対馬のヒノキで作る、オーダーメイド家具。
飾らず、気取らず、それでも計画的に生きる。

阿比留 恭二さん/家具職人

はてぶ

地元対馬のヒノキを使ったオーダーメイド家具を作る阿比留さん。ものづくりを軸に、建築から家具づくりの道へ方向転換し、ゆくゆくは料理もしたいとか。多芸多才な阿比留さんの計画的なこれまでの生き方について、お話を伺いました。

ものづくりの道への第一歩

長崎県の対馬で生まれました。小さいときは、よく魚釣りをしていました。釣った魚を自分で捌いて、家族に食べてもらえるまでが楽しいんです。祖父が漁師だったので船にも乗せてもらいましたが、僕は船酔いが激しかったので、漁師を継ごうとは思えませんでしたね。

小中学校では、運動ばかりしていました。子どもが少ないので、強制参加で駆り出されてたんです。放課後も土日も、ずっとスポーツをしていました。でも本当はしたくなくて、「早く負けて魚釣り行きたいな」って思いながらやってたんですけどね。

釣りの他には、いろいろ拾って弓矢を作ったりとか、なにかを作るのも好きでしたね。図工ぐらいしか好きな教科がなくて、その頃から、将来はものづくりの道に進みたいと思っていました。

高校生になっても、ものづくりがしたいという思いは変わりません。どうせやるならお金持ちになりたかったので、単純に「建築家なら金持ちになれるんじゃないかな」って思って、建築を学ぶことを決めました。

高校を卒業して、福岡にある建築の専門学校に進みました。でも途中から、暮らしとって大事なのは、建物というハコではなくて、生活空間の中身なんじゃないかなって思うようになってきたんです。それで、家具づくりに方向転換しました。

家よりも家具のほうが需要があると思ったのも大きいですね。長男なので、いつかは対馬に帰るつもりだったんですけど、対馬は人口が減っているので、家が建たなくなってきています。島内でしか仕事ができない建築よりも、島外に出せる家具の方がいいかなって。

また、僕は変なところで細かい性格なので、自分のペースで仕事をしたいんですけど、建築だと、色々な人と協力しないと難しいんですね。ひとりで設計してひとりで作れる家具の方が合っているかなと思いました。

専門学校を卒業してからは、対馬に帰り、製材所でアルバイトをしました。将来対馬で働くための繋がりを作ったり、家具を作るための材料や機械の知識をつけたかったんです。製材所では、材料を仕分けして運んだり、トラックで配達に行ったりしました。

期間は1年と決めていました。1年働き、社会保険の制度を活用して職業訓練校に通おうと思っていたんです。その後、計画通り家具の職業訓練校に通いました。基本的なかんなの刃の研ぎ方から、構造や設計も勉強しました。後半の半年間は、実習として、学校に注文された家具の制作もしました。

修行の中で得たアイディア

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