DJ・占い師・起業、そして宇宙まで。イイモノを狭い世界で終わらせたくないんです。
大手広告代理店を退職し、アカウントプランナーとして独立した大澤さん。 世の中にイイモノを広めるコミュニケーションを手掛け、メンズ占い師ユニット、音楽レーベル運営の活動等も並行で行っています。多彩な活動の背景にはどんな思いがあるのか、お話を伺いました。
大澤 允之
おおさわ まさゆき|アカウントプランナー兼DJ兼占い師
『モノが動く流れ』をつくる、コミュニケーション / アカウントプロデュースカンパニー、
株式会社ブースターの代表取締役社長を務める。
メンズ占い師ユニットnot for sale.メンバー。占い師、DJとして、アジア全域で活動。
大澤允之(Facebook)
株式会社ブースター(Facebook)
not for sale.
テレビと音楽が好きな子どもでした
幼稚園の時からなぜかテレビが好きでした。
前日に見たテレビの話を、次の日先生にひたすらしゃべり続けるということをしていたみたいなんですよ。
先生からはテレビの見すぎだ、と心配されていました。
また、父親の影響で小さいころからよくジャズを聴いていました。
出かけるとき車に乗ると決まってジャズが流れて、
「よし、これに合わせて手を叩いてみろ」という調子で、
自然に慣れ親しんでいましたね。
小中学校では、特にクラスで目立つタイプというわけではなかったのですが、
中学から部活でやっていたバスケだけは得意で、力を入れていました。
でもそのバスケも途中でやめてしまったんです。
当時、夕方の時間帯に少し前にやっていたドラマの再放送をどうしても見たくて、
時間が被る部活を邪魔に感じてしまい、ついには顔を出さなくなってしまった。
何にそこまで惹かれていたのかはわからないのですが、
ドラマのエンドロールを見て「これはこの監督が作っているからこういうテイストなんだな」というように、
自分なりに解釈していくのが楽しかったんです。
そんな中学時代を経て、東京に出てもっと広い世界を見てきた方が良いという父親の勧めもあり、
東京の高校に進学することに決めました。
「カッコいいもの」が知られていない
ところが、東京の高校に進学したはいいものの、鎌倉の実家から通うには遠かったんですよね。
そこで、片道1時間半もかかるので、せっかく東京に出るなら、遊んで帰ろうと思うようになったんです。
ちょうど地元の友達からクラブに行こうと誘われたことも重なり、
それからは頻繁に通うようになりました。
クラブの非日常の感じがとても好きだったんですよ。
普段出会うことのないような大人や、すごくかっこいい音楽に出会い、おもしろいことばかりでした。
その中でDJをやるようになり、どんどんはまっていきました。
DJは人々の前に立って目立つことができるし、その場の空気感全体を作り上げているのが、
とてもカッコよかったんです。
ただ、そんな毎日を繰り返していくうちに、
クラブにはカッコいいモノがこんなにたくさんあるのに、
世の中に全く認知されていないということを、すごくもったいないと思うようになったんですよ。
だから、自分が出会ったカッコいい音楽や人、モノを、この世界の中で終わらせずに、
もっと広めていけたらな、と漠然と思っていましたね。
大学受験の時期になると、音楽の道でプロになるのは無理だと自分の中でわかっていたため、
大学進学の道を選びました。
いずれは起業するもの
入学後は、音楽だけではなくもっといろいろな視野を持ちたいと考え、
放送研究会に入りました。
ミュージックビデオをつくったり学園祭で発表をしたり、
相変わらずクラブにも通い続けていました。
昼間は放送研究会の部室に入り浸り、夜からはクラブで朝まで過ごすという生活を、
毎日のように繰り返していましたね。
そんな生活だったこともあり、就活の時期を迎えた当初は、レコード会社に行くことだけを考えていました。
自分でハウスブームを作りたいと思っていて、それができると思える2社を受けましたが、
結局、最終面接で落とされてしまったんです。
そこで考え直し、音楽ではなく、ブームをしかけられるコミュニケーションのできる会社に行きたいと思うようになったんです。
そこで、広告系の代理店とベンチャーを5社ほど受け、
PR会社から内定をもらい、入社を決めました。
ただ、この当時から漠然とですが、自分はいずれは起業するものと思っていました。
祖父や父親などが経営者をやっていて、家系的にも商売人が多かったんです。
周りの友人に起業家やフリーランスの人が多かったこともあります。
実際に会社に入ってみると、とても充実感がありました。
当時はちょうどmixiが流行ってきていた時期でもあり、
いかにデジタルをプランの中に組み込み、インタラクティブなPRができるかが大事だと思い、
自分なりに、ブームをしかける仕事ができていたように感じます。
そして、その会社で「世の中にイイモノも広めて行く」という言葉と出会ったのですが、
まさにこれが、自分のやりたいことを明確にした言葉になりました。
「今やらなかったら絶対に後悔する」
会社に対して不満もなく、仕事も順調でしたが、起業も見据えて次のステップに進もうかなと考え、
5年働いた後、大手広告代理店に転職しました。
そのタイミングで起業も考えたのですが、
まだお客さんが付いてくるほどの力がないと感じ、
PR以外にも様々なノウハウを総合的に身につけようと思ったんです。
実際に新しい環境で働くことで仕事の幅も広がり、
クライアントへの提案力も磨かれました。
そんな風に仕事をしていく中で、自分の中で決心がついたのが、
転職から5年ほど経った頃、 妻の妊娠がわかった時でした。
会社を起こすなら今しかないと、会社を辞める決意ができたんですよね。
父親よりも早く世の中に仕掛けていきたい、父親を超えたい、という思いがあったんです。
2年前に亡くなった父親の、「もっと早く起業しておけば良かった」という言葉も、強く思い出されたんですよ。
「今やらなかったら絶対に後悔する、今しかない」
という思いから、ついに僕は起業することを決めました。
もっと新しいことを見つけていきたい
現在は、ベンチャーと大手の両方を経験した知見を活かし、
アカウントプランナーとして独立し、株式会社Boostarを立ち上げました。
Boostarとは、「Boost」(押し上げる・景気づける)「Star」(星)を掛け合わせた造語で、
コンサルティング・アイデア・プランで、モノ・サービスを『景気づけて、お得意様をスターにしたい』
という意味を込めています。
今後も世の中のイイモノを広めるために、自分なりのコミュニケーションツールを使っていきたいと思っています。
その形も様々だと思っていて、以前から地元の友人とともに活動している、占い師ユニット“not for sale.”の活動も、
「占い」という、人の悩みを解決するためのコミュニケーションツールを使っていることに変わりはないと思うんですね。
それが、対企業なのか、対個人なのかの違いでしかないんです。
今やっていることだけではもちろんダメで、
世の中のイイモノを広めていくためには、常に次のステージに進んでいく必要があると思っています。
そのためにも、とにかく世の中の一時情報を手に入れに行きたいんですよね。
だから、僕が今一番行きたいところは宇宙なんですよ。
そうやって、とにかくこの世の中のイイモノをどんどん広めていきたいですね。
2014.06.14