから。

その後、内部推薦試験で良い点が取れず、目指していた電子工学分野でなく、情報処理の分野に進むことに。道は絶たれたと思って、F1のエンジニアへの道は絶たれてしまったと思い、諦めることしました。

大学に入ってからは、アルバイトを複数掛け持ちしていました。とにかく働くことが楽しくて、朝4時半から8時まで宅配会社で荷物の仕分けをしてから、1限を受けに大学へ向かいキャンパスで授業を受ける。そのあとは夕方6時から夜の0時までピザの配達、という毎日でした。バイトでは、業務をとことん効率的にして、他の誰よりも成果を出すことがとにかく気持ちよかったんですよね。どのバイト先でもリーダーになったり、MVPに選ばれて表彰されたりして、学生ながらに月20万近く稼いでいました。