イヤイヤ始めた旅館業が、人生最大の喜びに。
お客様の家族になって、こころでもてなす。

大自然に囲まれた岡山県の湯原温泉で旅館を営む上塩さん。突然父から旅館を任された時は辞めたくて仕方なかったそうです。それが、「自分の旅館」と感じるようになるまでには、どのような経緯があったのでしょうか。お話を伺いました。

上塩 浩子

うわしお ひろこ|湯原温泉旅館「八景」女将
岡山県湯原温泉旅館「八景」女将。湯原温泉女将会会長。

心に残る父の存在と先生の言葉


大阪市北区で生まれました。梅田で育ち、小学校3年の時に兵庫県の川西市に引っ越しました。父は、不動産会社を経営する豪快な人でした。一代で商売を成し、仕事が軌道に乗っている頃に私が生まれたんです。

教育方針は基本的に何でも厳しく、特にあいさつには厳しかったですね。勉強よりも「お客様へあいさつしろ」という人でした。絶対的な存在で気性も激しかったので、色々面倒くさかったですね。何を言っても聞いてもらえません。そんな父の影響もあり、小学校の頃までは控えめで、人前に出て意見を言うタイプではなかったんです。

そんな私が自分の意見を言うようになったのは、中学1年生の頃からでした。クラスで学級目標を作ることがあったんですが、その時、私の出した「でんでんむし」というテーマで決まったんです。「でんでんむし」の意味は「最初から大きなことを求めるよりも、動いていない様に見えても少しずつ動いていることが大事。ちょっとずつでも前を向いて進もう」ということでした。

これを先生がすごく褒めてくれて。「すごくいい考えを持っているから、その考え方や思いを大事にして生きなさい。自信を持って、自分の考えをはっきり発信した方がいいよ」と言われたんです。すごく嬉しかったし、自分の意見を伝えることって意味があるんだと思えました。

それ以来、好きなことや嫌いなことを主張するようになりました。すると、水泳部のマネージャーや生徒会などにチャレンジするチャンスが巡ってきたんです。

その後、地元で進学していき、大学生の時には、子どもたち向けのキャンプを運営する「キャンプリーダー会」に没頭しました。父が「明日のリーダーは今日作られる」というキャンプリーダー会のポリシーや参加している学生にいたく感動して、「リーダー会をやれ!」と私に言ったんです。

もちろん断ることなんてできません 。お金は大学を出てから一生関わってくるので、せめて大学4年間はお金のことを考えず人のために奉仕してほしい、という意図もあったようです。

このリーダー会はとても厳しかったんです。キャンパーズ・ファースト、つまり「キャンプに参加する子どもたちが一番」という意識を徹底して植え付けられました。例えば、参加する子どもたちに怪我などをさせないよう、グラウンドにある小さな石ころを一つひとつ拾い上げるような感じです。

スッピンのまま、汗水たらしてずっと動きっぱなし。メチャメチャしんどかったんですけど、頑張ったあとの気持ちよさや、みんなでやった達成感は最高でしたね。「忘己利他」の精神じゃないですけど、自分のことは捨てて目の前の人に尽くすという感覚が養われましたね。

旅館ごっこ


大学卒業後は父の知り合いの大学教授の秘書をする予定だったんですけど、その教授が病気になってしまったので、父の会社を手伝うことになりました。家事手伝いに近い状態で、翌年23歳で結婚して東京に出ました。

ところが、結婚して数か月の時に、父が岡山の湯原温泉の旅館を買い、私たち夫婦に経営するように言ってきたんです。夫にもキャリアがありますし、そんな田舎には住んだこともなかったので、揉めに揉めましたね。

でも、その最中に父が倒れ、息も絶え絶えの病床の身の父から「旅館、してくれるか?」と懇願されたので「私、頑張るわ」と思わず答えてしまったんです。結局、父は亡くなるどころか、元気に蘇えりましたけどね。

それで、西宮に移り住み、週末に夫と共に岡山の旅館まで行く生活が始まりました。電話番をしたり、お客様に挨拶周りをしていました。正直、最初はいやいやな気持ちでしたね。内装も全部父の趣味で決められたものだったので、愛着もなかったんです。父は旅館のオーナーになってみたいと思っていたようですが、どうせ単なる思いつきで、すぐに飽きて売っちゃうんだろうなと思っていました。

ただ、父はその後体調を崩して、旅館を売るどころでなくなってしまいましたし、5年6年も通い続けていると、少しずつ愛着が湧いてくるんですよね。そんな時、営業スタッフが集金を使い込んでしまって、旅館を辞めてしまうことがありました。それで、残ったスタッフに「これから大変やけど、営業頑張りや」と言ったら、一人の女の子から猛反発されたんです。「いやです。浩子さんの旅館なのに、何で自分で営業せえへんの?浩子さんが頑張ればええやん」と。

正直、言われた瞬間はカチンと来たんですけど、私の気持ちを見透かされているなと思いました。私は「旅館ごっこ」をしているだけだったんです。営業からも、本気で旅館と関わることからも逃げていました。このままではダメなんだと分かり、それからは自分の足で営業をするようになったんです。

営業先では「営業するよりもまずはサービスをしっかりしてほしい」と怒られてしまいました。その時初めて知ったんですが、旅館のサービスが結構ボロボロで、お客様に満足していただけていなかったんです。「じゃあ、旅館のサービスを改善したらお客様を送ってくれますか?」なんて旅行会社の人に言いながら、旅館の中のことをしっかりと見るようになりました。

お客様にアンケートを書いてもらって何を改善したらいいか見つけたり、料理長と話してどんな料理を提供しようか考えたり、色々やりました。すると売上も上がるようになり、仕事がどんどん楽しくなりましたね。

商売で命を取られるわけじゃない


「旅館っていい商売やな」と思えるようになっていた矢先、阪神大震災が起きました。被害の大きな地域に住んでいたので、家中の物が倒れて、家具なんかはみんな壊れてしまいました。それでも、周りでたくさんの方が亡くなる中で、私や小さな子どもたちはみんな無事でした。

その時、私はこの世に「残されたんだ」と思いました。せっかくこの世に残してもらった命。感謝を噛みしめて、何か世の中に返していかなあかん。一生懸命やらな、亡くなった方たちに申し訳ない、と感じたんです。

私にとって頑張る対象は旅館。この時から、自分の中で気持ちにスイッチが入った気がします。それまでは、田舎に住むことにも抵抗があったので、逃げたい気持ちが心のどこかにあったんですが、覚悟が決まったんです。商売では命をとられることはないですし。

また、震災でいろんなモノを失ったことで、モノはいつかなくなるということを実感しました。でも、それは別に大したことじゃないんですよ。それよりも「心に残るもの」や「思い出」の方がずっと大切で、そういうものを追い求めて生きたいと思うようになったんです。

旅館に本腰を入れて取り組むようになってすぐ、「旅館の神様」と言われる、旅館をプロデュースする先生と出会いました。最初はテレビ番組でその人の存在を知り、すごい人だなと思っていたところ、福島で開かれるセミナーに参加する機会を得たんです。しかも、その先生が話す時間はほとんどない予定だったのに、当日他の登壇者が体調不良になり、1時間以上も話を聞けました。

最前列に座っていた私は、セミナが終わる頃にはすっかり魅了されていました。何をしたら儲かるという手法ではなく、相手のことを思う心意気が大事。旅館をやってたらいろんな大変なことが起こるけど一生懸命にやっていたら必ず良くなる。そんな話を聞いて
「私も頑張ります!」という気持ちになったんです。

その後、その先生と二人で話す時間をいただき、旅館に見学にも来てもらい、その先生の会社に頼んで旅館を改装することにしました。自分の思いを込めた旅館にするためです。最初は反対していた父も、私が寝ても覚めても旅館のことを思うようになってくると、工事を許してくれました。

「自分の旅館」になる


着工のため翌日から休館というタイミングで、昔からの知人に工事の図面を見せる機会がありました。意気揚々と施工図を見せたんですが、予想外の反応が返ってきました。「浩子ちゃんって、どういう旅館がしたいの?らしさがないよね」って言われたんです。

旅館は自分の家に友達を迎える時にもてなすような空間なのに、私らしさがどこにもない。どこにでもある感じで、名前を付け替えたらどこにあっても分からない。そんなことを言うわけです。

ショックだったんですけど、冷静になって考えてみると、確かに図面に描かれた旅館は別に好きじゃないなと思ってしまったんです。自分は旅館の素人だし、プロから提案してもらえることが正しいと信じきっていたんですが、好みとは確かに違いました。

父や工事の関係者、旅館改装のアドバイスをくれた先生に連絡して、翌日からの工事をやめて、設計し直すことをお願いしました。当然怒られましたし、みなさんにご迷惑をかけていることは私にもよく分かっていました。

それでも、私にとっては、数億円をかけた一生に一度かもしれない改装工事です。これから一生「自分の旅館」として経営していく上で、自分の想いを伝えきれない工事はできないと思ったんです。

結局、工事は白紙にさせてもらいました。そして、設計担当の方と一緒に、休館中の館内で一部屋毎に30分近くかけてつぶさに見て回りました。そんなにじっくりと部屋を見渡しましたのは初めてでしたが、それで、私らしさとは何か、色々な発想が湧いてきました。

その後、完成まで1ヶ月遅れましたが、心から自分の旅館だと思える仕上がりになりました。さらに、自分の旅館だと思うようになると、料理や細かいところにまで自分で関わりたくなるんですよね。

それで、私が、「山にある旅館なのだから、普通の会席料理ではなく旬の野菜をたくさん食べてもらえるような料理を提供したい」なんて言うものですから、当時の料理長からは大反対を食らってしまい、リニューアル直前に辞められてしまいました。ただ、その次に出会った料理長は私のアイディアをおもしろいと言ってくれたんです。

やっと全てが整って、1997年9月1日、34歳の時に旅館をリニューアルオープンしました。このタイミングで岡山に移り住み、本当の意味で旅館と共に生きる覚悟も固まりました。

それから、女将として100%館内営業に徹するようになりました。とにかくいろんな人に迷惑をかけてのリニューアルだったので、最初の頃は周囲から見て痛々しいほど必死でしたが、それから何年もかけてゆっくりと旅館へ魂を込められ、自分の想いと旅館の実体の間に差がなくなってきました。

「八景」とはこころの在り方


旅館を始めて30年、岡山に移り住んで18年。現在も、岡山の湯原温泉で『八景』を営んでいます。また、10年ほど前からハワイで八景のレストランを経営しています。

八景で大切にしていることは、「構えない」ということです。家に帰ってきたような感覚を味わってもらいたいんですよね。お客様の社会的なステータスやバックグランドは関係なく、とにかく目の前の時間を大切にしていただきたいんです。

構えず、奇をてらわず、目の前のお客様のお役に立てることだけを考えて行動する。それは、スタッフの年齢や経験に関係なく、若い人でもできるやり方で、そういうことにこだわっています。

その中で、私の仕事は女将として宿の「おかあちゃん」になることです。スタッフの教育や体調管理をはじめとした、しつけをしているみたいな感じですね。お客様にとっても実家みたいなものです。

旅館をやっていて嬉しい瞬間は、お客様の人生の大切な区切りに関われた時ですね。何度もリピートしてくださるお客様が多いのですが、ここに来て結婚を決めたとか、高齢の方が亡くなる前に最後に来たいと言ってくれるか、八景が人生の区切りのような場面に関わっていたと言われるのが何よりうれしいんです。ご家族が亡くなった方の遺影を持って、うちにいらっしゃることもありますが、旅館冥利につきると感じます。お客様と一緒に年を重ねていこうというのが旅館のテーマなんです。

最近では、新しいスイートルームを作るために動いています。リピーターの方々はスィートルームをよく利用される方が多いんですが、そういう方のために今までとはまた違った趣向のお部屋を作りたいんです。

また、全国からお客様に来ていただけるような旅館を目指して、クラウドファンディングとも利用させてもらっています。旅館に来てくださる方は、岡山の人や関西圏の人が多いのですが、旅館のWEBサイトへのアクセスは、かなりの数が東京からなんですよね。興味を持ってくださっていても実際に足を運んでもらえていないのが現状なので、クラウドファンディングをきっかけに、気軽に来てもらえるようになればいいと考えています。

振り返れば、旅館をやり始めてから本当に色々なことがありました。離婚も経験したし、金融機関と資金繰りの折り合いがつかず、旅館が競売に出されたこともありました。それでも、お客様やスタッフが喜んでくれたり、良いことの方が多かったので今生きていけるし、旅館もやっていけるんやろなと思います。

目の前の人のために尽くす。このために私は生きているし、旅館をやり続けているんだと思います。八景とは、旅館である前に、こころのあり方だと感じています。目の前の人のためにいかに考え動けるか。そういう意味では、将来的に旅館がなくなってもいいんですよね。うちの旅館を通して育ったスタッフたちが、将来的にゲストハウスを開業したり、会社に入って何かしたりしたとき、私の言葉が彼ら彼女らの人生のどこかに響いてくれていたら、それこそが八景のマインドなんです。

ですから、旅館が残り続けることよりも、関わったスタッフたちがいきいきといろんな形で育ってくれることの方が、私にとって人生の財産じゃないかと思っています。お客様の思い出に八景が残っていたら、私自身まんざらでもないと思えるはずです。

色々ことがあっても八景が残り続けているのは「ここでまだやることがある」と言われているからだと感じます。残りの人生も、誠心誠意、旅館とお客様のために生きていきます。

2016.06.30

インタビュー・編集 | 島田 龍男
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