ところが、自由にプレーできると思って進んだ高校でも、監督からあれこれ指示があり、のびのびと野球をすることはできませんでした。

特に投球フォームを直すように言われたのがつらかったですね。僕のことを考えての指示だとは頭では分かるんですが、指示されたフォームではどうしても投げづらくて。怒られたりするうちに、監督とは喧嘩のような感じになってしまい、結局、野球部をやめました。このチームにいると野球が嫌いになってしまうかもしれない。自分のやりたいことができない。そんな気持ちでした。プロ野球選手の夢も諦めました。

野球部をやめ、それでも、運動は好きだったので陸上部に移りました。種目は走り高跳びです。自分の記録を更新した時もそれはそれで嬉しいんですけど、それ以上に、大会などでライバルに勝てた時の方が嬉しかったですね。

野球をやめた頃から、将来は、芸能界に入りたいという憧れを持つようになっていました。元々目立つのが好きだったんです。テレビも好きで、お茶の間を沸かせる芸能人になれたらいいな、と。ただ、芸能人になりたいと父や母に話しても、不安定な仕事なのであまり賛成はされませんでした。

芸能界は、漠然とした夢でしかなく、現実的には、体育の先生になろうと考えていました。スポーツも小さい子どもも好きでしたし、子ども時代やんちゃだった自分を、先生はいつも認めてくれた記憶があったのが理由です。高校卒業後は大学に行って、教員免許を取ろうと考えていました。

そんな時、母が病気になりました。肺がんが見つかり、一旦完治したものの、間をおかずに白血病を発症。母の看病で家族が大変で、「芸能人になりたい」とはもっと言えなくなりました。

母と僕は性格がそっくりで、喧嘩もしましたが、仲がよかったんです。一緒にご飯を食べに行ったり、買い物に行ったり。それだけに、抗癌剤で髪の毛が抜けたり、歩けなくなったりと、見舞いに行く度にどんどん弱っていく母を見るのはつらかったですね。

この先長くはないと感じてか、病院でふたりきりになった時、母は家族について色々と伝えてきました。父や弟、祖母のことを「頼むで」と。その時に、「もし芸能界に行きたいと思っているなら、お母さんは挑戦してほしいと思っている」と言われました。「私はあんたが頑張ってる姿を見られへんかもしれんけど、おかんみたいに病気でしんどい思いをしている人とか、つらい思いをしている家族を励ませるような存在になってほしいな」と。そう言われて「芸能人を目指してみても良いのかな、頑張らなきゃと」と思えたんです。

骨髄移植などあらゆる手を尽くしたものの、間もなく母は亡くなりました。つらいけど、泣くわけにはいかない。弟は幼いし、父親もひとりになって寂しくなる。母から「頼む」と言われたからには、僕が頑張らなきゃ。泣いてたら母も心配する。お葬式でも納骨でも、一切泣きませんでした。