小値賀住民は全員友達。
小値賀好きを増やして、島の未来を築く。

江川 春朝さん/江川商店店主・地域おこし活動

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長崎県・五島列島の北端、小値賀島で暮らす江川さん。高校卒業とともに島を出て都会に 行ったものの、小値賀でしか暮らせない体だったことに気がつきます。島に戻って地域に根ざした活動をする中で直面した小値賀の合併問題。そこから得た島の未来にとって大事なこと、そして移住者への思いを伺いました。

年齢関係なく全員友達の島・小値賀

長崎県の離島、小値賀島で生まれました。3人兄弟の三男です。実家は酒屋で、祖母が始めました。

小さい頃は自然の中で思いっきり遊んでいましたね。四方を海に囲まれているので、基本遊び場は海でしたし、海に入れない時期はアコウの木に登っていました。島に小学校は1つで、同級生は70人。2クラスでした。割と人口が多い世代でしたね。

昔から家業を継ぐことを考えていました。親は何も言いませんでしたが、漠然と、酒屋の店主に合うのは三兄弟の中で自分だと思っていたし、周りにも継ぐことを公言していました。

しかし、一度は島から外の世界に出て、社会勉強をしてみたいと思っていました。そこで高校卒業後は、大阪にある美容師の専門学校へ行くことにしました。美容師になるつもりは毛頭なかったですが、島を出る手段として専門学校への進学を選びました。

始めは楽しくてしかたなかったですね。少しの不安も入り混じった楽しさ。ですが、それは1ヶ月も持ちませんでした。本当に最初だけですもんね、憧れの都会の楽しさなんて。思った以上に最初だけで、すぐ無機質な日常になりました。あんなに人がたくさんいて密集しているのに、喋らないんですよね。

島にいたら、基本喋るでしょ。小値賀におったら、一人も他人がいません。全員が友達。年配の方にも敬語を使ったことがなかったんです。

そんな中で生活してたから、都会では急に全員他人じゃないですか。それがストレスでした。どこかのお店でご飯を食べる時も、他人と一緒の空間で食べるなんて、生きた心地がしないっちゅうか。完全に小値賀でしか暮らせない体に育ってたっていうことです。

1年間耐えて、小値賀に戻りました。大阪から小値賀に帰るには、佐世保に出て、佐世保からフェリーで小値賀へ。人と喋らない都会から抜けて、佐世保に着くと、知らず知らずのうちに、周りの人と会話しているんですよね。それで、小値賀に帰ったら、会う人会う人と言葉を交わして。人の優しさを2倍も3倍も感じました。

小値賀で暮らす人を喜ばせたい

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