種子島から世界のトップを目指す。
手術や挫折という荒波を乗り越えて。

須田 大輔さん/潜水士・サーフィンコーチ

はてぶ

鹿児島県の種子島で、サーフィンのコーチや民宿の経営をしながら、潜水や漁業の仕事も行う須田さん。中学生の頃に始めたサーフィンが、海と寄り添う人生を決定づけました。けがでプロの道を断たれながらも、3度の手術や海外移住の挫折という荒波を乗り越え、サーフィンのコーチとして島から世界を目指す須田さんにお話を伺いました。

野球少年、海と出会う

静岡県西伊豆町で育ちました。家から歩いてすぐに海がある環境でした。実家がスポーツ店、父は少年団の監督をしていたので、ずっと野球をやっていました。ピッチャーで4番。将来はプロ野球選手になりたいと思っていました。

野球選手になりたいという夢は、13歳の時に変わりました。サーフィンを始め、プロサーファーを目指し始めたんです。きっかけは、近所の知り合いのお兄さんにサーフィンをやらせてもらったことです。やってみると、すごく面白かったんです。1日目で立って滑れたので、最初から楽しかったですね。

『ビッグ・ウェンズデー』という映画を見てからさらにのめり込みましたね。カリフォルニアに住んでいるサーファーたちが、戦争を乗り越えてサーフィンの大会を目指すという映画なんですけど、その映画を見て大会に出てたいと思い始めました。それで、伊豆半島の下田で、プロサーファーの人たちの話を聞くようになり、ドンドンはまっていった感じですね。

中学卒業後は、家からも海からもすぐ近くにある高校に進学しました。放課後は、いい波があればサーフィン、なければスケートボードをやっていました。長い休みには、新島まで泊まりがけで波乗りに行きました。

そんな風にサーフィンに明け暮れていた高校2年生の時、交通事故に遭いました。車に乗っていた時にトラックに追突されたんです。足がしびれて病院にいったら、椎間板ヘルニアと診断されました。そのまま大学病院に入院。痛みが激しくて、4日間くらい一睡もできませんでした。太いブロック注射を脊髄に打っても効かなくて、メスを入れて手術しました。

医者には、プロスポーツ選手になるのは絶対に無理だと言われました。無理に続けたら、体に障害が残るかもしれないと脅されました。

その時に、プロサーファーになる夢は諦めました。それでも、楽しむサーフィンは続けようと思いましたね。プロへの未練もありましたけど、サーフィン自体が楽しい。職業にしなくてもサーフィンを続けられるだけでもいいかなって。

ただ、ちょっとでも腰が痛くなったらサーフィンはしないと決めました。いつでも爆弾を抱えてるような感覚です。サーフィンやってる途中に「痛くならないかな」という不安は常にありましたね。

海外でサーフィンをしながら生きたい

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