15年越しで叶えた海の側でパン屋を開く夢。
可能性を模索し続けて、やっと見つけたもの。

五月女 一敏さん/パン職人

はてぶ

鹿児島県の種子島にて、天然酵母を使ったパン屋を経営する五月女さん。幼い頃から複雑な家庭環境で悩む中で見つけた夢とは、どんなものだったのでしょうか。自分が苦労した経験から、子ども達には人生には様々な選択肢があることを知ってほしいと語る五月女さんにお話を伺いました。

人生の可能性を模索していた

東京で生まれ、茨城で育ちました。後で知りましたが、母はシングルマザーで、僕が3歳の時に父と結婚したそうです。一人っ子で兄弟はいませんでした。当時の家庭内の空気には、何となく違和感がありました。複雑な家庭環境だったからかもしれません。

子どものときって、父親と母親がすべてじゃないですか。だから、何か厳しいことを言われたりしても、「自分が悪い」って思っちゃうんですよね。たとえ家庭で変なことがあっても、他所の家のことがわからないから気づけません。中学生になって客観的な考え方ができるようになってからは、なんで俺や俺の家族はみんなと違うんだろうって葛藤するようになりました。

人と接するのが苦手で、小学生の頃は気性が荒くて学校でも問題ばかり起こしていましたね。先生の言うことを聞かないで帰っちゃうとか。中高と野球をやってチームプレーの難しさも感じていました。「自分が傷つきたくない」っていうのが一番にあったのかもしれませんが、他人に心を開けませんでしたし、人との付き合い方が、よくわからなかったです。


高校で進路指導を受けたとき、将来に対しては何の希望もなかったですね。大人と言えば親のイメージで、あまりいい印象はなくて。成功するためには大学に行けば良いのかもしれないけど、うちはそんなお金がない。自分は負け組だって思っていました。

とにかく、この場所から、この空気から、この環境から逃げ出したい。そういう気持ちが強くて、卒業して就職しました。

就職先は、飲料メーカーでした。仕事は楽しかったです。それまでは学校で部活とかに費やしていたのと同じ時間働くと、お金に変わるんですから。頑張った分だけ稼げることが面白かったですね。

あとは、会社の先輩たちが、色々教えてくれるんです。バイクとか車とか旅とか、自分の知らない扉をどんどん開けてくれたので、狭い世界で生きてた俺にとっては楽しい日々でした。

自分の理想を実現するための選択

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