【2月8日開催】福田秀世 写真展・トークイベント“Vivi e lascia vivere.” -思うままに生きよ。自分は自分、人は人-

はじめに、親父に「会社に何時に行けばいいの?」って訊くと「10時でいいよ」との答えでした。意外と楽な会社だなと思ったんです。そしたらそれは、夜の10時のことでした。

夜勤って大変です。朝起きて夜寝るという人間の自然な摂理に逆らう訳ですから。フォークリフトやモートラ(市場用の運搬用三輪車)を駆使して深夜から早朝までキャベツを運んだり、玉ねぎを運んだり、取引先のトラックの荷台に積み込みます。で、その後、仕入れの帳面を書いて、セリにいってセリ人と価格交渉をし、販売先に営業をかけ、さらにその後、会社の経営をするわけです。

当時、会社にはバブル崩壊の傷跡がまだ結構残っており、経営立て直しが待ったなしの課題でした。赤字体質だったので一旦思い切ってダウンサイジングして、不採算部門を整理し、収益構造を改善し、その後どんどんと売上を伸ばしていきました。ただ、社長の息子だといって突然入ってきた青白い顔した若い兄ちゃんが、何十年と続く会社の体制や慣習を次々に変えていくので、それまでいた古参社員が強烈に反発をするんです。結果、三分の一ほどの社員が、私にはついていけないと去って行きました。

中小企業を実際経営してみると、やっぱりすごく大変でした。その頃は夜通し12時間以上普通に働いてました。経営者ですから労働時間の制限なんてありません。おまけに仕事の半分は肉体労働。ある時、市場で働く人の福利厚生のために場内にスポーツクラブができましたが、仕事がほぼエクササイズなので利用する人はほとんどいませんでした。それまでネクタイを締めて新宿の高層ビルでサラリーマンとして働いていましたが、真逆の生活スタイルでした。朝起きて、夜寝れる生活をしている人をうらやましく思ったものです。

その後、日本を襲った金融危機で、取引している信用金庫と信用組合が、両方とも破綻してしまうという事件がありました。売上を伸ばしている時期でしたから、その分仕入も増えていくわけです。売掛金回収よりも仕入の支払いが先に来ますから、商売をまわすための資金需要はどんどん膨らむわけですが、今まで取引をしたこともない中小企業に、担保も無しでお金を貸してくれる銀行などどこにもありません。

社内の改革が一段落し、残った社員の気持ちを一つにまとめ、売上が順調に伸び始めた矢先の出来事でした。まさか自分の会社より先に取引銀行がつぶれるとは・・・、なんともやるせない心境でした。この怒りをぶつける先もありませんでした。

しかし、下を向いて立ち止まっている余裕はありません。企業は赤字でも潰れませんが、資金繰りが詰まると即倒産してしまいます。私は3年分の決算書を抱えていろんな銀行をまわりました。案の定どこもお金を貸してくれません。仕方なくお取引先に支払いサイトを短くしてくださいと交渉をしたり、知り合いから個人でお金を借りてきて銀行に預金し、それを担保にしてお金を借りて資金繰りに回したりとか、考えつくありとあらゆることをやりました。幸運にも何とかこの危機を乗り越えることができました。

大学生一年生の時に出会い、二年生の時から交際していた妻と結婚したのは、25歳の時でした。私の夜勤生活が始まった頃でした。妻にとっては、結婚してみると、旦那が夜起きだして仕事に行き、昼頃帰って来て、昼のバラエティー番組を観ながらご飯食べて、そしてすぐ寝てしまうみたいな、普通のサラリーマン家庭に育った彼女にしてみれば想像もつかない生活です。そんな暮らしを3,4年くらいしていましたかね。

でもやっぱり、会社全体を見る時に、多くの人員を割く夜の物流をちゃんと見ないことには経営再建はできませんから。やってよかったと思っています。夜勤の大変さもわかったし、現場の人たちのたくましさや優しさもよくわかりました。こういう人たちが日本社会を支えているんだなと思いました。

やりきらないと時代は変わらない

はじめに、親父に「会社に何時に行けばいいの?」って訊くと「10時でいいよ」との答えでした。意外と楽な会社だなと思ったんです。そしたらそれは、夜の10時のことでした。

夜勤って大変です。朝起きて夜寝るという人間の自然な摂理に逆らう訳ですから。フォークリフトやモートラ(市場用の運搬用三輪車)を駆使して深夜から早朝までキャベツを運んだり、玉ねぎを運んだり、取引先のトラックの荷台に積み込みます。で、その後、仕入れの帳面を書いて、セリにいってセリ人と価格交渉をし、販売先に営業をかけ、さらにその後、会社の経営をするわけです。

当時、会社にはバブル崩壊の傷跡がまだ結構残っており、経営立て直しが待ったなしの課題でした。赤字体質だったので一旦思い切ってダウンサイジングして、不採算部門を整理し、収益構造を改善し、その後どんどんと売上を伸ばしていきました。ただ、社長の息子だといって突然入ってきた青白い顔した若い兄ちゃんが、何十年と続く会社の体制や慣習を次々に変えていくので、それまでいた古参社員が強烈に反発をするんです。結果、三分の一ほどの社員が、私にはついていけないと去って行きました。

中小企業を実際経営してみると、やっぱりすごく大変でした。その頃は夜通し12時間以上普通に働いてました。経営者ですから労働時間の制限なんてありません。おまけに仕事の半分は肉体労働。ある時、市場で働く人の福利厚生のために場内にスポーツクラブができましたが、仕事がほぼエクササイズなので利用する人はほとんどいませんでした。それまでネクタイを締めて新宿の高層ビルでサラリーマンとして働いていましたが、真逆の生活スタイルでした。朝起きて、夜寝れる生活をしている人をうらやましく思ったものです。

その後、日本を襲った金融危機で、取引している信用金庫と信用組合が、両方とも破綻してしまうという事件がありました。売上を伸ばしている時期でしたから、その分仕入も増えていくわけです。売掛金回収よりも仕入の支払いが先に来ますから、商売をまわすための資金需要はどんどん膨らむわけですが、今まで取引をしたこともない中小企業に、担保も無しでお金を貸してくれる銀行などどこにもありません。

社内の改革が一段落し、残った社員の気持ちを一つにまとめ、売上が順調に伸び始めた矢先の出来事でした。まさか自分の会社より先に取引銀行がつぶれるとは・・・、なんともやるせない心境でした。この怒りをぶつける先もありませんでした。

しかし、下を向いて立ち止まっている余裕はありません。企業は赤字でも潰れませんが、資金繰りが詰まると即倒産してしまいます。私は3年分の決算書を抱えていろんな銀行をまわりました。案の定どこもお金を貸してくれません。仕方なくお取引先に支払いサイトを短くしてくださいと交渉をしたり、知り合いから個人でお金を借りてきて銀行に預金し、それを担保にしてお金を借りて資金繰りに回したりとか、考えつくありとあらゆることをやりました。幸運にも何とかこの危機を乗り越えることができました。

大学生一年生の時に出会い、二年生の時から交際していた妻と結婚したのは、25歳の時でした。私の夜勤生活が始まった頃でした。妻にとっては、結婚してみると、旦那が夜起きだして仕事に行き、昼頃帰って来て、昼のバラエティー番組を観ながらご飯食べて、そしてすぐ寝てしまうみたいな、普通のサラリーマン家庭に育った彼女にしてみれば想像もつかない生活です。そんな暮らしを3,4年くらいしていましたかね。

でもやっぱり、会社全体を見る時に、多くの人員を割く夜の物流をちゃんと見ないことには経営再建はできませんから。やってよかったと思っています。夜勤の大変さもわかったし、現場の人たちのたくましさや優しさもよくわかりました。こういう人たちが日本社会を支えているんだなと思いました。

やりきらないと時代は変わらない