顧客志向の姿勢こそ、サービスの原点。社会課題の解決と企業活動の融合を目指す。

広告会社で働きながら、社会課題を解決する団体にも関わる倉増さん。「東京で成功したい」と野望に燃える青年が、社会や次世代のための活動に目が向くまでには、どのような体験があったのでしょうか。お話を伺いました。

倉増 京平

くらまし きょうへい|情熱に狂った人の支援
広告会社にて、マーケティングのデジタル化に取り組みながら、様々な社会活動団体をサポートする。

自由な東京で生きたい


大阪府八尾市で生まれ、堺市で育ちました。小さい頃から勉強も運動も苦手で、ぼーっとした子どもでした。好きだったエレクトーンを弾いている時は現実感があるんですけど、他の時間は、意識が薄いというか、ふわふわしているというか。3月生まれだから周りの人よりも成長が遅いのかな、なんて思っていましたね。

ところが、その違和感は中学生、高校生に成長しても変わりません。むしろ、周りとのズレは大きくなりました。自分以外の人が何を言っているか分かりませんし、気づけば、周りから誰もいなくなっていたように思います。

集団でいるのが苦しい。どうして周りと違うのか分からない。殻に閉じこもってしまい、高校はほとんど行きませんでした。

その代わりに、アルバイトばかりしていました。お金を稼ぐのは楽しかったんです。幼い頃から早く自立するようにと言われていた影響かもしれません。将来ひとりで生きるために、お金を貯めようと思っていましたね。

高校卒業後は東京に出ようと思っていました。将来の夢があったわけではなく、漠然とした憧れです。僕の名前「京平」には「京(国の中心)を平和にする」という意味が込められているので、都心で国のために働くべきだという、使命感のようなものもありましたね。とにかく、都会に出たら何か変わるんじゃないかと思っていたんです。

東京に出るためには理由が必要だったので、東京の大学を受験することにしました。不合格になりましたが、東京で浪人生活をさせてもらうことになり、これまでの地方での窮屈な環境からやっと抜け出せると思いましたね。

自由な東京で自分の人生をデザインできる。そんな気持ちで、上京したんです。

成り上がりたい。負け犬にはならない


新聞配達をしながら浪人生活を送りましたが、勉強したのは初めの1か月くらい。遊んでしまい、二度目の受験でも全て不合格でした。

親からは、大阪に帰るように言われました。でも、僕は帰りたくなかった。このまま何も成し遂げずに帰ってしまったら、まるで都落ちじゃないですか。それが嫌で、東京で生きていくと宣言しました。意地を張っていたんですよね。

自活しようと思い、まずは給料がよかったホテルで働き始めましたが、一生ホテルマンでいる気はありませんでした。東京に来たからには、何かでサクセスしたい。でも、何をしていいかは分からなくて。映画監督や社長など大物になるとを妄想しましたが、現実味はありません。情熱をぶつける対象が見つからず、モヤモヤしていました。

ちょうどその頃、営業人材募集の求人広告を目にしたんです。「月収100万円も夢じゃない」そう書かれたキャッチコピーを目にした瞬間、この仕事に賭けると決めました。それだけ稼げる力が身につけば、成功への道も開かれると思ったんです。

仕事内容は、個人向けに英会話教材を販売すること。見込み客のリストはないので、自分でお客さんを見つけるため、ターミナル駅の周辺で通行人に次々と声を掛けました。ナンパと同じです。それで、見込み客ができたら電話を掛けます。最初の一言で相手の心を掴もうと努力したんですが、ガチャ切りされるのがオチでした。

1件も制約できない月なんてザラでしたよ。成果報酬型の契約で、働けば働くほど経費がかかるのに、報酬は一向に増えなくて、お金がどんどんなくなりました。半年経つ頃には親に生活費を借りる始末。

それでも、仕事を辞めようとは思いませんでした。自分なりに考えて動くことが楽しかったですし、何より、ここで成功することに賭けていたんです。それまで何をしても投げ出してきたので、ここで一つカタチにしたかった。成果を出している先輩がいるのだから、無理な仕事ではない。逃げたら負け犬。必死に頑張れる自分を保ちたかったんです。

ただ、いくら頑張っても成果は出ません。あまりにもお金がなくて、100円ショップで買った干しぶどうをおかずに水道水で過ごすこともありました。最終的に「今、やめたら人生の敗北者だ。金が無いなら消費者金融で借りればいいじゃないか」と上司に言われた時、辞める決心がつきました。借金をしてまで続ける仕事だとは思わなかったんです。入社して8ヶ月。挫折感はありましたが、辞めることに納得感もありました。

前に進むために職を転々とする


英会話教材販売の仕事を辞めてから、生活を立て直すために固定給の仕事を探しました。この時、ひとつ決めたことがあります。「相手のニーズがないものを売るセールスは絶対にしない」ということです。

英会話教材の飛び込み営業は、望まれていない仕事でした。道を歩いている人にいきなり声をかけるんですから、当然です。相手のニーズがなければ、どんなに真剣に仕事をしても意味がないし、こちらもさもしい気持ちになります。お医者さんのように、「先生、どうか診てください」と請われて、依頼に応えるような仕事をしたいと思ったんです。

その後、まず始めたのがお弁当屋さんの仕事。ご飯を食べたい人が買いに来るので、そりゃニーズに応えているわけです。その次が、エンジニア派遣会社の営業。オフィスワークを学んで、いわゆる社会人になりたいと思ったんです。ただ、派遣先でエンジニアが何をしているのかイマイチ分からないので、営業するイメージが持てません。そこで、現場を知るために、自らが派遣社員になってみました。

クライアント企業に入り、ITのヘルプデスク業務を担当。社員からくるIT関連の相談に対応したのですが、正直、かなり暇でした。給料も良かったし、安定もしていましたが、物足りなさを感じるんです。このままのんびりと過ごしていたら、ダメになる。お金だけではなく、やりがいも大事だと気づきましたね。

ちょうどその頃、世間ではITバブルの真っ只中。何かを成し遂げるにはこの業界だと思い、ITベンチャーに入りました。

ところが、入社1年後にITバブル崩壊。業績が悪化して、最年少の僕はリストラの対象になり、会社を去ることになったんです。まさか21歳でリストラを経験するとは思わなかったですね。

次は、広告会社で働きたいと考えていました。前職でWEBサイト制作の営業をしていた時、「広告会社に全部任せてるから」と言われて断られるケースがよくあって、広告会社はどんな仕組みで仕事をしているのか知りたいと思ったんです。

すると、大手の広告会社のグループ会社の求人広告が目に飛び込んできました。ネット専門の新会社で、スタートアップメンバーを探しているとのこと。「これだ!」と思い、応募しました。

面接で「ガッツ」と「ギラギラした目つき」が印象に残ったということで採用。契約社員から正社員となり、グループの本体企業に出向となりました。ちょうど22歳の4月1日入社で、同期は同い年の大学を出た人たちでした。

広告会社で仕事を始めた頃は、WEB広告の営業を担当しました。覚えることは一生懸命やったし、大きな仕事をできること自体は楽しかったんですけど、一生の仕事にしようとは思いませんでしたね。多くの場合、広告の制作物を代理で作るだけで、結果が出なかったとしても「認知度が上がりました」といってごまかしているような感じがして。お客さんの利益につながっているのか、少し違和感があったんです。数年働いて、次に行こうかな、くらいに考えていました。

仕事をすごく面白いと思い始めたのは、マーケティングの発想が入ってきてからですね。「データをマーケティングに活かす」という発想で仕事をしている人と出会ったんです。インターネットって、ユーザーのデータを詳細に取れるので、どういう思いでサイトを訪れたのかある程度把握できますよね。データを駆使し、ユーザーのニーズに合ったコンテンツを提供していく。これこそネットの本質であり、僕が思い描いていた理想の仕事だと分かりました。

その仕事を思いっきりやるために、しばらくしてから、グループ本体企業でマーケティングコミュニケーション全般を担当できる部署にグループ内転職(厳密には出向)しました。

会社の仕事だけをしてる場合じゃない


広告会社に入り、ビジネスパーソンとして鍛えてもらいましたし、生活も安定したので結婚して、子どもも生まれ、家も買うことができました。大手企業の派手な広告キャンペーンも担当できて、「いつか大きな仕事をしたい!」と思っていた気持ちは満たされ、文句なしの生活を送っていました。

そんな時、心臓に異変が見つかりました。29歳でした。5年連続「要検査」の診断結果が出たので、さすがにと思って精密検査をしたところ、医師から「このままだと30代半ばで死ぬ」と宣告されました。手術しない限り助からない。入院を強く勧められました。

手術の成功確率は7割。7割ということは、裏を返せば3割の確率で死ぬわけです。

「ガビーン」っていう感じで、最初は意味が分かりませんでした。自分が死ぬなんてピンとこないですから。それでも、他に選択肢がないので、手術と向き合うしかありません。恐怖や不安を感じる余裕すらありませんでした。

幸いなことに、手術は無事成功しました。それから、様々な思いが頭をよぎるようになりました。人間っていつかは死ぬということ。心臓に異変がある自分は、もしかしたら人より早く死ぬかもしれないこと。生きてるって大事だなと思いましたね。だからこそ、生きている間の時間を何に使ったらいいのか、しっかりと考えるようになりました。

多くの人が憧れることはやった気がします。あとは、会社での出世を目指すくらいかな。でも、出世のために自分を殺してまで生きるのはしんどい。もっと違うことにチャレンジしてみようという気持ちが、ぼんやりと湧き上がってきました。

それから「会社のために頑張る」というのは少なくなりました。手を抜いているわけじゃありません。ただ、限りある人生の中で、会社の仕事だけをしている場合じゃないと思い始めたんです。

さらに、東日本大震災を経験してからは、社会課題に目が向き始めました。震災を境に、多くの人が社会活動に取り組み始めていました。僕自身は、その感覚がよく分からなかったんですけど、何が起きているのか知りたくて、社会活動に関わるイベントや講演会に参加して、情報を集めました。

35歳を過ぎる頃には、世の中にある色々な課題が見えてきて、自分にも何かできるんじゃないかと考えるようになりました。僕は仕事で、多くの大手企業と関わります。大企業のマーケティング活動と社会活動をマッチングさせることができれば、社会課題を解決していけるんじゃないかって思ったんです。

ただ、企業のニーズは把握していましたが、社会起業家のニーズは分かりませんでした。彼らはどういう思いで行動し、何に困っているのか知るため、NPOや社会起業家の人たちと直接話しをして、いくつかの団体では、実際に中に入って仕事をするようになりました。

社会活動と会社活動をマッチングする


現在は、生活を支える「ライスワーク」として広告会社で働きながら、人生の時間を使う「ライフワーク」として複数の社会活動に参加しています。キャリア教育や、働き方を変える取り組み、起業家の応援と、多種多様な団体に関わらせてもらっていますし、気になった人や団体には自ら声をかけて飛び込むようにしています。

僕のできることは「人や何かを支援すること」だと考えています。広告の仕事だったら、クライアントのやりたいことを叶えるために支援する。社外の活動でも、やりたいことを持つ人を支援する。もちろん、全部を叶えてあげることはできないけれど、一助となることをしたいんです。

僕は、情熱に狂っているような人が大好きなんです。本来その人がしなくてもいいようなことを、見返りを求めずにやっている姿に惚れてしまうんですよね。

今後は、社外でやってきた社会活動を、会社の仕事と近づけたいと考えています。そのためには、社会課題の解決が企業にとってどんな価値になるのか、分かりやすく伝える必要があります。社会貢献活動ではなく、ビジネスとしてやる。そのために、評価指標を設定し、投資メリットを可視化する。そうすれば、企業も資金の提供に前向きになるのではないでしょうか。企業と社会活動の団体をつなぐ役目を果たしていきたいです。

特に、今はスタートするのに適切な時期だと思います。2015年に国連が「持続可能な開発目標のための2030アジェンダ」(SDGs)を採択しました。2030年までに貧困や飢餓、エネルギー、気候変動、平和的社会など、持続を見据えた開発を進めていこうというのが趣旨です。

このコンセプトは東京オリンピックの運営にも適用できるでしょう。オリンピックはスポーツの祭典というだけでなく、日本をアピールする絶好の機会となるはず。このコンセプトを使って参加を促せば、1社だけでは不可能なプロジェクトも、多くの企業を巻き込んで推進できます。

これからの子どもたちの未来を考えた時、今の世界には課題が多すぎます。正直、次の世代まで持たないのではないかと思うことすらあります。課題解決のために頑張る人同士をつなぎ、多くの人を巻き込むことで、僕なりの貢献をできたらと思います。

時間は有限ですし、どこまでやれば達成といえるかなんていうイメージはありませんよ。でも、一歩でも前進することが大事だと思うんです。例え僕が死んでも、同じような想いを持つ人が広がればいい。目の前にある課題が見えてしまった以上は、逃げずに向き合いたいんです。

妄想を構想に、構想を活動に。僕の取り組みを通じて、自分にもできるんだよって思ってもらえると嬉しいですね。

2017.03.19

ライフストーリーをさがす
fbtw

お気に入りを利用するにはログインしてください

another life.にログイン(無料)すると、お気に入りの記事を保存して、マイページからいつでも見ることができます。

※携帯電話キャリアのアドレスの場合メールが届かない場合がございます

感想メッセージはanother life.編集部で確認いたします。掲載者の方に内容をお伝えする場合もございます。誹謗中傷や営業、勧誘、個人への問い合わせ等はお送りいたしませんのでご了承ください。また、返信をお約束するものでもございません。

共感や応援の気持ちをSNSでシェアしませんか?