島根県の隠岐諸島にある知夫里島で生まれました。大自然に囲まれた場所で、子どもの頃は山に入って遊んだり、海に行って遊んだりしていました。各地域には広場があって、そこで野球などもしました。

知夫里島の人口は、25年前は900人程度でした。同級生は14人で、小中学校全体でも80人くらい。ずっと同じメンバーで過ごしていました。ただ、島には高校はありません。隣の海士町(中之島)にある島前高校に行くか、島外に出ます。

私は小さい頃から釣りや魚を捌くのが好きで、寿司職人に憧れていました。それで、中学卒業後は島外の調理師学校に行きたいと言ったんですが、親にはダメだと言われました。とりあえず高校くらいは出てくれと言うのです。料理人の道は諦め、結局、島前高校に通うことにしました。

高校卒業後は、就職することにしました。半分くらいの生徒が就職するような環境で、進学はいっさい考えませんでした。都会に出たいとも思いませんでしたね。どちらかといえば、卒業後は知夫里島に戻りたいと考えていましたが、戻っても仕事はありません。

いつか戻ってこようとは思いましたが、とりあえずは高校に求人が貼ってあった水道工事の仕事をすることにしました。自由がなさそうな事務仕事はしたくなくて、体を動かせる水道工事は性に合っていると思いましたね。

それで、松江で働き始めました。知夫里島にどうしたら帰れるかはずっと考えていました。島でできる仕事がないと帰れません。島に戻るために、手に職を付けなければと思っていましたね。