長崎県五島列島にある平島で、漁師の家に生まれました。親父の体が弱かったので、小さい頃から漁の手伝いをしていました。木船の手入れなど色々やりました。大人がやるようなこともやって、手伝いの域を超えてましたね。親父は船に不具合があると、私を叱るんです。こうやって、大きくなったら漁師を継がされるんだろうなと思っていました。

中学では、活発で不真面目な学生でした。授業中は先生の方を向かず、お喋りばかり。迷惑をかけていました。それでも、周囲から高校に行けと言われて進学を決断。文系より理数系が良かったので、佐世保工業高校の機械科に進みました。

手先が器用で、ものづくりが得意でした。中学の時、人が乗れる小さな船を作り、その船で学校に通ったこともありましたし、高校では4時間かけてハサミを作る授業で、私は8個作りました。熱して作る鍛冶は、スピードが大事なんです。そうやって工夫を凝らしてものを作っていました。

その頃には漁師への思いはなく、かといってなりたいものがあるわけではなかった。ただ、高校卒業後は島を出て就職しようと考えていました。東海道線沿線の企業をいくつか受け、全て合格。採用通知が最初に届いた、東京のミシンメーカーに就職することにしました。