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人生が発露するかっこいい大人が理想
大学ではアカペラサークルに入りました。最初はカラオケ仲間が欲しくて入ったんですけど、そこでたまたま先輩のバンドに入れてもらえたんです。テレビ番組の影響でアカペラが流行して、そこそこ有名なグループでした。
僕にとって初めてのステージは大手百貨店でのクリスマスライブ。結果は散々でした。ライブ中、お客さんを見ずに、先輩の顔色ばかり伺っていたんです。終演後、リーダーに「下手でもいいからとりあえず笑え。楽しそうにしていたらお客さんも笑うから。」と言われました。
それ以降、どんなに下手でも満面の笑みで歌うようになりました。そしたら、ファンの方から「楽しそうに歌っているから元気が出る。」との声を頂くようになったんです。誰かを楽しませたい、喜ばせたいなら、まずは自分が楽しむ。そんなことをアカペラから学びました。
本格的に卒業後の進路を考え出し、大学4年の時に、弁護士の勉強を始めました。それがとにかく面白かったですね。アカペラで全国的に有名になって、プロにでもという話もあったんですが、歌は稼ぐものというより楽しむものだという思いが強くて、そのまま勉強を続けました。
同じ頃、同級生に誘われて、国家公務員の説明会に行きました。そこで登壇した総務省の採用担当の方が、僕たち学生にこう言ったんです。「一緒に日本を良くしていこう。」と。このおっちゃん、カッコいいと思いました。40代の方でした。その方の目や立ち姿に人生が発露していて、自分も20年後、学生の前でこんなことを言える大人になっていたいと、憧れましたね。
最後まで弁護士になるか、官僚になるか、迷いました。最終的に進路を決めた大きな理由は親の存在です。あんなに強かった親が年老いていき、いつの間にか守るべき対象に変わっていたんです。もし介護が必要になった時には近くにいたい。官僚は多忙で親の死に目に会えるかわからないこともあり、弁護士を選びました。
卒業後は神戸大学のロースクールに通いました。優秀な若い先生方と勉強熱心なクラスメイトと勉強ばかりの日々で、無茶苦茶仲良くなりました。しかし、先生を交えて議論をしても、先生自身が考えた説ではないので、最終的には「こうだと思うよ」と推測で話が集結してしまう。自分たちがやっている議論に意味があるのかという違和感がありました。
どうせやるなら徹底的にやりたい、教科書を書いている先生に習いたいと、再び受験勉強をし直して、東京大学のロースクールに編入しました。課題がある説に対して、先生に詰め寄ってかわされたこともありましたが、何かを変えられるかもしれないという可能性にワクワクしましたね。
一方で、勉強すればするほど、法解釈には限界があり、それ以上は立法の問題であることも知りました。徹底的に勉強していたからこそ、無力感がありました。そんな時、頭に浮かんだのが「一緒に日本を良くしていこう。」と語った総務省の方の姿でした。カッコいい公務員にワクワクした思いが蘇り、官僚になることを決意したんです。それからは総務省一択に絞って官庁訪問をして、試験を経て無事内定をいただくことができました。