北海道の離島、利尻島で生まれました。活発な性格で、人前に出るのが好きな子どもでしたね。目立ちたがりで、学校では自らクラス代表をやっていました。

野球やスキーなど、スポーツも好きでした。特にスキーは、小学校の先生がスキーの指導員もしていたのでのめり込みました。先生とは「大人になったら利尻でスキーの指導員をする」と約束しました。ボランティアのようなもので仕事にはなりませんが、約束は頭の中にずっとありましたね。

父は漁師でした。ウニ漁や利尻昆布漁の他に、まき網漁船でホッケ漁に出ていました。1日に何回か航海をして、何十トンというホッケを取ってくるんです。大漁のときは、大漁旗を掲げて港に帰ってきます。その時がまたかっこいいんですよね。港も活気で溢れかえるんです。

父も漁師仲間も、仕事は大変そうでしたが、すごくイキイキ仕事をしているんですよ。子どもながらにすごいなと思いました。楽しそうな姿を見て、父のような生活っていいなと思いましたね。

でも、漁師を継ごうとは思わなかったんです。なんか、自分じゃねぇなって。漁師って、海の上で孤立するじゃないですか。常に自分との戦いというか。

僕は、どちらかといえば、人と接することがすごく好きだったんですよね。話をするのが好きで、常に色んな人と顔を合わせて会話をしたい。それができる仕事に就くこと理想だったんです。だから、漁師はすごくいいと思うんですけど、自分には無理だなって思いました。

長男だったので、父は僕に漁師を継いでほしかったと思います。だけど、やりたくもないものをやったら絶対に続かないので、高校卒業の前に父に相談しました。

そしたら、「お前は多分そう言うだろうと思ってた」って言われたんです。「お前がほんとにやりたいんだったら教える。でも、俺に気を使って中途半端な気持ちでやるんだったら絶対うまくいかないし、俺は教えるつもりはない」って。

でも、他にやりたいことは何もなかったんですよ。島の外の世界に憧れがあって、島を出たいとは思っていました。それで、運動が好きだから大学に行って体育の先生にでもなりたいと軽い感じで話しましたが、長男という立場や金銭的な部分も含め難しいと言われました。しかも、夏は昆布干しのために人手が必要なので、島に残ってほしいと言われました。

結構ゴネたんですが、島を出るちゃんとした理由がありません。漠然としすぎてて。すごくお金もかかることなので、強い気持ちがなければ認めてもらえませんでした。


それで、島で働くことに決めました。親父は、「お前は違うところで活躍できる場面がきっとあるから、自分が進みたい道に進んだ方が絶対いいぞ」と言いました。成功しなきゃだめだなって思いましたね。家業を継ぐのを断った以上、何をやってもいいけど、絶対何かしら成果を残す。そうじゃなきゃ、親父に申し訳ないなって思いました。