ゆったり、何もしないことも許される島が好き。
次の世代のためにできることを。

東 実さん/青瀬地区コミュニティ協議会会長

はてぶ

下甑島の青瀬地区のコミュニティ協議会会長として、地域おこし活動に取り組む東さん。15歳で島を出た後、島に定住を決めたきっかけとは。お話を伺いました。

社会に飛び込んだ島育ちの少年

鹿児島県の下甑島で生まれました。どちらかというと大人しい性格でしたが、よその家のみかんを取りに行って追い掛け回されたりもしました。食べるものがない時代、いつも腹を空かせていたので、目の前に食べられる物があったらすぐに手が伸びてしまったんです。罪の意識はありませんでしたね。白いご飯が食べられることなんてめったになくて、サツマイモで育ったようなものです。

僕が小さな頃は、甑全体の人口は2万近くいて、同級生も70人くらいいたと思います。小学校は300人、中学校も150人くらいの規模でした。

中学校を卒業してからは、集団就職で大阪に行きました。商売人など、裕福な家の子どもは高校に進学していましたが、半分以上の同級生は、僕と同じように中卒で就職しました。うちは漁師だったんですが、家業を継ぐ気はありませんでした。漁師の生活は不安定ですし、1日中船の上にいる生活は嫌だったんです。

それまで数回しか島から出たことがなかった僕にとって、大阪は全然違う世界のようでした。到着したのが夜だったのですが、電気が付いている街を見て「明るいな」と思ったのが第一印象です。

また、言葉の違いに戸惑いました。島の言葉は関西弁とも鹿児島弁とも違くて、全然通じないんです。相手の言葉は、それまでテレビで見たことがあったので理解できるんですけど、話せない。恥ずかしくて、何も話せませんでしたね。

それでも、すぐに都会生活の楽しさを味わうようになりました。スナックに行ったり、ビールを飲んだり、タバコを吸ったり、先輩たちに遊び方を教えてもらいました。規制が緩かったので、いろいろやりましたね。

仕事に疲れ島に戻ることを決意

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