島にある「営み」が生を実感させてくれる。
大っ嫌いだった地元で見つけた自分の居場所。

東京都の青ヶ島の製塩所で塩作りを行う山田さん。幼い頃から窮屈さを感じ、戻らないと決めていたふるさと青ヶ島に、なぜ戻ってくることにしたのでしょうか。過酷な自然に囲まれた島で感じるものとは。お話を伺いました。

山田アリサ

やまだ ありさ|塩作り
青ヶ島の製塩所にて「ひんぎゃの塩」を作る。

ここは私の居場所じゃない


東京都の離島、青ヶ島で生まれました。一人っ子です。

当時の青ヶ島は、人口が200人程度の島でした。島全員が知り合いという環境で、噂はすぐに回るし、「人前で話してはいけないこと」もあったような気がします。また、ちょっと不機嫌な顔をしていると「なんでふてくされてるの」とかって聞かれて。ほっといてほしいと思うこともありました。

ここは私の居場所ではない。広い別のところに行きたい。どこに私の居場所があるだろうって考えていました。

島の大人も苦手でした。よく父たちは家で酒を飲んで皆で夢を語っていたんですけど、皆、昼間は寡黙な人たちでしたから、飲んだときだけ威勢のいいことを話しているように思えて好感をもてませんでした。


そんな大人を唯一かっこいいと感じたのは「還住物語」という、青ヶ島の歴史の物語を舞台でやった時です。ただの酒呑みだと思っていた大人たちが、舞台の上で必死に真剣に演じていてキラキラしているんです。

テレビなどの娯楽もなかったので、歌とか芝居を欲する気持ちも、強かったのでしょう。心の底から大人を見直した瞬間でしたね。

青ヶ島には高校がないので、中学卒業後は横浜の高校に進学しました。私は自分の性格やしゃべり方も好きではなかったので、まずいろんな人の話し方を真似しました。ハキハキ喋る人など、島にはいなかったタイプの人を見つけては真似しました。

島外に出て、気持ちは楽になりましたね。言葉の重みが違うんですよ、島と内地では。島の限られた空間、限られた人たちの間で使われる言葉って、重いんです。言葉だけが独り歩きすることもありますし。島外には人がたくさんいます、それぞれの人の言葉は島の中ほどの重さはなくて、気楽さは感じました。

それでも、「ここじゃない」っていう気持ちがまだありました。もっと広い世界に行きたい。そう思って、1年休学してオーストラリアに行きました。

オーストラリア留学は、文化の違いが面白かったですね。授業の時、先生が「わからないことがあったら聞いてね」と言うじゃないですか。すると、その瞬間クラス中の人が手を挙げるんです。日本だったらまずは自分で考えるところを、考えないですぐに分からないって言う。そういう習慣の違いが面白かったですね。

役者として芝居に打ち込む10年


オーストラリアは開放感があったんですけど、住み続ける勇気は持てませんでした。日本から逃れたいと思いつつも、結局日本に帰りました。

高校卒業後は、芝居をやりたいと思っていました。芝居の「自分を見つめて切り取る」といった役作りの方法に面白みを感じていたんです。それで、演劇や音楽で有名な学校への進学を目指しました。

ところが、入試の結果は不合格。大学には行かずに劇団に入ろうと思いましたが、親には大学に行って何かの資格を取るように言われました。そうすれば、芝居の費用も面倒みてやるって言うんです。

それで、教員免許が取れる短大に進学しました。1年目は学校に集中して、2年目からは大手劇団の研究生になりました。

180人の倍率を突破して入所した研究生は、みんな自分が大スターだと言わんばかりの自信と輝きでした。その中で、研ぎ澄まされていく人もいれば、逆にダメになる人もいました。その両極端を見られたことや、人の変化を感じられたのが面白かったです。


研究生から這い上がれるのは、毎年数人程度。私は上がれませんでした。どうしてダメだったのか先生に聞くと、「お前は一つの喋り方しかできない」と言われました。活躍している女優の人たちは、普通の喋り方も特殊な喋り方も色々できる。その中で、自分の売りとしてのしゃべり方を選ぶ、私にそれができるのかって言われたんです。

それを聞いて、自分には難しいかもしれないと思いましたね。芝居をやめようと思いました。

ちょうどその頃、研究生時代の同級生のお父さんが旗揚げした劇団の芝居に誘われ、お付き合いで行ってみることにしました。その芝居が、死ぬほど面白かったんです。頭をカコーンってやられました。

それまで私が観ていた舞台のお芝居は、「間」というものがありました。それがその旗揚げのお芝居は会話もオンタイムで、登場人物一人ひとりのキャラクターが濃厚で「そういうことあるよね」とか「そういう人いるよね」といったことが芝居中に散りばめられていて、楽しかったんです。

気がつけば、前の劇団で上のクラスに残れなかった研究生たち数人と一緒に、その劇団に居着いていました。劇団員とも違うので、居着いちゃったという感じです。

大学卒業後は、アルバイトをしながら芝居に打ち込む生活を送りました。

見つかった居場所は、生まれ故郷


役者としての生活は充実していましたが、主役級の役が回ってくることはありませんでした。素敵な役をあて書きで書いていただいたこともあり、チャンスはあったと思います。一回目はなんとかクリアもできました。けど、それによっていただいた二回目のチャンスを生かしきれなかったんだと思います。

役者としての目指す方向性に悩んでいる時に、母の体調が優れなくなり、一緒に暮らすことになりました。お金を稼ぐ緊急度が上がり、徐々に芝居から足が遠のいていきました。

役者をやめたのは、33歳位の頃だったと思います。未練はありませんでした。親の面倒を見るのは、子どもの務めだと思っていましたから。

母と暮らし始めてから、毎年1回は一緒に青ヶ島に帰るようになりました。父はもう亡くなっていました。久しぶりに戻ってきても、青ヶ島は私が住んでいた頃と変わったようには見えませんでした。

暮らし始めて数年、母は亡くなりました。ショックでした。いつも一緒にご飯を食べていた場所に、母はもう座っていません。誰もいないテーブルを見ていると自然と涙が出てきて、そこに座ることもできなくて、台所で立って泣きながら食事を取ったりしてましたね。

母が亡くなったこともあり、実家を整理するためしばらくの間、青ヶ島に戻ることにしました。しばらく人が住んでいない家は、かなり傷んでいました。そのままだと、台風などが来たら壊れて他の家に迷惑がかかってしまう。いずれは空き家として誰かに貸すことも視野に入れて、家を補修することにしました。

大工さんには1ヶ月でやってほしいとお願いしましたが、実際には2ヶ月位はかかると見越していました。ところが、3ヶ月目になっても工事すら始まっていませんでした。お金は減っていくばかり。困っていると、地元の建設会社で賄いを作る仕事を紹介され、働き始めました。

久しぶりに青ヶ島で暮らし始めて、元々は家の修理を待っている間だけと思っていたんですけど、変化がありました。

青ヶ島の食べ物が、私の体に染みるんです。村の人が持ってきてくれた魚や野菜を食べたら、なんというか、五臓六腑に染みるんです。「四里四方以内のものを食べろ」というんですかね。小さい時に食べていたからだと思うんですけど、体にしっくりきて。野菜も生で食べるだけなのに、すごく美味しく感じて、自然と涙が出てきました。東京での食事とはぜんぜん違う感覚を体の中に感じたというか。

そして島にいて発見したのは、ここの空気の中に両親を感じるということでした。一人っ子でしたので、両親ともにいなくなって、どうしようもない孤独を感じていたんですけど、家の片付けをしていると、父と母に一番近いところにいるような感覚がありました。家の掃除をしているだけで何かが満たされる。そういう感覚が重なって、私の居場所は青ヶ島なんじゃないかと思い始めたんです。

島の人と結婚して、子どもを出産。そのまま島に住み続けることにしました。

塩に狂った人


ある時、役場が始めた製塩所で、釜場で働く人の求人募集が出ました。元々、役場の職員が担当していたんですが、人員不足で庁舎に戻るため、一般の募集が出たんです。

最初は男性のみで募集が出ていました。ある日噂が出ました、働き始めた男性が1日で辞めてしまった、と。それを聞いて、興味が湧きました。男が1日で辞める仕事って、どんなものなんだろうって。

応募が全然なかったようで、募集内容が男性のみでなくなりました。それで、興味本位で働いてみることにしました。

釜場での塩作りをするのが仕事内容でした。50度位の部屋に入って、色々な作業をするんですが、一番つらいのは釜を洗う作業です。釜にこびりついた塩をコテだけを使ってゴシゴシこそげ落とすように洗うんですが、暑い部屋なのでかなり苦しいんです。

ちょっと経験したことがない種類の労働でした。でも、課せられた労働はやらなきゃいけないので、無我夢中ですよ。苦しいんですけど、1日は耐えることができました。それから3日、1週間。1ヶ月経った頃には、長期の雇用契約を結ぼうと言われました。

当初は釜場の中でめまいがすることがあり、一人でやっていく自信はありませんでした。しばらく契約をしないで働き続けて、翌年の夏をやってみて、やっとやれると覚悟を決めて、製塩所で正式に働くことにしました。

釜場で作業するのは1回に20分以内とか色々自分ルールも決めました。私一人しかいないので、体調を崩したらまずいですからね。20分作業をして、一度外に出て熱を冷まして、また入って作業をする。その繰り返しでした。

釜場での仕事を始めて少しした後、離婚しました。子どもを育てるにはお金が要ります、島を出ることを考えました。都会は仕事も多い、でもたくさん稼げても、娘といる時間が少なってしまいます。島に残ることにしました。ぎりぎり生きていける収入だとしても、娘と一緒にいられる時間が長いほうがいいなって思ったんです。

その後、釜場で働いて10年程した頃でしょうか、製塩所が民営化することになりました。私は手を挙げて、経営を引き継ぐことにしました。

商売は素人でしたしリスクはありましたが、迷いはありませんでした。青ヶ島には「青酎(あおちゅう)」という特産品の焼酎があります。関わる人はみなさん頑張っているのですが、その中でも一心不乱に青酎を愛して、外に向けて発信している人がいます。それを見て、私も塩に狂った人になろうって思ったんです。

私にとっては、とってもかわいい塩なので、もっと多くの人に知ってもらいたい。世の中に知ってもらうためには、この塩に気ちがいのようになって本気で考える人が必要で、それは私しかいないだろうと。絶対にうまくいくと思いましたね。

島の暮らしには「営み」がある


現在は、青ヶ島の製塩所で「ひんぎゃの塩」を作っています。ひんぎゃの塩の特徴は、地熱蒸気で作っていることです。地熱蒸気を使っているのは、おそらく世界でここだけだと思います。人工の蒸気や電気、火、温泉水などは聞いたことがありますが、地熱蒸気を直接引き込んでいるという話は聞いたことがありません。

製法が違っても、塩の成分自体は変わりません。ただ、お取引先の飲食店の方からは、味はぜんぜん違うとご好評を頂いています。

後味が違いますね。柔らかさやまろやかさがあって、他の素材と合わせた時に、その素材の甘みを引き出すんです。素材の旨さを活かすのがとても上手ですよ、ひんぎゃの塩は。

大手メーカーさんから塩を使いたいとお話を頂くこともあるのですが、大手さんの要望する量を出荷できるほどの量は作れません。例えば、全ての店舗ではなく限られた店舗だけで使ってもらうとか、メニューを限定して使うとか、そういう取り組みができれば面白いと思うんです。極めて限定された「美味しいもの」そういった商品を作る新たな試みの企画を組んでいただけるのをお待ちしております。


釜場での仕事は、基本的にはひとりでやっています。大変なのは、夏場の釜洗いですね。普通にやれば1時間程度で住むものが、いちいち外に出てやるので、4時間位かかったりもします。

大変な仕事ですが、やっぱりできあがった真っ白な塩を見ると、やりがいがあります。現場での塩作り作業は、これからも続けていきたいです。

青ヶ島は、なかなか厳しい環境の島です。島外とアクセスするための船は、1日1便で就航率50%程度。1日1便のヘリは、定員9人の上、1ヶ月前から開始される予約を取らないと乗れません。島の外側は崖で崩落しているところもあり、たったひとつの港もまだまだ完成しません。火山も200年に1回噴火すると言われていて、もう200年は過ぎています。

それでも私は青ヶ島に暮らし続けたい。島には「営み」があります。私にとって、東京での暮らしは「働く」「金を得る」「消費する」の繰り返しで、いつも後ろから何かに急かされているような感覚がありました。それが、島に帰ってきてから「営み」が加わったような実感があります。

自然の厳しいこの島だからこそ、生活の原型ははっきりしています。船から来る物資だけを当てにしない。物が来ないなら、自分たちで何とかして食料を手に入れる。それは、人間関係も大切ですし、生活や季節という限られた時間の中で得るために、感覚や情報収集アンテナも研いでおく必要があります。

何というか、いつも生きることと隣り合わせのような感覚があるんです。何もかもが準備されているわけじゃないから、準備するのは自分。そんなところが、生きる実感になっているのかもしれません。

うちの娘は高校に行くために島を出ていますが、戻ってきたいと言っています。同じように、島に戻りたい人は多いと思います。生きる場所は自分で選んだらいいと思いますが、青ヶ島に仕事はないので、自分で仕事を作れるスキルを身に着けて帰ってきてほしいですね。以前、僻地であればあるほど自立する力が必要だと講演で話している方がいましたが、本当にそう思います。

移住してくるなら、我慢は絶対に必要ですね。来てすぐに何かをできるわけじゃないです、何をするにも一人ではできません。仲間は必要です。

島の人口は現在約160人です。今後どうなってゆくかはとても大きな課題です。どんなに人口が減っても、次の世代が暮らしていくことをしっかり考えたいと思っています。
この島にあるものを大切にして、島と共生できる暮らしを実現していきたいですね。

いつか見た、舞台の上で必死に真剣に演じていた青ヶ島の大人たち、あの姿がいまだに記憶に焼き付いています。父や彼らが語った夢を思い返しながら、この青ヶ島で必死に生きていきます。

2017.11.07

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