新体験+失敗例+つねに楽しく。ミュージックライフアドバイザーという生き方。

なじめなかった環境を飛びだし、たどり着いた石川で出会った音楽という世界。ゆずへの憧れからギターを手にし、一度は音楽の世界へ。現在は、その時の体験を元に、根幹にあった「楽しくいたい」という思いを原動力にして様々な発信を行っている赤坂さん。今の場所から見える景色や、変わらない思いを伺いました。

ペロンチュ真純

ぺろんちゅ ますみ|ミュージックライフアドバイザー
人材派遣会社勤務。「ミュージックライフアドバイザー」という生き方を通して、かつての自分のように頑張り方がわからない人たちにむけての自分のさまざまな体験を発信している。

家出をして祖母と住む


生まれたのは、千葉県の船橋市でした。小学校入学前に両親が離婚し父に引き取られました。悲しいというよりは、むしろ珍しくてかっこいいことだと思っていました。周りに両親が離婚している人はいなかったので。小学校5年生の時に、父は再婚しました。

小さい頃は漫画やゲームが好きでしたが、中学校では何かしらの部活に必ず入部しなければなりませんでした。剣道をやるつもりでいたんですが、それを父親に伝えたところ、道具代がかかるからダメだと言われてしまいました。次に入ろうとしたバレー部も、顧問から「お前じゃ無理だ」と言われました。結局、興味のない卓球部に入るんですが、やりたくないから行きませんでした。

すると、「なんで行かないんだ」と先生からも親からも怒られてしまいました。学校でも家でもいづらくなり、だんだん自分の言いたいことが言えなくなりました。それまでは離婚・再婚など自分の家庭環境を気にしてはいなかったのですが、その出来事があって初めて、自分の家庭のいびつさに気づいたんです。

ある朝、そんな環境に限界が来ました。学校に行くために家を出たのですが、玄関に制服をかけて、そのまま駅へ向かいました。切符一枚でどこまで行けるか、あてのない家出が始まりました。どこでもよかったんです。とにかく逃げたかったんです。色々と電車を乗り継ぎ、越後湯沢まで着いたとき、母方の祖母が住む石川に行けることに気づきました。

石川には毎年飛行機で遊びに行っていて、その前の夏には「今度は電車でおいで」という話しもしていたので、祖母の家に向かうことにしました。その日は終電でも最寄り駅までたどり着かなかったので、駅のベンチで野宿でしたね。一睡もできませんでした。

たどり着いた祖母の家で1週間ほど過ごすと、一度は千葉に戻されますが、辛くてまた家出。最終的に、祖母の家で住むようになりました。それまでも毎年石川に行っていたので、友達もいましたし、自分にとっては最高の環境でした。

ゆずとの出会いから音楽の道へ


石川で落ち着いたころ、中学校の友達に地元で行われる音楽フェスティバルに誘われました。様々なミュージシャンが演奏しており、トリが当時大人気だった「SHAZNA(シャズナ)」でした。その前座の前座くらいに、「ゆず」という二人組のユニットが出たんです。

ゆずのライブは衝撃でしたね。それまでは、ライブなんて知っている曲じゃないと楽しめないと思っていたんですが、ゆずの歌は知らない歌でも楽しめたんです。しかも、出身の村の話とか身近なことを歌にしていて「こんなことでも歌になるんだ」と思いましたね。

もともと歌うのは好きだったので、それがきっかけでゆずにはまり、ギターを買いました。周りはエレキギターでしたが、僕はアコースティックギターを選びました。

ギターを買った年には、オリジナル曲を作って高校の文化祭で演奏していましたが、ミュージシャンになろうとは思っていませんでした。演奏力があるわけではないし、前に出るタイプの人間ではないと思っていたんです。それでも、音楽に関わる仕事はしたいと思い、高校卒業後は、東京の音響専門学校に進学しました。

「実践が大事」という方針の学校だったので、学生の頃から現場で音響の仕事をさせてもらいました。学校に仕事に、忙しい毎日でした。始発で学校に行き、そのまま仕事に行く生活。最高3ヶ所の現場を掛け持ちしたこともありました。

そのまま音楽の仕事で就職したんですが、仕事だけだと面白くなという気持ちがあり、友達とコンビを組んでストリートライブをやりはじめました。それが楽しかったんですよね。ちょうど、会社への待遇面での不満もあったので、音楽に携わるなら奏でる側でやっていこうという思いが芽生え始めたんです。


ストリートライブでは、下手くそなりに少し手応えもありました。100人が気づいてくれなくてもいい。まずは10人の人に気づいてもらって、そこから数を増やしていけばいい。そう考え、仕事を辞めて音楽活動一本に絞ることにしました。

躊躇はしませんでした。何かを決断するなら、決断する「タイミング」というのが必ずあります。そのタイミングが「今だ」と感じ、音楽一本でやって行くことを決意しました。20歳の時でした。
ところが、一緒にやっていた相方は違ったようでした。彼が喉を壊したりといろんな事情があったんですが、ひとりでやることになりました。原点がゆずのライブだったので、ふたりでやるというのが自分の中で当たり前で、曲もふたりで演奏することを前提に作っていました。

怒りというより、戸惑いやこのまま続けるかという葛藤の方が大きかったですね。演奏するのも歌うのも、自分ひとり。それでも、後戻りしようとは思いませんでした。

8年間の挑戦


それからは、音楽中心の生活が始まりましたが、困難の連続でした。ライブハウスのオーディションを受けても落ちてしまう。ライブでは客席がガラガラ。120日間で100本ライブをやると決意して、月の休みがほぼないような生活を送ったりもしました。

でもそれって、意味のあることではなかったんです。「頑張っている」という雰囲気を出すことはできても、何かにつながることではなかった。そんな繰り返しでした。また、ギターが好きで、すぐに新しいギターを買っていたんです。お金がないのに「いつかなんとかなる」と思っていて。そのせいで、いざ「何かに投資したい」というタイミングが来ても、身動きできなくなっている状態でした。

そんな風に、5年ほどダラダラと音楽活動を続けていました。音楽を始める時に、祖母と約束した期限は5年間。25歳までででした。ただ、実際に25歳になってみると、「これじゃあダメだ。でももう少し音楽で頑張ってみたい」という思いが芽生えてきました。

音楽活動の期限を3年間延長し、「28歳までに音楽関係者に自分の楽曲をプレゼンし、採用してもらう」というのを目標に設定して、再スタートしました。具体的な目標を決めると、逆算して何をすべきかを考えて実行していきました。何十人もの人とセッションしてバンドメンバーを探したり、ギターではなく勉強のためのCDやライブにお金をかけたりしたんです。

音楽関係者の方からは歌詞を評価され「いい歌詞があったら送って」と言われ、一ヶ月で50曲くらい送りました。その中から「この歌詞に音楽をつけてよ」と言ってもらえたり。関係者向けのプレゼンライブをするところまでこぎつけました。

しかし、そこでの評価は「世に出す感じではない」でした。3年間の再挑戦と音楽漬けの日々は、こうして終わりを告げました。もったいない気持ちもありましたが、決めていたことですし、年齢や生活資金のことを考えて、きっぱりとやめることにしました。

仕事をして見えたもの


それまで音楽活動と並行してやっていた仕事は、魚屋や自動販売機にドリンクを補給するドライバーのアシスタントなどでした。別の仕事を始めたいと思っても、その経歴では履歴書はなかなか通らず、苦戦しました。そこで考えたんです。大勢集まるところでは競争率も高くなる。じゃあ、人が狙わないところを狙おう、と。

仕事を求める人は人材派遣会社に登録するけど、その登録した人の管理をする人材派遣会社での仕事への応募は少ないんじゃないか。そう考えて、「派遣コーディネーター」というキーワードの仕事を探しました。

それで見つけた仕事に応募すると、狙い通り採用してもらうことができました。初めての事務仕事だったので、分からないことだらけでしたが、電話対応もできないところから、周りの方に丁寧に教えてもらえました。

仕事を始めてからは、本を読むことにハマりました。自己啓発本やビジネス書です。自分の仕事の効率を上げるために読み始めたんですが、面白かったですね。実際の仕事と照らし合わせて、納得できることが多かったんです。

1、2年すると仕事が落ち着き、仕事以外にも何か始めたいという気持ちが湧いてきました。情報商材のセミナーに行ってみたり、色々試したんですが、どうもしっくりこないんです。お金稼ぎが目的になってしまうと、面白くなかったんですよね。それよりも、もっと楽しめることにお金を使いたい。音楽をやっていた時は生活するだけで精一杯だったので、サッカーや野球を見に行ったりとか、美味しいものを食べに行ったりとか、それまでしたことがないようなことにお金を使うことにしました。

さらに、自分が体験したこととを、ブログやメルマガなどで発信することにしました。自分の体験が、誰かの役に立てばいいと思ったんですよね。仕事を始めてから、音楽をやっていた時の自分を振り返ると、もっとできたことがあると思います。当時の自分ができなかったことを、伝えたいという気持ちもあります。

自分が楽しいことで人も楽しませたい


現在は、人材派遣の会社で派遣コーディネーターとして働きながら、ブログやメルマガでの発信活動などをしています。

仕事は主に内勤で、派遣スタッフとして応募してきた人への対応などを行います。ダイレクトに人の人生が見れる仕事です。職歴を見れたり、どんな経緯で応募して来たのかを紐解いていくのが面白いですね。また、仕事は目標を達成するまでのプロセスを自分で組み立てていけることが楽しいですね。自分で課題を設定して、それをどうやって乗り越えていくのがやりがいです。

音楽活動をしていた時のことを振り返ると、当時の自分なりに頑張っていたのかもしれないのですが、全然頑張っていなかったようにも思えます。単に売れていた人のストーリーを真似していただけで、それで成功すると思うなんて、人任せだったなと。今の仕事で学んだことが当時にもあったら、ぜんぜん違う音楽活動のやり方になっていました。

そういう後悔みたいなものもあるので、音楽をやっていた頃の自分のように、何かにもがいている人に自分の体験をシェアすることで、何かを感じ取ってもらいたいんです。特に、世の中には失敗体験が少なすぎると思うので、自分の失敗体験を伝えていきたいですね。

個人的には、常に楽しいことを探して生きたいと思っています。かっこいいスーツを着るためにダイエットをしてみようとか。お金を出さないと得られない経験もありますが、何事も経験してみたいと思います。自分が楽しんだことで、人が楽しんでくれるのが一番ですしね。

2016.06.21

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