主体性が自然に発露する教育を。研究と実践、自分だけができる2足のわらじ。

東京大学大学院博士課程で教育社会学の研究を行う福島さん。研究と並行し、中高生向けの新しい教育プログラムやカリキュラムの作成も行っています。事業会社を退職し、大学院に入り直し、意思と主体性が自然に発露する教育作りを目指すようになった背景とは。お話を伺いました。

福島 創太

ふくしま そうた |教育社会学者
東京大学大学院教育学研究科博士課程に在学しながら、教育と探求社で中高生向けのアクティブ・ラーニング型教育プログラムの開発に従事する。

【2017年9月19日イベント登壇!】【9/19 渋谷開催】ゆとり世代のキャリアの築き方 | 教育社会学者 福島 創太さんと 株式会社UZUZ代表取締役社長 今村 邦之さんと考えるゆとり世代のキャリア

サッカーに燃える学生生活


山口県下関市で、二人兄弟の次男として生まれました。父が転勤族だったので、山口から東京、新潟、東京の小金井市を点々としました。引越しを繰り返すから地元と思える場所がなく、幼馴染もいないので、代わりに家族の絆は深かったですね。

特に兄は、僕にとって大きな存在でした。自分のおやつを半分残して、僕に分けてくれるような優しい性格で、尊敬していました。小学校低学年の頃は、ずっと後ろにくっついて歩いていましたね。新しい学校に行っても、兄がいれば安心感がありました。

そんな兄の影響を受けて始めたのが、サッカーです。小学4年生のとき、兄の練習についていき、自然とボールを蹴るようになったんです。それからどんどんハマっていって、中学からは週に1日休みがあるかないかくらい、サッカー漬けの毎日でした。都選抜に入って海外遠征にも行きましたね。

勉強も割と得意でした。ただ、特に目的意識はなかったですね。試験前に部活が休みになってしまい、暇だからやっとくか、みたいな。そしたら、一年生のテストで結構いい点が取れちゃった、という感じです。そのうち「勉強できるキャラ」が定着して、ゲーム感覚で勉強していましたね。あと、歴史とかを丸暗記するよりも、倫理など解釈の余地がある分野が好きでした。

サッカー部でキャプテンを務めたり、選抜に入ったりしたこと、学校の成績が良かったこともあり、私大の付属高校への指定校推薦が取れました。実家の近くの学校で、サッカー部が強かったのが決め手でした。部活一本ではなく、文武両道でいたいという、ぼんやりした気持ちもありましたね。

高校時代は、更にサッカーにのめり込みました。2年から試合に出る機会をもらえて。しかし、そのあと大きな怪我で1ヶ月練習から離れたこともあり、3年生になってもベンチで過ごすことに。最後の引退試合に出場できないのが悔しくて、めっちゃ泣きましたね。

高校卒業後は、付属大学の法学部に進みました。法律を学びたかったわけではなくて、学力試験の成績で選べる学部の中で一番偏差値が高いという理由で選びました。将来のことは考えていませんでしたね。

深く探求し、価値観が広がる面白さ


大学に入ってからは、何か一つに絞りこまず、本当に色々な活動に参加しました。今までサッカーしかやって来なかったので、広い世界を見てみたくなったんです。自分の魂が燃えるものを探していました。カンボジアの地雷を除去する活動に参加したり、バックパックで海外を回ったり。色々試しましたね。

その中で、何かを深く探求することや、自分の中で価値観のパラダイムシフトが起きるようなことに燃えるんだなと気づきました。

例えば、カンボジアのアンコールワットって、歴史的な背景から今は壊れていて、僕はそれを修復することに違和感があったんです。壊れていることに歴史があるのにって。でも、現地の人からすると観光資源なので修復しないと生活の危機になりうる。それを知って、自分をすごく浅ましい人間だなと思ったんです。彼らの気持ちになってと思っていたけど、境遇が違うから絶対になれない。そういうことを身を以て知るためには、現地に行かなければいけないなって。

2年生の後半から打ち込むようになったゼミも同じでしたね。僕が入ったのは社会問題をジャーナリスティックに追求するゼミで、法学部らしい裁判員制度などのテーマから、自殺や性産業・就活まで幅広く議論しました。

ゼミの議論では、例えば僕が戦争について反対だと言ったら、赤旗を読んでいるやつから「その思想自体がGHQの教育の産物だよ」と言われるんです。同世代で同じ日本に育ってこんなに考え方が違うんだっていうのが面白かったですね。そんな良いショックがたくさんありました。

俺にはまだできない


ゼミに熱中する中で、社会問題の原因に関心を持つようになりました。色々な課題について知れば知るほど、「なんとかしなきゃいけないんじゃないか、なんでこんなことが起きているんだろう?」と思うようになったんです。

考えた末に僕がたどりついたのは、「個人の意思」に働きかけるという答えでした。就活も自殺も、全ての社会問題は個人の意思決定によって発生している。個人の意思さえ変えれば、全て解決できると考えました。

個人の意思に影響を与える手段を考えると、教育はすごく大きな影響があると気づきました。今行われている、子どもたちの意思を統制するようなものではなく、自らの意思で自分の人生を創り出していく子を育てるような教育をするべきだと思ったんです。それから教育について勉強し始めました。

一方で、将来の進路についてはあまり明確ではありませんでしたね。社会に何かを返さねばならないなら、好きなことで返したい、という程度です。結果的に、興味を持ったのは研究職でした。祖父が大学教授だったので、身近に感じたのもあります。理解を深めるために、様々な教授に話を聞いて回り始めました。祖父の一番弟子の方や、本を読んで惹かれた教授たちに実際に会いに行ったんです。

しかし、話を聞くうちに、研究職の実態と僕の学問に対するモチベーションに乖離があるということに気づきました。祖父の弟子だった教授にお会いしたとき、祖父が近代政治史というテーマを選んだ理由を尋ねたところ、「あなたのお祖父さんは、自分の青春時代を翻弄した戦争、社会主義や天皇制というものの正体を解明せずには生きていけなかったんじゃないかな」と言われたんです。

ガツンと来ました。「いや、ないわ、それは」って。そんな風に人生をかけられるようなテーマが俺にはない。無理無理。そんな感覚でした。

そこで、一度社会に出て、30歳までに人生を賭けられるテーマを見つけようと決め、就職活動を始めました。

就職活動では、社会問題に関われる会社か、個人の意思決定に関われる会社だけに絞り、ご縁があったリクルートに入社しました。就職や転職という大きな意思決定に寄り添えるのは面白そうだし、一人一人の意思決定を変えることが社会問題の解決に繋がると信じていたので、入社を決めました。

個人の意思は社会に規定されている


入社後は、中途採用に関わる部署に入りました。新卒入社の3人で新規事業を担当させてもらったり、日本最大の転職サイトの新商品開発を担当させてもらったり、常に新しいことに挑戦できる環境だったので、やりがいがありましたね。優秀な同期と切磋琢磨するのも、すごく面白くて。

一方で、違和感もありました。仕事はすごく楽しいし社内では評価してもらってるけど、俺が本当にやりたいのって、これなんだっけって。やはり研究の世界に足を踏み入れずに人生のテーマは決められないと思い始めました。

2年目の冬に本業が落ち着いてきたこともあり、「今こそ、研究の道に進むべき時なのかもしれない」と感じ、大学院の入試勉強を始めました。本業のかたわら、塾に入り、土日も平日も毎日仕事のあとに何時間も勉強して、めちゃくちゃ忙しかったです。自分の中で、本当に大学院に行くかどうかは悩んでいたものの、折角やり始めたし、とりあえず受けとこうと思い、勉強に打ち込みました。

無事試験に合格し、社会人3年目の春から東京大学大学院の教育学研究科、比較教育社会学コースに通い始めました。夏にリクルートを退社し、研究一本に集中することも決めました。

大学院では、夏休みの合宿で研究テーマの発表がありました。僕は、大学時代から考えていた、子どもの主体性が芽生えるようなコミュニティスクールの研究を希望しました。

ところが、話をしてみると、教授から「まぁやってもいいけど、面白くないね」と言われてしまったんです。すごくショックでした。

教授が面白くないと言った理由は二つありました。まず一つは、色んな大人と関わった方が生徒の意識は高まるということはみんなわかっているものの、制度が変わらないことや、既得権益を抱える人たちがいて導入されない。だから、誰もがなんとなくわかっていることを証明しても面白くないんだと。

もう一つは、「個人の意思」なんて存在しないということでした。僕の研究では個人の意思を重視していて、それをいかに主体的に生み出すかについて考えようとしていました。しかし、社会学の考えは全く逆なんです。社会の構造によって個人の意思が作られているから、純粋な「個人の意思」というのは存在しないというスタンスです。

それから、本気で大学院をやめようか悩みました。大学院の2年間で証明しようと思っていたことができない。これから何をすればいいんだろうって感じでしたね。

教育社会学の衝撃と罪悪感


リクルートに戻ることも考えました。でも、ここで戻るのはダサいし、まだ自分にできることがあるはずだと思ったんです。改めて、キャリア教育について愚直に研究し始めました。ひたすらインタビューをしたり、文献を読み漁ったり。教育社会学について徹底的に学びました。

すると、調べれば調べるほど、現状のキャリア形成に関する批判を知ることになりました。しかも、それはある種、僕がリクルートでやってきたことへの批判です。

教育社会学の観点から見ると、今のキャリア市場は、個人に期待しているという姿勢を隠れみのにして自己責任を押し付けているんです。社会的な構造を無視して、「自分の意思で決めたんだから後は自分で頑張ってね」という論理に繋げて、彼らが失敗したら「いや、自分で決めたんでしょ」と、自己責任を押し付けている。

でも本来は、主体的な意思が無かったとしても、それは個人の責任ではないんです。意思というものは社会の仕組みや家庭環境によって必ず影響を受けるからです。だから、恵まれた環境にいる人たちによって作られた「意思があるのが当たり前で、無いのはおかしい」という世界ってすごく窮屈なんだって、そこで気づきました。

これが一番ショックでしたね。研究テーマが面白くないと言われ、目標を失ったときの100倍ショック。本気で幸せにしたいと思ってた転職希望者や新卒の人に、自己責任を押し付けて不幸にしてしまっていたのかもしれないって。

俺のやってたことってなんなんだろうって思いました。罪悪感というか、申し訳ないというか。そんな気持ちが強かったですね。

その罪悪感に真摯に向き合い、個人の意思決定への社会構造の影響に向きあった末、修士論文のテーマに選んだのは、「20代の転職」でした。20代の転職が非常に増えている昨今、彼らの意思決定も社会構造から影響を受けている。それにも関わらず、個人の意思でキャリアは描かれていると信じ込まれていることに、問題意識を感じたんです。ここにも歪んだ自己責任が生まれるんじゃないかって。

実際に研究を進めてみると、意思決定と社会の関係は社会学で頻繁に扱われるテーマですが、20代のキャリアにフォーカスした独創性が評価されました。今非常に注目されてる事象だし、彼らのキャリアの将来を考察することは日本社会にとっても価値になるんです。

あとは、リクルート時代に出会った人たちに取材することで、研究者にはリーチしづらい層を調査できたことも評価されました。転職者に実際にインタビューした上で、キャリアアドバイザーとの面談も全て参与観察したんです。

論文が完成し、教授に認めてもらえたのが嬉しかったですね。テーマが面白いしよく書けているということで、本にしてみてはどうかと、出版社の方を紹介してもらったんです。実際に新書部門の方に企画書を持って行くと、面白いと言ってもらえて、出版が決まりました。修士論文が商業出版されることは非常に珍しいので、すごく嬉しかったですね。それから1年間は出版用に平易な言葉に書き換える作業に打ち込みました。

一方で、自分の研究の成果に対して、「じゃあ個々人はどうすればいいの?」という新たな違和感も芽生えていました。そこから、問題提起だけでなく、解決策を提示したいと思い、実業にも関わり始めました。

僕が取り組もうと思ったのはやはり教育でした。主体性や意思を圧力によって生み出すのではなく、全員の意思が自然に、純度高く発露するような教育が必要だと再認識したんです。


色々な教育組織で 一番マッチしたのが、教育と探求社でした。中高生向けのアクティブラーニングのプログラムを開発する会社です。やりたいことを自然と言えるような土壌づくりのために、丁寧な教育プログラムを作りたいという自分のビジョンを、この会社でなら実現できると思いました。

実際に現場の子どもたちと話せば話すほど、責任を押し付けずに主体性を発露させるプログラムが「この会社でならできる」と確信できたんです。「これは本物だな」と感じ、それからは、ここでやるしかないと思いましたね。

自分にしかできないことがある


現在は、東京大学大学院の博士課程に進学し、研究をしながら、教育と探求社で教育プログラムの作成に携わっています。

今一番注力しているのは、事業として自分たちが開発・提供しているプログラムの効果を、研究で立証することです。

論理的なエビデンスを持つことは、自分たちの主張を世の中に納得してもらうためにすごく効果的なんです。僕たちが作っている教育プログラムが全ての学校に導入されれば社会が変わると思っていて、だからこそ世の中に認めてもらうために実践を理論に載せる必要があるんです。2020年に導入される学習指導要領の内容とも我々のプログラムは合致していて、いま、大きなチャンスなんです。博士課程に進んだのもそのためです。

自社で運営している教育プログラムでは、「情動」を最も大切な軸としています。例えば、「子どもたちが社会問題を解決する」というテーマのプログラムの場合、そもそも子どもたちは社会問題なんかに関心は無いところからスタートするんですよ。

でも見せ方次第で子どもたちの「ちょっと面白そうだからやってみようかな」という気持ちが生まれ、いつの間にかすごいことができちゃう。そういう体験の積み重ねによって主体性が発露するって信じているんです。

人間はそもそも主体的な生き物で、それを阻害するすべてのものを省いて、主体性を発揮するような場が整えば、子どもたちは自然に、どんどん主体的になる。そう考えているからこそ、僕は「発露」という表現を使っています。

研究と実践を続けることで、格差の再生産の無い社会を実現したいですね。そう思うようになった特別な原体験があるわけではないんですけど、僕の中で、自分の人生はすごく豊かで恵まれているっていう感覚がすごく強いんです。だから自然と「みんなの人生がそうあってほしい」って感じずにはいられないじゃないですか。

はたから見ると社会貢献のように思われるんですが、そんな高尚な心境では全然ないんですよね。僕自身がやってて楽しいからやってるだけです。あまり気負ってはないんですよ。

正直、研究と実業を両立するのは難しい部分もあります。でも、難しさや忙しさを理由にして研究を手放すのは勿体無いというか、僕が社会に提供できる価値がすごく減ってしまう気がするんです。

今、日本の教育は変わるチャンスなんです。2020年の学習指導要領改定は、産業革命以来300年ぶりの歴史の大きな転換を支える改革と言われています。その転換期に、僕が研究者として、そして実践者としてできることは小さくないと自負しています。社会学で本を出すくらい本気で研究しながら、実際のプログラムも作ってる人って日本で自分一人だと思うので。やっぱり手放したらいけないって気持ちがすごく大きいです。

僕だからできる役割を果たしていきたいですね。


2017.09.15

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