別の道へ歩もうともがいたことは無駄ではない。仕事への誇りと想いで実績を生む。

難民を支援する国連UNHCR協会でファンドレイザーとして働く大西さん。映画の世界に魅せられ大学を中退、映画の道に進みましたが、ある出会いをきっかけに難民支援の為に資金調達をするプロ、ファンドレイザーになり、日本一の実績を上げました。大西さんが方向転換をする時に考えたこととは?お話を伺いました。

大西 冬馬

おおにし とうま|国連UNHCR協会のファンドレイザー
国連UNHCR協会のファンドレイザーを務める。

不特定多数への表現に惹かれる


大阪府三島郡で生まれました。8つ上の兄がいます。父がサッカーのコーチをしていたので、私も兄も小さい頃からサッカーをしていました。兄は背が高くて、アクティブで、友達が多く、かっこいいなと思っていました。そんな兄にいつもくっついて中学生まで一緒に遊んでいたので、兄の同級生など年上の方と話すことが得意でした。

小さい頃からテレビ番組が好きで、特にバラエティに惹かれましたね。不特定多数の人に対して、自分を表現していたからです。演者として、画面の向こうの世界に行きたいと、ぼんやり思っていました。

高校は地元から離れたところに通い、新しい友達ができました。彼らは将来について自分の考えをしっかり持っていて、そんな姿を見て何をしたいのか考えるようになりました。

私が関心を持ったのは映画でした。幼馴染みから面白さを教えてもらったんですよね。彼とは高校も一緒で、将来は映画監督になりたいと口にしていました。

高校3年になると、教えてもらった面白い映画を毎日観るようになりました。色々な監督を覚えて、深掘りをして、映画の世界にどんどん魅了されていきました。それで卒業後は、映画の世界に入りたいと思いました。

映画が好きだったことはもちろんですが、兄への反発心が少なからずありました。小さい頃は一緒に遊んでいた兄でしたが、高校生になると会う時間が少なくなりました。大学を卒業した兄は、地元で就職、そして結婚しました。そんな兄とは違う道を進みたいという気持ちもあって、俳優になるために地元を離れたいと思ったんです。

しかし、高校を卒業してすぐに映画の道に進む勇気がなく、大学進学を選びました。大学では、一番興味があった哲学を専攻することにしました。

俳優になるため、大学を中退し上京


京都の大学に入学し、一人暮らしがスタートしました。授業は面白かったですね。哲学は答えがありません。答えがなくとも、教授も学生も自分の意見を取り込んでディベートしたりプレゼンしたりと、想いが強い人が多くて魅力的でした。

それでも、映画への想いは消えませんでした。2年生になると、アルバイトで稼いだお金はすべて映画代に消えていきました。単に作品を楽しむだけでなく、半分勉強のつもりで、新旧洋邦問わず鑑賞して。映画に携わりたい想いがどんどん強くなりました。

一方、大学では人間関係がうまく築けませんでした。ここにずっといて、自分はどうなるんだろうと考えていたのが悪循環になったんです。学校に通うことがだんだん辛くなっていく。辞めたい思いはあるけど、周りに言えない。

それでも、気づいたらそんなことを言っていられないくらい、学校に行きたくない気持ちが強くなって、授業も出なくなり、テストも受けなくなりました。

その中で残るのは、やはり映画への想いでした。俳優だったら自分の体ひとつあれば表現できるので、俳優になるために映画の専門学校に通うことを決めました。調べる中で、東京にある映画学校を見つけました。そこは卒業制作で実際に映画を三本撮るのですが、三作品とも私の好きな監督が撮ることを知って、そこに入学しようと決めました。

それで、親に、中退したいことと東京の学校に入学したいことを相談しました。「生活費用は把握しているのか」と心配をされましたが、最終的には賛成してくれました。

大学中退後、東京に引っ越して、映画学校に通う日々が始まりました。学校は楽しかったですね。同じ想いを持った人たちが集まっているので、人間関係もうまくいきましたし、東京での生活にストレスはありませんでした。1年間映画を勉強し、卒業制作の映画は一般の映画館でも上映されました。スクリーンに映った自分を見て感じたことは、セリフにも想いが込められていて、演じる側も想いがあるけど、それが映し出されるかどうかは別で、面白いなと思いました。

在学中から事務所のオーディションをいくつか受けつつ、卒業後は、アルバイトをしながら、学校の同期とお金を出し合って自主制作を始めました。

親切心と勇気の心を持って話しかける


最初は同期と映画を撮っていましたが、学校の繋がりや撮影を通して知り合った人と制作するようになり、俳優だけでなく監督を担当することもありました。作品では、人の感情をどうやって表現できるかをテーマにしていました。人と人がぶつかったとき生まれるものを描きたかったんです。完成した作品は映画祭に出品しました。

アルバイトはサービス業をしていました。ある日の休憩中、休憩場所に自分より一回りくらい上の男性がやってきました。会った瞬間に惹かれましたね。今まで会ったことがないタイプの人で、「この人だ」と何かを感じました。隣に座っていろんな話をしました。この人から学べることがたくさんあるだろうなと感じました。そこから休憩中、話すようになり、飲みに誘われたら必ず行って色々な話をして、友達のような仲になりました。

交流が深くなった頃、彼が国連UNHCR協会に転職しました。彼はもともと、2009年に国連UNHCR協会が街頭での対面型募金を行うFace to Faceチームを立ち上げる時のメンバーだったんです。仕事場が別々になっても、たまに飲みに行きました。そこで、一緒に働かないかと何度も誘われました。嬉しかったですね。しかし、私は難民支援の勉強をしてきたわけではありません。そんな自分が働いていいのかという迷いがありました。

彼は、ファンドレイザーと呼ばれる仕事をしていました。団体の活動資金を調達する方法はいくつかあるのですが、先のFace to Faceチームのファンドレイザーとして街頭に立って、一般の方から難民支援のために寄付を募って資金を集めていました。現地には難民の保護をする職員の方がいますが、ファンドレイザーは職員のためにお金を集めていて、お金がなければ技術も生きないと、彼は教えてくれました。それなら私にもできるかもしれないと思ったし、「向いていると思う」と言ってもらえたんです。

そんな時、彼がFace to Faceファンドレイザーの中で世界一の成績を収めたんです。ジャンル問わず、世界一の仕事を目指せると思ったら気持ちが高まり、前の仕事を辞めファンドレイザーになるための試験を受けました。面接は問題なかったのですが、実地試験が全くダメでした。実地試験で落とされることは稀なのですが、私には他の方のように、難民への強い想いはなく、街頭でうまく説明できませんでした。それでも、彼が上に掛け合って、猶予期間をもらってくれて、1ヶ月間必死で頑張った結果、入職することができました。

その中で、私が街頭でできることは、ファンドレイザーとして目の前の方に対して難民の現状や問題を伝え、ご自身にも出来ることがあるんです、とお伺いを立てることだと気付いたんです。そのために伝え方や表情、声を工夫したり、その人に合った声のかけ方や話し方を突き詰めたりして、プロのファンドレイザーになろうと思いました。

それと同時に、プロになるために大切なことは勇気ではないかと考えました。支援してくださる方と話す中で、彼らは親切心と勇気の心を持っていると感じました。ならば、同じように勇気を持って話しかけようと心がけました。そしたらだんだん資金を集められるようになり、入職して1年6ヶ月で日本で1位、世界で3位の成績を収めることができました。

ファンドレイザーとしての誇り


現在は、街頭での資金調達の仕事に加えて、ファンドレイザーの認知拡大に励んでいます。

私は、ファンドレイザーとして、駅や商業施設で寄付金を募っています。目が会った方に挨拶をして、その方が自然に足を止めるように心がけています。そして、その方が疑問に思っていることを解消できるよう、なぜここにいるのか、何をしているのか、何のためにしているのかという話をしています。

1日7時間、暑い日も寒い日も、そこを通る方にお声掛けし続けることは楽なことではありません。足を止めて話を聞いてくださる方が多いわけではありません。その中で、自分が選んで声をかけた方が支援してくれる時があるから続けていけるんだ、と思います。別れ際、「声をかけてくれてありがとう」と言ってもらえたことがあって、それは嬉しかったですね。

ファンドレイザーは、プロフェッショナルの仕事だと思っています。スポーツ選手でも料理人でも、プロの方はプレッシャーを抱えながら、より良い仕事を目指しています。それと同じ気持ちで働いているので、楽しみを感じると同時に、誇りを持っています。

街頭ではUNHCRの名前が入ったベストを着ているので、国連の職員だと思われる方がいますが、我々は国連の職員ではありません。ただ、国連UNHCR協会は日本の公式支援窓口であり、僕たち自身も難民支援の現場で働く国連職員と同じ意識を共有出来るていると思っています。

今後は、ファンドレイザーとしてさらに向上できるよう、仕事を追求していきたいですね。人道支援という大きなテーマですが、楽しくできるように工夫したり、一般の方が日常会話で寄付の話が自然とでてきたらいいなとか、ファンドレイザーの仕事を一般的に知ってもらうためには何が必要か考えています。

あとは、毎年9月〜10月にかけて難民映画祭が開催されています。それに対して自分でもアクションを起こしつつ、映像に携わってたことを活かせる時がきたら、撮りたいと思っています。

2017.07.18

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