鹿児島県三島村で生まれました。三島村は硫黄島、黒島、竹島の3つの離島で構成されていて、僕は竹島の出身です。竹島の人口は100人ちょっとくらい。子どもは15人程でした。

性格は内向的でしたが、遊びといえば外でしたね。自然に囲まれているので、海や川に行くことが多かったです。あとは竹に木の実を詰めて竹鉄砲を作ったり。外遊びだけじゃなくて、テレビゲームもやっていました。

遊んでばかりだったわけではありません。家は牛を飼っていたので、いつも手伝いをさせられていました。餌の草を刈る時期には、学校が終わってから夜9時くらいまで、月明かりの下で作業をしていました。島には中学までしかないので、卒業すれば作業から開放されると思っていましたね。(笑)

15歳で島を出て、鹿児島にある情報処理系の高等専門学校に進学しました。パソコンの使い方を学びたかったんです。あとは、家計に余裕があったわけではなく、寮があったことも決め手でした。

高専の授業は、居眠りができるのが嬉しくてずっと寝ていましたね。(笑)島の学校は生徒が少ないので、絶対に寝れなかったので。最初に寝る楽しみを覚えてしまい、授業についていけなくなりました。

高専は5年で卒業になるのですが、勉強についていけなかった僕は、3年でやめることにしました。他に何かやりたいことがあったわけではありません。将来のことを考えても、夢中になれるものが見つからないんです。

だからといって、島に帰ろうとも思いませんでした。長男でしたが、家から戻って来いと言われることはないです。むしろ、帰ろうとしたら「帰ってきてどうすんだ?」と言われるような環境でした。

それで、東京に出ることにしました。東京に出れば、何か夢中になれるものが見つかると思ったんです。友人の家に居候して、アルバイトや住む家を探しました。気の向くままに過ごして、バイクで日本一周なんかもしました。

都会での生活に対しては、特に何も感じなかったですね。竹島はものを買う場所がなく、島外にはよく出ていたので、都会に対する感動はありませんでした。どこに住んでも対応できる性格なんだと思います。