地域の中から、価値あるものを伝えたい。多様な生き方に出会える場所を目指して。
長崎県の五島に移り住み、大学の同級生とゲストハウスを営む近藤さん。美術大学で様々な地域プロジェクトに関わり、人々との出会いによって見えた、「本当に伝えたい価値」とは何か。現在の暮らしに行き着くまでに、どのような経験と想いがあったのでしょうか。お話を伺いました。
近藤 萌
こんどう もえ|ゲストハウスの運営
長崎県五島にて「ネドコロ ノラ」を運営する。
伝えることの責任を知った
神奈川県の横浜市で生まれました。子どもの頃から、絵を描くこと、料理することが大好きでした。将来は、デザインを活かせる仕事をしたいと思っていました。
高校では文化祭の実行委員をしました。「責任は先生が取るから、自分たちで全部考えなさい」そう言って、先生は運営を私たちに任せてくれました。保健所とのやりとりやゴミ収集業者との調整など、全て生徒だけで行いました。自分たちでイチから作り上げる喜びを感じましたね。
また、文化祭実行委員の他に、ネパールの紅茶農園で働く子どもたちの学資支援のためチャリティコンサートを開催する生徒の有志団体に参加しました。そこで、日本のブームが、途上国を苦しめることもあるという話を聞いたんです。
例えば、日本で何かがブームになると、原料の生産国となる発展途上国では、需要に合わせて原料となる作物を大量に作ります。それまで生産していた作物をとめて、畑の全てを使って無理やり原料品を作る場合もあります。でも、ブームが終わってしまうと、その作物の需要はなくなってしまいます。そこから別の作物に変えようとしても、畑へのダメージが大きく、収入も減り、彼らの生活を壊してしまう。
ブームを生み出すために使われるのがマスメディアです。中でも、広告は影響力を持ちます。私は、将来デザインを学んで広告の仕事をしたいと思っていたので、ショックでした。
そういった事実を知らずにデザインをする人にはなりたくないと思いました。影響力をもつことは、大きな責任を伴うこと。やるなら、何を伝えたいのか責任を持ってデザインしなければならない。「何を伝えるか」が大切なんだと思うようになりました。
多様な生き方や価値観と出会う
高校卒業後、東京の美術大学に入学し、デザインを学びました。学外では世田谷区の用賀で地域活性の活動をする団体に入りました。用賀は、渋谷の近くにあります。交通の便もいいし、ビルもたくさんあるけど、学生たちが遊びにいくのは渋谷などの都心。そこで、自分たちの街で楽しいことしてみようと、用賀で夏にお祭りを開催するという団体でした。
私はイベントのパンフレットやチラシ、ロゴを制作し、街の美術館で子ども向けのワークショップを開催しました。自分のできることで役に立てて、楽しかったですね。それからは、まちづくりや地域デザインに関心を持つようになりました。
また、この頃から、よく海外旅行をするようになりました。色んな場所の、色んな人の暮らしを見たかったんですよね。初めての一人旅は、スペインに行きました。
スペインでは、多くの人が夕方に仕事から帰ってきて、家族で一緒に食事をしている場面を見ました。広場に出かけて、みんなで夕日を眺める。その様子を見て、なんだこれって驚きました。仕事をしながらも、家族の時間をとても大切にしている。同じ先進国なのに、日本とは暮らしの価値観が違うように見えました。
その後も、いろんな国や国内の地域を旅しました。暮らしを見て、交流して、人々の多様な価値観や生き方に出会うことができました。
地域にもっと関わりたい
学生時代の経験から、地域には、人の暮らしや、美味しい食べ物や、そこで生まれる会話など、魅力的なもので溢れていて、自分自身がいいなって思える魅力や情報を楽しみながら発信できる。さらに、同じ想いを持つ人たちと関わりを広げることができる。そんなことに気づき、地域に関わる仕事に興味を持つようになりました。
就職活動では、まちづくりに携わる仕事ということで、行政や新聞社、デザイン会社を受けました。新聞社の最終面接で、これまで関わってきたプロジェクトの話や地域に対する想いを話すと、面接官から質問が返ってきました。「ここだと大勢の人には読んでもらえる。でも、読者との距離は遠いから、地域にいた時のような反応は見られないよ。それでもいいの?」と。私は答えることができませんでした。それで、就職活動を一旦保留にして、卒業制作に打ち込むことにしました。
卒業制作は、ある地域で「住人の声を絵にする」という作品でした。住んでいる人に、地元の好きなところなどを聞いて、それを絵にして展示しました。100枚以上の絵を描きました。
展示が始まると、「こんないいところあるんだ」って、地元の人たちからたくさんの反響がありました。作品を通して、自分たちの暮らす地域の魅力を再発見したり課題を考えたりするきっかけを提供できたことが、とても嬉しかったですね。
卒業制作が終わった頃、大学の教務補助員の募集を見つけました。フルタイムではないので、将来を考える時間も十分に取れるし、引き続き地域に関わることができる。そう思い、2年間の教務補助員に就きました。
実際に住んでみないと分からない
教務補助の仕事を始めてから、教授に付いて全国の様々な地域を周りました。地域に関わるのは楽しかったんですが、次第に、都会でしか暮らしたことがない私は、表面的な意見しか言えてないような、自分の発言が嘘っぽいと感じるようになりました。
そんな時に、ある地域で地元の人や移住してきた人とイベント企画について話していたとき、移住者のひとりが「住んでから意見を言えよ!」と怒ったんです。その場には、外部から島を支援する人がいて、その人に向けての言葉でした。
その言葉が、私の胸に刺さったんです。地域に住んでるからこそ、出てくる言葉がある。地域に住む人も地域の外から支援する人もどちらも必要ですが、私は地域の中で生活を営む人に興味があるし、その一人になってみたい。それまで持っていた「地域に関わりたい」という気持ちが、「地域に根付いて暮らしてみたい」という考えに変化していったんです。
その後、地域おこし協力隊として長崎県の五島に住んでいた大学の同級生が、任期終了後も五島で暮らし続けると言ってきました。私も地域で暮らそうと考えていると話すと、意気投合。五島は何度か遊びに来ていた土地ですし、せっかくのご縁があるならここに住んでみようと思ったんです。
ちょうど教務補助の任期が終わる頃で、そのまま関東で就職する選択肢もありました。でも、今都会で就職してしまったら、私はきっと都会で暮らし続ける。将来、地域で暮らさなかったことを後悔したくなくて、思い切って移住することにしました。
26歳の時に、五島に来ました。単純に、田舎での暮らしを体験したいという気持ちもありました。友人と一緒に、ゲストハウスを作ることにしました。
島に来てからは、環境が変わったこともあり、あれもやらなきゃこれもやらなきゃと思ってしまい、忙しく過ごしていました。それから1年半の準備期間を経てゲストハウスをオープン。ようやく少し余裕ができました。島で何かをするのも大切ですが、田舎の暮らしを楽しむことも同じくらい大切です。少しずつ、心の切り替えができるようになりました。
多様な価値観を受け入れる
現在は、移住して3年目となります。大学の同級生と一緒に、ゲストハウス「ネドコロ ノラ」を営んでいます。並行して、島内でデザインの仕事もしています。
ゲストハウスは、週末はシェアスペースとして誰でも自由に立ち寄れるように解放しています。地域の人、旅人、色んな人をつなぐ場にしたいと思っているんです。
私はこれまで、旅や地域の人との出会いで視野が広がって、多様な価値観を受け入れられるようになったと思います。行く先々で見た風景や暮らし、生き方や価値観。食べ物の保存方法なども、自分と違うものと出会い、許容範囲が広がりました。いろんな価値観を認められるようになると、選択肢も広がって暮らしが豊かになると思うんです。
このゲストハウスを、様々な出会いを通じて、新しい価値観に出会える場所にしたいですね。ここに来るお客さんが楽しく過ごしている姿をみると嬉しくなります。地元のおばあちゃんと、旅をしているバイカーさんが一緒にご飯を作って、楽しそうに食べている。漁師さんが立ち寄って、みんなに美味しい魚をおすそ分けしてくれる日もある。そんな面白い光景がここでは日常的に見られるんですよね。友達の家に遊びに行くように、気軽に利用してもらえたらと思います。
ここに泊まったゲストさんが、のちに移住してきたこともありました。未来を一緒に作っていく若い移住者仲間が増えたら楽しいですし、私ももっと長く五島に住み続けたくなりますね。この地で家族が増えてなんて未来もいいなと思います。
五島での暮らしを心から気に入っています。朝、家を出ると海風がすーっと体に入ってきて気持ちよくて。おばあちゃんたちが縁側に芋や大根を干しているのを見たり、山の緑が移り変わっていく景色も楽しめます。島には、自然とともに季節を感じる暮らしがあるんです。
食べ物の旬も、知識ではなく体感として分かるようになりました。自然のリズムがわかると、自分で生活をしているんだという感覚が強くなります。自然の中に生きている感じがしますね。
島に暮らしてまだ3年目。ゲストハウスはやっと1年です。地域のことも自分のことも、暮らしてみて初めて気づくことや感じることがたくさんあります。ネドコロノラも含め、これからも新しい気づきや出会いがある暮らしを積み重ねていけたらいいなと思います。
2017.09.26