誰もが個性を生かし、自由に生きる世の中へ。
目指すはキャリアの「保健室の先生」。

キャリアコンサルタントとして、「自分のキャリアを自ら創り出す」をコンセプトに活動する傍ら、講師やラジオ番組のパーソナリティも務める森さん。今の仕事にたどり着くまでには様々な転機があったとか。なぜキャリアコンサルタントの道を選んだのかお話を伺いました。

森 清華

もり さやか|キャリアコンサルタント
キャリアコンサルタント(企業向けキャリア形成・人材育成支援)、企業研修講師、キャリアをテーマとしたラジオ番組のパーソナリティ、ビジネスイベント等の司会など、幅広く活動している。

【2017年8月15日イベント登壇!】another life. 〜「会社を替える」と「会社を変える」〜

働くことが好きだった学生時代


神奈川県横浜市で生まれました。三姉妹の末っ子です。トランプやボードゲームが好きで、小さい頃、家族でよく遊びました。勝った人から好きなケーキが食べられるという決まりがあったんですが、家族に手加減はなかったですね。負けて泣いていると、親に「勝負の世界は厳しいんだ」と言われました。

他にも土地や石油を買ったり取引したりするボードゲームが好きでしたね。いかにこの勝負に勝つか、推測していくのが楽しかったです。新しいことを吸収していくことに夢中でした。

高校は県立の学校に通いました。部活は週に2〜3日出席すればいいバレー部のマネージャーを選びました。自由な校風だったこともあり、アルバイトに力を入れたかったんです。宿題が多かったので、勉強に割く時間もそれなりにありましたが、空いた時間でコンビニのアルバイトをしていました。社会で働くことに憧れていたので、アルバイトはどうしてもやりたかったですね。

将来についての具体的なイメージはなくて、「勉強は好きだから、何か学びたいな」という程度でした。親からは小さい頃から「やりたいことをやりなさい」と言われていました。父が経済学部出身だったということもあったせいか、他の学部よりも興味があって、政治や経済が学べる学部を目指しました。

大学入学後は、アルバイトに没頭しました。家庭教師やウェイトレス、テレアポなど13〜14種類の業種で働きました。お金を貯めて、ベトナムやタイ、ヨーロッパなどに旅行するのが好きだったんです。大学のベンチで友達と旅行の計画を立てるのが楽しかったですね。

様々なアルバイトをすることで、世界がどんどん広がっていきました。特に印象に残っているのは、家庭教師の営業サポートでした。既に契約が口頭で決まっている家庭を訪問して、最終的な契約締結をお願いしに行く仕事です。最初は緊張して、答えられない質問が来たらどうしよう、と不安でした。

でも、恐る恐る部屋に入って、お話すると、その場で契約が成立して、お金をいただくことができたんです。初めて営業をした瞬間でしたね。対面で反応がリアルに返ってくるのが面白かったですし、経験のない自分にお金を払ってもらえることが嬉しくて、信じられない気持ちでした。

このときの感動から、大学卒業後は営業の仕事がしたいと思い始めました。営業の中でも、女性がほとんどいない、且つハードルが高いベンチャーキャピタルを選びました。 ベンチャーキャピタルとは、成長しそうなベンチャー企業に対して投資と経営支援を行う仕事です。周りの人がまだ気づいていないけれど面白そうで、難易度が高いものに挑みたいという気持ちが強かったですね。

最終的に、国内のベンチャーキャピタルに就職を決めました。決め手は職場の雰囲気の良さでした。どんな仕事をしているのか詳しくは分からなかったけれど、そこで働く人の雰囲気がいい会社がいいなと思ったんです。

体育会系の職場で鍛えられる


会社で働き始めると、想像以上に体育会系で厳しい職場でした。配属された投資部は全体で80人位いて、新規投資先となるベンチャー企業経営者に片っ端から会いに行きました。アポが取れない人間はいらない、という雰囲気で、社内でのプレッシャーは相当大きなものでしたね。

社外でも、もちろん大変でした。経営者を目の前に、「話す・聞く・メモを取る」が同時に出来ず、かなり苦労しました。大事なことを聞かずに手ぶらで会社に帰ると、「何しに行ったの」と上司に叱られるんです。辛いと思う余裕もなくて、「とにかく行かなきゃ」と、そればかり考えていました。

それでも仕事を辞めたいと思ったことはありませんでした。「これぞ日本をリードしていきそうな人物だ」という経営者にひとりでも多く会えるかどうかの勝負の日々で、毎日が刺激に溢れているんです。色んな人に会えるのが、楽しくて仕方なかったですね。

また、海外との連携を促進する部署に異動し、上海に行ったこともありました。大学生の時から海外は好きだったので、海外出張にはとても前向きに取り組めたんです。上海のスケールの大きさや日本と違うビジネススタイルに触れて、世界は広いんだと実感しました。「この職場で本当にやりたいことができているな」と感じて毎日過ごしていましたね。

リーマンショックで環境が激変


仕事を楽しんでいた頃、リーマンショックが発生しました。会社にはじわじわとダメージが広がり、周りの環境が激変しました。給与面はもちろん、人も辞めていって、当たり前だと思っていた環境が当たり前ではなくなったんです。経営体制も大きく変わり、所属していた海外連携部署そのものがなくなって、好きだった仕事ができなくなりました。

そんな中、辞令が出て、経営管理部門に移りました。今までやってきた営業とは真逆の世界です。全くの予想外だったので、辞令を聞いたとき、一瞬時が止まりました。周りの同僚にも当然営業だと思われていたので、「前の仕事内容と全く違うけれど、あなたここで大丈夫」と心配されましたね。

「会社の意向だからしょうがない」と切り替えましたが、この時初めて、「会社に頼っちゃいけない」と思ったんです。自分で考えなければ、と。それでも会社が好きだったので、辞める選択肢はありませんでした。とにかくなんとか経営状態を元に戻したくて、働きに働きました。予算管理、IR、株主総会など、修行のような感覚でしたね。上司と二人で、「苦しい時代だけど、歯を食いしばろう」と一生懸命でした。

その後、管理部門から外部機関にも出向しました。一通りの業務を経験し終えた時、やりきった感があったんです。「次はどうしよう」という気持ちが生まれ、退職を考え始めました。

ただ、いざ退職を決めても、自分が何をやりたいのか分かりませんでした。「投資も経営管理もやったけど、私には専門といえるものが何もない」という不安があったんです。

やりたいことがない中、今転職すると、前職の経験と似たような仕事になってしまう。それなら、いっそのこと留学しようと思い立ちました。行った先で何をするかは、後で考えるつもりでした。留学する直前に人材紹介会社に何件か登録し、担当の方のところに「留学から帰ってきたら、よろしくお願いします」と言いに行きましたね。

そうして31歳で会社を辞め、ボストンへ語学留学することにしました。アメリカに行きたいという漠然とした憧れがあったんです。その中でも東海岸を選んだのは、「西海岸には知り合いがいるから、身近な人が誰もいないところにしよう」と思ったからです。

留学先・ボストンでの出会い


憧れていたアメリカは、すごく肌が合う国でしたね。解放感があって、リベラルで。授業やホームステイ先で、「あなたはどう考える?それはなぜ?」と常に聞かれることに、大きな影響を受けました。同じものを見ても、人によって捉え方や感じ方はさまざまで、周りの人と違っていてもそれで良いんだと実感しました。

実は留学中に、日本の人材紹介会社から、いくつか転職先を紹介されていて、スカイプで面接していたんです。でも、どうしても直近で経験した業務になり、「せっかくアメリカに来たのに、帰国後転職してしまっていいのだろうか」とモヤモヤした気持ちがありました。好きなこと、いいなと感じていることが何なのか、もう一度掘り下げてみることにしました。

その一つに、アメリカのサンドイッチがありました。どの店で食べてもすごく美味しいんですよ。日本のサンドイッチとは違って、アメリカのサンドイッチはひとりひとりが好きなものを組み合わせてオーダーする形式です。並んでいる具材は一緒なのに、ひとりひとりの組み合わせ、味わいが異なり、「なんて個性を表す食べ物なんだろう」と感動しました。日本にもこんな風に個性を表す食べ物があればいいのにと思いましたね。

そこで、語学学校の授業のプレゼンの際に、ふと思い立ち、クラスメイトや先生に「日本に帰って、人の個性を表すサンドイッチ屋さんを開きます」と宣言したんです。先生もクラスメイトも皆応援してくれました。そこで先生から紹介を受けて、起業家や投資家が集まるインキュベーター施設にも行き、皆に応援してもらえたんです。周りのベンチャー気質な人達の雰囲気や彼らの応援が力となり、転職はやめて独立しようという決意が固まって、帰国しました。

日本に帰ってから、早速サンドイッチブランドの立ち上げを目指して動き始めました。友人の会社がフードデリバリーの事業を展開していたので、相談したら、「サンドイッチ分野はないから、作ったら」と言われて、友人の会社内で新ブランドを立ち上げました。

ところが、サンドイッチブランドが出来てしばらくすると「私はサンドイッチ屋さんがやりたかったんだっけ」と、新たな葛藤が生まれました。留学した時に私が惹かれていたのは、サンドイッチを売ることそのものではなく、「個性を表す」という部分だったんですよね。人の個性を応援したいという気持ちに気が付いたんです。

その後、ご縁をいただいてベンチャー企業の管理部門責任者やベンチャーキャピタルの創業メンバーを務めながら、キャリア支援の事業に取り組み始めました。

仕事をする上での軸は、人の個性を応援して成長を後押しすること。どうすればよいか考えた末、直接自分の体験や知識をお話するのが一番だと思い、社会人の留学支援のためのセミナーを開き始めました。そしてセミナーを開くうちに「留学に限らず、キャリア全般の悩みを扱いたい」と思うようになり、活動の幅がどんどん広がっていきました。

キャリアの保健室の先生に


現在は、独立して「Career Creation」という名前で、主に企業向けのキャリアコンサルティングを行なっています。ベンチャーキャピタルやベンチャー企業での経験、キャリアコンサルタントとしての知識・スキルを活かし、様々な業種の企業に訪問して、社員の方の仕事やキャリア上の相談を受けたり、企業研修を通じて人材育成に取り組んだりと、よりよい企業にするためのお手伝いをしています。

また、個人でラジオ番組を持っていて、企業経営者を中心としたゲストの方に「人生の分岐点で何を考え、どう行動したか」を聞き出す番組を毎週放送しています。これから先のキャリアをどうしようか悩んでいる人に、考えるヒントや行動のきっかけを掴んでもらいたい、という思いがあります。ラジオという身近な媒体を使うことで、リスナーにとって普段から自分の人生を考える機会になればと思っています。

最近は仕事で20代後半から30代の人と会うことが多く、その年代の人は特にキャリアに悩んでいると感じます。誰もが先のことを考えて不安になるタイミングなんですよね。そこで一度立ち止まって「今、なぜこの仕事をしているのか」など、じっくり自分に向き合って考えることが大事だと思うんです。

だからこそ今は仕事やキャリアに悩む人に一人でも多く会いたいです。人の成長に関わっていきたいので、そのために、1対1のキャリアコンサルティングやビジネススキルを向上させる研修を行っていますね。私はベンチャーキャピタルという起業家の支援に携わっていたキャリアコンサルタントとして、誰もが自分の生き方を自分でデザインしていく世の中になればいいなと思っています。自分の可能性を信じて、挑戦しようとしている人の背中を後押ししたいと思うんです。

私は、キャリアコンサルタントのことを、安心して相談できる「保健室の先生」だと思ってほしくて、コンサルタントへの相談は、「キャリアの健康診断」として捉えてほしいんです。現在の自分を見つめ直し、考えや気持ちを整理して、課題や目標、今やるべきことを明確にしていく。第三者だからこそ、冷静にアドバイスできることがありますね。

世の中の人や企業が、「キャリアの保健室」で安心して相談でき、力をつけて飛び立っていく。私はそのための存在でありたいんです。本当に安心して、自分のことを言える環境やきっかけを作っていきたいですね。

2017.07.11

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