島根県の離島、隠岐の島で生まれました。隠岐諸島の中で最大の島で、昔から島流しにされた貴族を受け入れてきた島です。僕は三人兄弟の末っ子で、おとなしい性格でした。外で遊ぶのが好きで、夏はよく海に行ってましたね。

隠岐の島には様々な伝統が残っていて、一番盛り上がるのは「古典相撲」です。昔から神事として相撲が神社仏閣で行われていたのですが、その伝統は一時期途絶えていました。それが昭和47年に復活してから、祝い事がある度に古典相撲大会が開かれました。

地元が好きで、小学校、中学校、高校と、地元で進学しました。僕が通ったのは水産高校です。商業よりも水産を学ぶことに興味がありました。ただ、船に乗る仕事につく人が多いわけでもなく、僕自身も船は苦手で、乗ろうとは思っていませんでした。

高校卒業後は、地元で水道工事をする仕事を始めました。100人ほどいた同級生は、進学よりも就職する人が多い環境で、進学は一切考えませんでした。地元が好きだったので、島外に出ようとも思いませんでしたね。

島にある仕事の選択肢はそこまで多くありませんが、あちらこちらで下水道工事が増えていた時期だったので、水道屋なら仕事に困らないだろうと考えました。

社会人になってから、親戚の家に養子に出ることになりました。その親戚の家には子どもがいなかったので、家を守る後継者が必要だったんです。僕は三男で自分の家を継ぐわけでもなかったの、養子に出されました。養子といっても、実家との縁が切れるわけでもないので、名字が変わった程度の感覚でした。