度々起こした権力への造反。
それは「民間の力」を信じているからこそ。

衆議院議員として地方創生や国家戦略特区などを担当し、日本社会の問題に真っ向から取り組んできた平さん。そこには自分だからこそできること、自分にしかできないことがあるのだと語ります。その理由とはいったい何なのでしょう。お話を伺いました。

平 将明

たいら まさあき|衆議院議員
自由民主党所属の衆議院議員(4期)。

2016年12月4日(日)平将明さん登壇イベント「another life. Sunday Morning Cafe 〜あなたの未来を変える生き方〜」開催!

平将門公の名にあやかる


東京都内で生まれました。両親は神田明神に祀られている平将門公にあやかって、将明と名付けたようです。一時はそのまま将門と名付けられるところだったそうですが、母が「学校でいじめられる。」と反対したそうです。(笑)

親の心配とは裏腹に、小学校の時はガキ大将でした。ケンカもよくしました。中学受験の数週間前にもケンカをし、馬乗りになってパンチをしたら、相手によけられ床を思いっきり殴ってしまい、右手がパンパンに腫れて鉛筆が持てなくなってしまいました。運よく早実にパスしましたが、親にはえらく叱られました。

小さい頃から、将来何になりたいと、明確なものはありませんでしたが、何となく「政治家になるんだろうな」という予感を持っていました。いつもニュースを見て怒っているような子供でしたから。また、どこへ行ってもリーダーを務めることが多かったですね。家業は、祖父の代から野菜の仲卸業をやっていました。兄弟は私と兄がいて、どちらかが後を継がなくてはならない状況だったんですが、兄弟の間では何となく「出来の悪いほうが継ぐことになるのかな」という暗黙の了解がありました。

私は中学高校と早稲田実業へ通い、大学は早稲田の法学部へ進みました。一方、兄は、慶応大学へ進学し、その後、米国のコーネル大学の大学院へと進みました。

大学卒業後、私は不動産の会社でサラリーマンをしていたのですが、そんな時に父が癌を患い、誰かが後を継がなければという状況になりました。兄は米国に留学中で、私が継ぐことになりました。私は「これも巡り合わせだな」と思い、やるからには良い会社にしなくてはと心を新たにしました。

青果物の仲卸業は労働集約型であり、取引先(大手量販店とか)との関係でも弱い立場にあるので、利益率もあまり高くなく、業態としてはとても大変そうだと思っていました。しかしものは考えようですから、継いだ会社をちゃんと経営しながら、自分のやりたいことはまた別に新しい会社は作れば良いと思っていました。

夜勤と資金繰り


はじめに、親父に「会社に何時に行けばいいの?」って訊くと「10時でいいよ」との答えでした。意外と楽な会社だなと思ったんです。そしたらそれは、夜の10時のことでした。

夜勤って大変です。朝起きて夜寝るという人間の自然な摂理に逆らう訳ですから。フォークリフトやモートラ(市場用の運搬用三輪車)を駆使して深夜から早朝までキャベツを運んだり、玉ねぎを運んだり、取引先のトラックの荷台に積み込みます。で、その後、仕入れの帳面を書いて、セリにいってセリ人と価格交渉をし、販売先に営業をかけ、さらにその後、会社の経営をするわけです。

当時、会社にはバブル崩壊の傷跡がまだ結構残っており、経営立て直しが待ったなしの課題でした。赤字体質だったので一旦思い切ってダウンサイジングして、不採算部門を整理し、収益構造を改善し、その後どんどんと売上を伸ばしていきました。ただ、社長の息子だといって突然入ってきた青白い顔した若い兄ちゃんが、何十年と続く会社の体制や慣習を次々に変えていくので、それまでいた古参社員が強烈に反発をするんです。結果、三分の一ほどの社員が、私にはついていけないと去って行きました。

中小企業を実際経営してみると、やっぱりすごく大変でした。その頃は夜通し12時間以上普通に働いてました。経営者ですから労働時間の制限なんてありません。おまけに仕事の半分は肉体労働。ある時、市場で働く人の福利厚生のために場内にスポーツクラブができましたが、仕事がほぼエクササイズなので利用する人はほとんどいませんでした。それまでネクタイを締めて新宿の高層ビルでサラリーマンとして働いていましたが、真逆の生活スタイルでした。朝起きて、夜寝れる生活をしている人をうらやましく思ったものです。

その後、日本を襲った金融危機で、取引している信用金庫と信用組合が、両方とも破綻してしまうという事件がありました。売上を伸ばしている時期でしたから、その分仕入も増えていくわけです。売掛金回収よりも仕入の支払いが先に来ますから、商売をまわすための資金需要はどんどん膨らむわけですが、今まで取引をしたこともない中小企業に、担保も無しでお金を貸してくれる銀行などどこにもありません。

社内の改革が一段落し、残った社員の気持ちを一つにまとめ、売上が順調に伸び始めた矢先の出来事でした。まさか自分の会社より先に取引銀行がつぶれるとは・・・、なんともやるせない心境でした。この怒りをぶつける先もありませんでした。

しかし、下を向いて立ち止まっている余裕はありません。企業は赤字でも潰れませんが、資金繰りが詰まると即倒産してしまいます。私は3年分の決算書を抱えていろんな銀行をまわりました。案の定どこもお金を貸してくれません。仕方なくお取引先に支払いサイトを短くしてくださいと交渉をしたり、知り合いから個人でお金を借りてきて銀行に預金し、それを担保にしてお金を借りて資金繰りに回したりとか、考えつくありとあらゆることをやりました。幸運にも何とかこの危機を乗り越えることができました。

大学生一年生の時に出会い、二年生の時から交際していた妻と結婚したのは、25歳の時でした。私の夜勤生活が始まった頃でした。妻にとっては、結婚してみると、旦那が夜起きだして仕事に行き、昼頃帰って来て、昼のバラエティー番組を観ながらご飯食べて、そしてすぐ寝てしまうみたいな、普通のサラリーマン家庭に育った彼女にしてみれば想像もつかない生活です。そんな暮らしを3,4年くらいしていましたかね。

でもやっぱり、会社全体を見る時に、多くの人員を割く夜の物流をちゃんと見ないことには経営再建はできませんから。やってよかったと思っています。夜勤の大変さもわかったし、現場の人たちのたくましさや優しさもよくわかりました。こういう人たちが日本社会を支えているんだなと思いました。

やりきらないと時代は変わらない


29歳の時、東京青年会議所(JC)に入りました。当時のJCは、わんぱく相撲やジュニアサッカー大会など子供向けの事業を多く手掛けていましたが、JCは社会を変革する組織と宣言していたので、それなら国家の主要なテーマで大人を対象にした事業をやるべきだと考えました。

ちょうどリンカーン・フォーラムというNPOが選挙の際の公開討論会を始めた頃です。意外と知られていませんが、普通に公開討論会を開催すると、実は公職選挙法違反になってしまう可能性が高いのです。そこで「リンカーン・フォーラムメソッド」として、公職選挙法に抵触しないようそのノウハウを標準化しました。そしてそれを活用し、青年会議所が公開討論会を開催しようということになりました。

旧来の選挙では、一般の有権者は候補者の名前の連呼とポスターやリーフレット位の情報しか触れることができませんでした。しかしそれでは有権者は判断のしようがありません。そういう意味でも、この公開討論会というのは有効だったと思います。東京では2000年に、初めて衆議院議員選挙の小選挙区の公開討論会を大田区でやったんです。その時、私は東京青年会議所の大田区委員会の委員長で、討論会のコーディネーターを務めました。

2003年に東京JCの理事長になると、「衆議院選挙では東京23区の17の小選挙区全部で、公開討論会をやるぞ!」と決めました。しかし、うち2つの選挙区では自民党の候補者が参加しませんでした。周りからは、それだったら中止すべきとの声も上がりましたが、責任は私が取ることにして、自民党の候補者不在でも、討論会をやらせてもらいました。物事何でもそうですけど、やりきらないと時代って変わらないんです。

不在でも討論会は予定通り行います、「来る来ないは各候補者の陣営の皆さんの戦略です」という括りを作って割り切りました。有権者に判断材料を提供するという大義はこちらにある。礼儀礼節をもって各候補者に出演を要請する。その上で、来ていただけない人がいるから中止だということになれば、次回また各陣営の選挙戦略に振り回されることになる。本来議員になってはいけない、候補者としての総合力に劣る人間ほど公開討論会には出たがらないので、そういう陣営に振り回されること自体本末転倒でした。だから全選挙区でやりきったんです。

すると、ここで潮目が変わりました。それ以降の青年会議所の公開討論会で何が起こったかというと、欠席する人がいなくなりました。行こうが行くまいが、討論会は粛々と行われるんですから。候補者にとっては欠席して非難される方がダメージを大きい訳です。

この討論会の意義は大きく、然るべき人がちゃんと選挙に出るようになりました。政党の側も、この討論会できちんと議論のできる人しか出さなくなり、各政党に公募制度なども根付きました。家柄が良いだけで、政治家としての能力を伴っていない世襲候補者が、有力政党の公認を得て出馬することも難しくなりました。

家族の理解


私がその名にあやかった平将門公は、腐敗していた朝廷に歯向かい、反乱を起こした人物ですが、私もその生きざまに共感するところが多く、権威主義というか基本的に権力を笠に着て威張る人、筋を曲げる人が大嫌いです。私はこの日本青年会議所において、40歳になったらみな卒業、常に“Keep young”という組織の最も大切なアイデンティティーを見失い、いつまでも現役メンバーの人事やイベントに口出しをするOBがいる現状を見かね、反旗を翻しました。2005年の日本JC会頭選挙です。

その時私は、日本青年会議所の関東地区協議会の会長を務めていたので、一部から「平将明の乱」とも言われていました。私は青年会議所のアイデンティティ復活を訴えて戦い、日本JCを二分する激しい選挙になりました。予定調和に慣れてしまったJCで、私と相手候補の真剣勝負は多くのJCメンバーに刺激を与えた、日本JCの歴史に残る会頭選挙になったと思います。

この選挙は僅差で負けてしまいました。有力OBの談合ではなく、現役メンバーが投票で決めた結果ですから、敗れても悔いありませんでした。ひとえに私自身の力不足、努力不足でした。

その2週間後に、小泉純一郎総理大臣が郵政解散をし、その日の夜に、知り合いの自民党議員から連絡を頂きました。「平さん、会頭選挙は残念だったけど、今度は日本の改革をしよう。衆議院選挙に出る気はないか?」と。

家族は大変でした。一家の長が夜勤をしていたところに、青年会議所とかを始めて、そこからどんどん忙しくなります。さらに会頭選挙をやって、全国を飛び回り始めるわけです。土日も家にいることはほとんどありませんでした。会頭選挙に負け、久々に家に帰ると、私は妻に言いました。「これからは時間もできるから、二人の子供のこととか、家庭のこととかも少し手伝うから。」と。妻は涙ぐみながら「あなた、ようやく分かってくれたの。嬉しい。」と言ってくれました。

しかし、そのたった2週間後に、自民党本部から家に電話し「衆議院選挙に出るかもしれない」と妻に伝えることになるんです。妻は呆れ返ってました。「何を言ってるの?」と。でもその時、たまたま隣の部屋で受験勉強していた小6の長男が、妻に「ママ、しょうがないじゃないか、国のためだろ。」と言ってくれたんです。

私は息子と一緒に風呂に入る時に、自分のやっていることなどいろんな話を聞かせていたので、私の思いを理解していてくれたのでしょうか。妻は「あなた、いい息子を持ったわね。」と言い、なんとなく許してくれる方向に進み始めました。後から帰ってきた小3の長女は、すぐさま「絶対、ダメ」「いくらかかるの?」と反対したようで、順番が逆だったら私はこの選挙に出馬できなかったかもしれません。この時は、息子が本当にいい仕事をしてくれました。(笑)

その後、私は公募を通じて自民党公認候補者として選出され、衆議院選に出ることになりました。そして、まさに自分が始めた公開討論会に、私自身が候補者として出ることになったんです。ほとんど無名でしたが、小泉旋風の追い風もあり何とか12万票近くを頂き、当選を果たすこととなりました。

政策に資金繰りの時間軸を


現在は、衆議院議員になって四期目です。私の年齢で同じような立場にいる政治家は大抵世襲議員か官僚出身で、私のような経歴の議員はほとんどいません。中小企業の経営立て直し、資金繰りに奔走し、現場の大変さやメンタリティを皮膚感覚としてわかっているので、総合的な問題解決能力といったものが身についたように思います。

予期せぬことが次々の起きる、そしてれに対してあらゆるオプションを用意し、優先順位を決めて対処していく。経営していた当時だって、自分の会社が潰れる前に取引銀行が潰れるなんて夢にも思いませんでしたから。辛くて逃げ出したくなった時もありますけど、そんな時は「今こそ自分の人間としての真価が問われている。」と思うようにしました。

中小企業の経営や再建といったものは全て「資金繰り」という時間軸でやっていきます。私は自民党の経済産業部会長や経済産業省の大臣政務官も務めましたが、政府の政策が効かなかったり、間違った方向に行ってしまうのは、この時間軸の取り方が間違っているからです。「金が詰まったら終わり」という感覚がないんですよね。まさに親方日の丸です。だからこそ私は、中小企業に対しての政策でも「資金繰りの時間軸」で物事を考えなきゃいけないと言っています。

去年10月までは内閣府副大臣を務めていましたが、内閣府は国家戦略の司令塔であり、まさに権力そのものです。これだけ権力中枢にいる人間が、これだけ反権力志向というのは、とてもめずらしいケースだと思います。権力っていうのは、敵に回わしたら、手強いものです。担当者が変わっても組織は残るし、いくら訴訟で争おうが、時間を費やそうが、お金でも時間でも追い込まれることはないのですから。

生まれた瞬間から権力の側にいる世襲議員や、大学卒業してからずっと権力の側にいる官僚出身の議員にはその辺のイマジネーションが少し弱いのではないかと思います。私はずっと民間、それも比較的弱い立場にいましたから、そういう怖さも分かっています。ですから、私は権力の行使に関しては極めて抑制的であるべきという気持ちが強いのです。私は政治家として基本的に「規制改革」「規制緩和」といったように、いかに民間が自由に動けるようにすべきかというスタンスをとっています。

自分の代わりはいない


今の日本の政治全体を見渡して何が必要かというと、まず持続可能な財政の実現でしょう。社会保障も、人口構成がどんどんいびつにな形になっているくので、持続可能な仕組みに変えなきゃいけません。個々の政策も大事ですが、私たち政治家にとって一番大事なのは何といっても、国家のマネジメントです。そしてこれは会社経営とほぼ同じで、貸借対照表と損益計算書と資金繰りの3つの視点が大事なんです。

また、今はインターネットを用いた「民間プラットフォーム」がマッチングや事後評価システムなどの導入で信用力をつけ、政府が事前に評価してお墨付きを与えるという「公的プラットフォーム」の力が相対的に弱くなってきているという、大転換点の時代です。この時代認識をどれだけの政治家が持っているか不安ですし、政治家や官僚や既存の業界は、公的プラットフォームの力を維持しようとし、規制強化の方向へ行きがちです。でも時間は後戻りすることはありません。このパラダイムシフトに、政治や行政がどう素早く対応するか、それによってイノベーションが起きるか起きないか、経済成長するかしないかがかかっています。

現場の皮膚感覚のない政治家の多くは、何か問題が起きた時、規制を強化する方向にしか思考が働きません。「こういう規制をやったらこういう現場に対してこれだけ大きな悪影響が出ます」といったイマジネーションが働くかどうか、これは政治家にとって大事な要素です。また、副作用をどう最小限に抑えて、効き目を最大化するか、常に現場を考えながらイマジネーションを働かせて、政策を打たなければいけません。いずれにしても成長戦略のコアである規制改革を時代の変革のスピードに合わせて、もしくは先回りして進めていかなくてはなりません。

また、私は自民党の行革チーム「行政事業レビュープロジェクトチーム」の座長を務め、行政改革にも取り組んでいます。今の日本の政治は、「保育園落ちた日本死ね」に代表されるように、エピソードベースで政策が急変更されたりします。そうではなくて「エビデンスベースで政策を作ろう」と主張しています。エピソードをベースとしたスローガンの政治ではなくて、エビデンスなり統計なりに基づいて政策立案をし、その上で具体的な評価指標を設定し、計画、実行、評価、改善のサイクルを回す。これは経済政策にだって、財政政策にだって、社会保障政策にだって、全てにおいて言えることです。

つまりは、中小企業の経営と同じように貸借対照表、損益計算書、資金繰りの視点で最適な国家のマネジメントをし、エビデンス・ベースド・ポリシー・メイキング(科学的根拠に基づいた政策立案)を確立し、さらには、マイナンバーやITの技術もしっかり使い、大きな政府でも小さな政府でもない「スマートな政府」をつくる、ということです。こういうことを考えている政治家はほとんどいないのではないでしょうか。だからこそ、私がやるしかないと思っています。

自分の体の一部のような一体感を持って中小企業を経営し、バブル崩壊、銀行破綻、社員の離反といった数々の荒波を乗り越え、現場に入って夜勤して、モートラでキャベツを運び、フォークリフトでレタスを積み上げ、そうした経験を経て、私は政治の世界に入りました。

繰り返しになりますが、この歳でこのようなを経験している国会議員って他にいないのではないでしょうか。多くの後輩の議員諸君も、私のことを「平さんって東京JCの理事長やって、会社を大きくして、順風満帆の人生で、政界に入ってきたんだろうな」って思っているようです。でも、私は政界に入る前、かなり泥臭い現場で仕事をしてきました。今でも資金繰りしていた頃を思い出し、夜うなされることがあるくらいです。経験したものでしか分かりません。中小企業の資金繰りって、それ位しびれるものです。

でもその感覚って、今の国家運営にとってはすごく大事なものだと思うんです。中小企業がなかなか潰れないのは、やっぱり経営者が連帯保証までして命をかけてやっているからです。私も、月次決算で大赤字を出すと、まるで自分の体から血がドロドロ流れ出すような恐怖感で身震いしました。まさに赤字は赤い血でした。国家のマネジメントをする政治家に大事なのは、輝かしい経歴や知識よりも、そういうヒリヒリした感覚を持てることや、イマジネーションがあるかないかではないでしょうか。

だからこそ、私は政治活動を止めることはできません。自分の代わりはいないと思っています。今後も全力で日本の政治を前へ動かしていくつもりです。

2016.09.06

SNSでシェアする


感想をクリック

会ってみたい
26

共感した
17

応援したい
34

感想メッセージを送る


記事を作りたい

平 将明

たいら まさあき|衆議院議員
自由民主党所属の衆議院議員(4期)。

2016年12月4日(日)平将明さん登壇イベント「another life. Sunday Morning Cafe 〜あなたの未来を変える生き方〜」開催!

記事一覧を見る
fbtw

お気に入りを利用するにはログインしてください

another life.にログイン(無料)すると、お気に入りの記事を保存して、マイページからいつでも見ることができます。

※携帯電話キャリアのアドレスの場合メールが届かない場合がございます

感想メッセージはanother life.編集部で確認いたします。掲載者の方に内容をお伝えする場合もございます。誹謗中傷や営業、勧誘、個人への問い合わせ等はお送りいたしませんのでご了承ください。また、返信をお約束するものでもございません。

共感や応援の気持ちをSNSでシェアしませんか?