東京でも、新鮮な野菜を!「商売人の家族」としての決断。

文京区で産地直送の野菜と炭の販売店を営む斎藤さん。東京で生まれ育ちながら北海道の大学に進学し、農協での経験を経て、実家を継いだ背景には、どのような想いがあったのでしょうか?

齋藤 利晃

さいとう としあき|産直野菜、木炭の販売
文京区で産直野菜と木炭の販売を行う齋藤商店の代表取締役を務める。

齋藤商店

東京からの脱出


私は東京の練馬区で生まれ育ちました。

実家は大正9年から続く木炭を販売するお店を営んでいて、
中学生の頃から、冬になるとお店で祖父の手伝いをしていました。

ただ自分にとって、当時の東京は歩いている人のスピードもとても速くて、
今よりもずっとみんながセカセカしていて、荒々しくて、必死なように感じられました。
高校生になった頃から、そんな周りの状況が、

「もう爆発するのではないか?」

というくらいストレスでたまりませんでした。
今思えば、いわゆる「くだらない世の中に対する反抗期」だったのかも知れません。(笑)

そんな中、偶然学校で募集があり、アメリカにホームステイに行く機会がありました。
ホームステイ先の家族はとても自然が好きな人たちだったので、
一緒にキャンプや家庭菜園などをしていくうちに、
自然の持つ圧倒的なスケールやそこで流れる時間の穏やかさ、おいしい空気などに魅力を感じたんです。

東京と全く異なる環境に魅了された私は、進路を選ぶ際に、
「アメリカの大学に行きたい!」と志願してみたのですが、見事に却下されてしまいました。

ところが、たまたま親戚を訪ねて遊びに行った北海道で、ある大学を見学してみて、
アメリカで感じた穏やかな雰囲気に近いものを感じたんです。

その感覚を追い求めるかのように、私は見学した北海道の大学へ進学することに決めました。

大学で学んで知った第一次産業の魅力


「酪農学園大学」という名前の大学だったので、やっぱり酪農学科が花形だろう、
というシンプルな理由で、学科は酪農学科に決めました。すごく安易な決断でした。(笑)

特に、色々な分野がある中でも、生き物の行動に興味があったので
家畜行動学という「牛が柵の中でどうやって行動するか」の研究をしました。

1ヶ月に1日、24時間の間5分おきに牛の行動を記録する活動を12か月分行うのですが、
牛にも社会があり、牛同士の距離感がそれぞれ違うのが面白かったですね。

はじめこそ特に酪農という分野にこだわりを持っていたわけではないものの、
大学で勉強をしていくうちに、なんとなく第一次産業に関わる仕事がしたいと思うようになりました。

中でも、少しの差で牛に大きな影響を与えてしまう重要な役割を持つ、
削蹄師という牛の爪を切るための資格をとり、それを仕事にしようと考えていましたね。

そんなある時、4年生の4月ごろに教授に
「地元の農協から募集がきているから名前だけでも書いてみないか?」
と言われたんです。

教授の言葉をやけに素直に受け入れられたため、
最初は本当にとりあえず名前を書いて出してみました。
そしたらとんとん拍子で選考が進み、なんと採用されてしまったんです。

牛の削蹄師とは全く違う仕事でしたが、第一次産業にかかわる仕事だったこともあり、
卒業後は農協で仕事をすることに決めました。

商売人の家族だということ


農協に就職すると、私は野菜の販売の部署に所属しました。

販売の部署は農協の中でも特に忙しい部署だったんです。
冬の間は野菜が採れないので5月から11月に仕事が集中してしまうし、
大学で多少の勉強はしていたものの、野菜に深く関わることは初めてだったので、
とにかく必死でしたね。

でも、新鮮な野菜のオレンジや緑などのきれいな色や鮮度から元気をもらえて、
しんどかったですが、苦にはなりませんでした。

ただ、毎日大量の野菜と戯れていたため、普通の人たちと野菜の量の感覚が少し変わってしまい、
何か送ってほしいと頼まれたときに大量の野菜を送ってしまうようになってしまいましたね。(笑)

その後、5年ほど農協で働きながら自分の将来の事を考えて行く中で、
段々実家のお店のことが気になっていきました。
私の父は実家を継いでおらず、長年祖父がお店を守ってくれていましたが、
もしその祖父がいなくなってしまったらあの店はどうなるんだろう?と思ったんです。

実際、一族で私以外に男がいなく、もう自分しかいませんでした。
私自身は、農協を辞めたくもなかったし、本当はこのまま北海道に永住しようと考えていたのですが、
2か月ほどいろいろ悩み、親にも相談してみたところ、戻ってきてほしいという本心を伝えられたときに、

「やっぱり商売人の家族なんだな」

ということを実感しました。
やはり自分が実家を継ぐのが自然な流れだと思い、東京に戻る決断をしたんです。

地方では農協はとても安定している職業で、ほとんどやめる人もいない中で
私が実家に帰ることを伝えたときはありがたいことに沢山送別会を開いてくれました。

最後は飲み疲れでインフルエンザになってしまいましたが、
温かく送り出してくれてとても嬉しかったですね。

東京にも産直の新鮮さを


現在は場所を練馬区から文京区に場所を移し、実家の斎藤商店を継いでいます。

私が北海道から戻ってみて、自分が高校生の時に感じていたストレスはそこまで感じられないような環境に、落ち着いた印象を受けました。

一方で、東京の人はあまりにも産地直送のおいしい野菜を食べる機会が
少ないと感じたんです。

新鮮な野菜はスーパーなどで売られている野菜とは全然違います。
その野菜のおいしさを少しでも東京の人にも味わってもらいたいと思い、
以前から販売している炭に加えて新たにに産直の野菜も販売しているんです。

実際、やってみると商いはすごく難しいと感じますね。
でも、自分の人生の中でたくさんの人と人とのつながりの力の大きさを感じてきていたので、
地元のことを知ろうと思い入った町内会や消防団の人たちや、
北海道にいる大学時代の友人の助けを借りながら、毎日頑張っています。

これからは、おいしいものをおいしくお客様に提供することを目標に取り組んでいきたいと思っています。

いつかは近所にパン屋なんかもあるといいなと思っています。
新鮮な野菜とパン、なんて最高ですよね!

また、自分の店の周りにはドラッグストアやコンビニ、病院、あるいは大手の系列店ばかりになってきていて、
小売店としては面白くないんですよね。(笑)
なので、小さいモールを作って小売店の地位をもっと文京区近辺で高めていきたいです。

さらに、自分で商売をしていて感じるのは、たとえ商品がいいものでも

「商品のパッケージのデザインなどの見た目で印象が大きく変わる」

ということです。

そういった人たちにまだ知られていない世の中のいいものを沢山届けられるように
私とデザイナー、ITに強い人、調理師でチームを作り全国を旅して、
素敵な商品をその場でプロデュースして

「移動式ジャパネットたかた」

のようなものもやっていきたいですね。

2014.06.06

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