福岡で生まれました。母が小値賀島の出身ですが、色んな所を転々としていました。小学2年生の時に母に連れられて弟と3人で小値賀島に戻ってきました。

小学校には小値賀育ちの子どもしかおらず、転校生は珍しがられましたね。「太陽」という名前だったので、目立っていたはずです。からかわれたこともありました。素直に人の言うことをきかない子どもで、生意気なところがあったので、最初の1~2年は馴染めなかったです。

小学校の高学年になると、小値賀島の雰囲気に大分慣れてきました。でも、それは周りに合わせて本来の自分を出さないようにしていただけだったんですよね。他の子と違うことをしたり言ったりして浮いてしまうのが怖かったんです。考えていることがあっても、発言せずに存在感を消して黙っているようになったんです。気持ちをあまり外に出さなくなっていましたね。

中学、高校では部活に絶対に入らなくてはならない決まりがあったので、周りと同じように野球をやりました。高校3年生の夏、行きたい大学も夢もなく、進路が何も決まっていませんでした。弟も同じように野球をやっていたのですが、すごく上手かったので有名な高校にスカウトされたりしていたんです。そこで弟に「アメリカに留学して野球をしてみないか」という誘いが来たんですよ。

九州で「野球留学」というプログラムをやっているおじさんからの誘いだったのですが、弟はそれを受けることにしました。「ついでに兄貴の方もどうや」とおじさんに声をかけられたので、行くことにしました。

目的は特にありませんでした。ただ、アメリカに行けることになった時、学校生活の中で感じ続けていた「俺はこんなもんじゃないぞ」という気持ちがあふれてきました。憧れだけで留学を決めたんです。自由なイメージで、アメリカと聞くだけでワクワクしました。

アメリカに行ったら、絶対に小値賀島には戻らないと決めていたんです。ずっと「自分がイキイキできる居場所を探したい」と感じていましたし、周りの子も大学進学にあたって小値賀島から出ていったので、それが普通だと思っていました。

アメリカでただ遊びながら、楽しく生きていきたかったんです。何も考えていませんでしたね。