甑島のエコツーリズムを推進したい!
元エンジニアの私が故郷で胸に抱く意欲。

山本良造さん/甑島ツーリズム推進協議会上甑島活動推進員(団体職員)

はてぶ

鹿児島県の甑島(こしきしま)列島にて地域振興・観光振興の仕事に携わる山本さん。15歳で地元を出た後、40数年ぶりに帰郷して島の観光をつかさどる仕事に着くまでには、どんな経緯があったのでしょうか。お話を伺いました。

日本と米国で活躍するエンジニア

鹿児島県にある中甑島で生まれ育ちました。子どもの頃は、おとなしい性格で先生に睨まれることもなく、良い子ぶりっこするタイプでした。

島には中学までしかないので、卒業後はそれぞれの進路に進みます。高校受験をするのは同級生の5分の1くらいで、残りは集団就職という時代でしたが、私は進学を希望し、川内の商工高校の電気科専攻に行きました。

その後、出稼ぎをしていた父が神戸の会社に就職し安定したので、高校1年生の終わりに家族で神戸に引っ越して、工業高校に編入しました。神戸の都会生活は楽しかったですね。友達とビリヤードやって、そのあとぜんざい食べたりしてね。ボーリングなんかもよくやりました。

高校卒業後はコンピューターの会社に入りました。高校の先生に勧められたんです。試験なんてないようなもので、すぐに内定が決まりました。同期は500名。とにかく人が欲しい時代だったようです。

私の職種はハードウェアエンジニア。主に、磁気ディスクをコンピューターに設置する受入・評価・サポート業務を行いました。最初の配属では神戸のクライアントの元に駐在。その後は、大阪、東京、アメリカのフィラデルフィアと、様々な地で働きました。アメリカに長期出張になったのは、ちょうど30歳のときですね。ディスクの開発業務で約1年滞在しました。

早期退職して甑に戻る

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