2年間の小児科研修を終えると、医師が不足している和歌山県と三重県の県境にある田舎の病院に配属となりました。赴任当初は、患者さんからの信頼を得られず、苦労しました。26歳と若く「この人で大丈夫か?」と不安がられ、患者さんに信頼してもらえないんです。

地域の方々に信頼してもらうため、自分なりにたくさん勉強しましたし、患者さんの心をつかむための工夫もしました。365日24時間、いつでも病院にすぐに駆け付けられる場所で過ごすと決めたんです。休みの日や勤務外の時間も、常に病院から30分以上かからない場所にいるようにし、車で行くような大型スーパーにも行かず、病院付近で全ての用事を済ませました。

そんな生活を送っていると、地元の方からだいぶ信頼してもらえるようになりました。2年経ち、転勤が決まった時には、子どもたちから「行かないで」と言ってもらえる程でした。

次の勤務先は、伊勢市の総合病院でした。そこでは、田舎の病院では難しい、高度な医療技術を学ぶことが求められていました。

3ヶ月ほどした時に、前の病院の患者さんだった子どもたちが遊びに来ました。驚きましたね。前の病院から、3時間以上かかる場所なんです。しかも、別々に二組の子どもたちが来てくれたんですよね。「どうしてここまで来てくれたの?」と聞くと、子どもたちは「帰って来て欲しかったから」と言いました。

この時、自分の進むべき道が見えました。継続的な医療を提供できる地域に根ざした医師にならなくては、と思ったんです。

総合病院での研修を1年間で終えると、以前いた和歌県の田舎の病院に戻りました。3年ほど働いた後、和歌山県新宮市に小児科医を開業しました。34歳。小児科開業医としては、最少年齢に近い年齢でした。

新宮市は人口3万人ほどの田舎の町です。それでも、多い日には一日に350人を超える患者さんを一人で診ます。平均して毎日200人近くの患者さんを診るので、朝の8:30から夜まで、休む時間はほとんどありません。食事やトイレに行く時間もないほどです。次第に「日本一患者数の多いクリニック」と呼ばれるようになりました。