女性のパワーを活かせる仕組みを作る。人生一回切り、やりたいことをやらなあかん。

ブライダル事業や女性の起業支援などを手掛ける、会社経営者の池田さん。「人生一回切り、やりたいことをやらなあかん」と話す背景には、どのような経験があったのでしょうか。お話を伺いました。

池田 絵莉子

いけだ えりこ|女性が活躍する場を作る
株式会社Number5代表取締役を務める

海外かぶれの生活


大阪府大阪市天王寺区で生まれました。小さな頃から目立つことが好きでした。目立てば親が喜んでくれる、という気持ちが根底にあったんだと思います。幼稚園の頃、音楽会で指揮者をした時に両親がすごく喜んでくれたのを覚えています。

中学1年生の夏休みに、オーストラリアに短期留学しました。もともと海外に興味があったのと、留学に対してかっこいいというイメージがあったことが動機ですね。

単身で初めての海外は、楽しかったですね。英語はほとんど話せなかったのですが、ホストファミリーが、ジェスチャーを交えて一生懸命伝えようとしてくれました。言葉が通じなくても、心を通わせられることが嬉しくて、また海外に行きたいと思いました。

すっかり欧米に染まり、欧米人らしい見た目にしたくて、帰国後すぐに、髪の毛を染めました。髪の毛を染めると学校の中で目立ち始め、味をしめたのか、派手な服装をして他校のヤンキーとつるむようになりました。調子に乗っていましたね。しつけに厳しい家庭で、それに反発していたところもあります。

学校も休みがちで、高校に進学する気はありませんでした。ただ、兄に高校くらいは卒業するようにと言われたことがきっかけで、勉強するようになり、地元の進学校に進みました。真面目で優等生の兄のことを恐れていたので、兄の言うことをすんなり受け入れました。

ただ、受験の時だけ勉強して入った高校でも、遊び癖は抜けませんでした。学校に行くふりをして、平日も彼氏や友達と遊んでいました。勉強には全くついていけなくなりました。留学経験があるにもかかわらず、英語ですら赤点でした。自分自身、どんどん落ちこぼれていくのを感じていました。

どうしようもないところまで落ちぶれていたのですが、高校2年生になる頃、このままでいいのかと、初めて自分に対して疑問を感じました。

自分を変えたい。もう一度やり直したい。

自分を変えるために、もう一度留学に行かなければと思いました。それくらい、自分の中で中学生の時の留学が大きかったんです。親には最初は反対されましたが、自分を変えたいと思っていることを、正直に伝え続けて、なんとか留学に行かせてもらえることになりました。

明日起きたら死んでいるかもしれない


留学先は、アメリカのシアトルでした。シアトルに来て1週間も経たないうちにホストファミリーが病気になってしまい、別のファミリーでお世話になるため、アラスカに移動することになりました。移動先は、治安がかなり悪い地域でした。本土でうまくいかなかった人が流れると言われている島でした。

通っていた学校は、生徒の薬物検挙率が全米の中でも圧倒的に高いところでした。学校ではみんないい子なんですが、放課後、家で開かれるパーティーで薬物を使うんです。

友達はできませんでした。自分を変えるために留学に来ているのですから、悪いことに手を染めようとは思いませんでした。

ホームステイ先も何かとトラブルが多い家庭ばかりで、アラスカに来てから2回ステイ先が変わりました。2回ともトラブルに巻き込まれそうになり、逃げるように家を出ました。命に関わるようなトラブルで、明日起きたら死んでいるのではないかという恐怖から気持ちが張り詰めて、ステイ先で満足に寝られませんでした。

留学生向けのカウンセラーに相談して、家にかくまってもらいましたが、怖くて学校にも行けなくなりました。せっかく留学でアメリカに来たのに、学校にも行かずに何をしているんだろうという感じでしたね。

何度もステイ先を変わっている様子を心配した親からは、帰って来て欲しいと言われましたし、私自身、帰りたいと思いました。でも、自分を変えるためにアメリカに来たのに、何もしないままでは日本に帰れない。帰りたいなと思った頃に、ちょうど、高校のクラスの友だちから応援メッセージが届きました。ここで尻尾を巻いて帰るわけにはいかない、と思いましたね。

ステイ先を変えてもらい、アラスカ本土のジュノーという街に引っ越してからは、心落ち着く生活を送れるようになりました。新しいホストファミリーは本当に優しくしてくれましたし、学校でも友達ができました。アメリカ生活をもう一回やり直しているような感じでした。

留学中、大変なことがたくさんあった分、人から優しくしてもらったことや人の温かさなど、日本にいる時の何倍もありがたいと感じました。留学生活の最後に受け入れてくれたホストファミリーのように、優しくて人の心がある人間になりたいと思いましたね。

また、死ぬかもしれないという恐怖を間近に感じたことで、人生一度きりだということに気づかされました。生きている間に好きなことをしようと考えるようになりましたね。

ギャルを活かして社長になる


帰国後、学校に通いながらプロモーション会社でアルバイトを始めました。女子高生の目線からプロモーションをするという会社で、様々な商品の開発やプロモーションに関わりました。

グループインタビューに参加したり、モデルをしたり、テレビに出たり。女子高生という立場にいながら社会と関われるというのが面白かったですね。卒業して短大に入ってからも、女子高生をマネジメントする役割で、その会社で働きました。

働くうちに、藤田志穂さんのことを知りました。藤田さんは、「ギャル社長」として有名で、女子高生を使ったマーケティングや、いわゆる「ギャル」を使った環境保護のための「マイ箸」のプロモーションといったことをしていました。

私も一般の社会人からは突飛に見える見た目の「ギャル」だったので、「適当な人間なんじゃないか」と、見た目で損することがたくさんありました。自分では「社会の役に立ちたい」と思っていたんです。

藤田さんは自分が「ギャル」であることを活かして、社長になっている。それが凄いなと思いましたね。ギャルの見た目の私にも何かできるんじゃないかと思って、社長になりたいと考え始めました。

自分が社長になったら、若い女性の力を活かせる仕事を作りたいたいと考えていました。女子高生向けのマーケティングの仕事に登録していた子たちは、みんなすごいパワーがあって、めっちゃええ子たちなんですよね。でも、パワーはあるのに夢がない子もたくさんいました。「卒業してからどうするの?」と聞いても、フリーターになるとか、とりあえず就職するとか、夢がないんです。

化粧品を目の前に出したら、「この商品はここがすごい」とか、めちゃくちゃいい意見を言えるし、商品をプロデュースする能力もあります。自分自身でその力の活かし方を分かっていないのが衝撃的でした。どうにかして、若い女の子の力を活かせる会社を作りたいと思いました。

短大時代には、学校とアルバイトの合間を縫って、タイ、カンボジア、ラオスなどに行きました。

タイからカンボジアに行く時、陸路で国境を超えたんですけど、国境で止まっているバスに、貧しい子どもが物乞いで集まってくるんですよ。事前にガイドさんから、「子どもをダシに使って大人が仕組んでいることなので、何も渡さないでください」と言われていたので、小さい子が物乞いに来ても無視して、子どもたちの境遇に涙を流しながら国境を越えました。その時以外にも、色々な場所で貧しい子どもたちと会いました。

旅を通じて、日本は本当に豊かな国なんだなと、あらためて感じました。東南アジアの子たちは学校にも行けない子が多くて、将来どうやって生きていくのか私には想像できませんでした。一方で、日本の子はきちんと義務教育が受けられますし、なろうと思えば将来何にでもなれますよね。サッカー選手にも、医者にも、何にでもなれる可能性があります。それなのに、夢がない人ばかり。豊かな日本に生まれて、なろうと思えば何にでもなれるのに、なんで夢を追いかけないんだろう。

そう感じたことも、社長になるという私の夢を追いかける気持ちに拍車を掛けました。

一回きりの人生、踏み出さなあかん


社長になりたいと思いつつも、どうすればいいのかは全然分かりませんでした。まさか自分がいきなり社長になれるとは思いませんでした。まずは社会経験をつけようと思い、短大時代にアルバイトをしていたマーケティングの会社にそのまま就職しました。

1年ほど働いて、その会社からすぐに起業するイメージを持てず、起業する力をつけるために、「独立歓迎」「社内起業も可能」といった文句に惹かれ、転職しました。

転職先は、ブライダル業界のベンチャーでした。まずはウェディングプランナーとして結果を出すため、必死に働きました。普通の人は、月に8件ほどの挙式を担当するのに対して、私は最大で18件担当したこともあります。朝から晩まで、とにかく働きました。社内で全国ナンバーワンのプランナーになり、マネージャーに昇進。3年目には社長室へ異動となりました。

当時、社長室の中で最若手でしたが、新規事業開発を私一人に任されました。ゼロから新規事業を立ち上げるのは、大変でしたね。提案しては社長に却下される、の繰り返しで、しんどい日々が続きました。自分ひとりだったので、新規事業開発が進むかどうかは私次第でプレッシャーも大きかったですね。

色々な案を提案する中で、ハワイで挙式する、海外ウェディングを事業化するところまでこぎつけました。私は事業責任者としてハワイに現地駐在することになりました。

その頃には、独立したい気持ちは薄らいでいましたね。入社時は独立を目指して燃えていましたが、目の前の業務に追われるうちに、将来のことを考えなくなったのかもしれません。逆にハワイでの事業は、自分が作るビジネスになる、この事業をやりきろうという感覚でしたね。

ところが、ビザを取るのが難しいことが分かり、ハワイに行けなくなってしまいました。弁護士によると、20代中盤の女性で、「役員クラスのビザ」を出せた実績がないとのことでした。社長の養子になるとか、対案を考えたのですが、どれも難しいことが分かりました。

ハワイに行けない、自分でビジネスを作れないと分かった途端に、心がポキっと折れました。体調を崩して、会社に行けなくなりました。

休んでいる間、これまでのことを振り返りました。ハワイでのビジネスを自分のビジネスにするために100%注いできたけど、ビザという自分の力ではどうにもできないことでシャットダウンされて。病気にもなって。元々起業したいと思って会社に入ったはずなのに、「何してんねん」という気持ちでしたちが湧いてきました。

人生一回きりなのだから、やりたいことやらなあかん。社長になりたいと夢を持っているのだから、踏み出さなあかん。会社を辞めて、起業のために動き出すことを決めました。

色々調べていく中で、思ってみたより起業は簡単にできることに気づきました。ものすごく難しいものだと思い込んで起業に踏み出せていなかっただけで、そうでもなかったんです。会社で仕事の引き継ぎをしながら、思い立ってから3ヶ月ほどで会社を立ち上げました。

最初に始めたのは、女性のための起業支援でした。私と同じ様に、起業したいと思いながら、ものすごく難しいことのように感じて踏み出せていない人がたくさんいるだろうと思ったんです。

ただ、起業支援はボランティアとしてしか成立せず、あまり事業としては成り立ちませんでした。経験を活かしたブライダル企業のコンサルティングなどをメインの事業にしています。女性の支援はしたかったので起業の相談は今でも受け続けています。

人のために生きる


現在は、ブライダルビジネスに関わる仕事と女性の起業支援に加えて、女性のための働く場所づくりをしています。

独立して半年ほどした頃に、仕事が全くなくなってしまったことがありました。大きな仕事がなくなって、信用していた人からも裏切られて、プライベートもうまくいかなくて、自暴自棄でした。何のために会社を立ち上げたかも、どうやって生きていけばいいのかも分かりませんでした。

その時、助けれてくれたのが今の仕事のパートナーです。困っていた時に「何でも手伝うよ」と言って、仕事を取ってきてくれたんです。イベントコンパニオンなど、女性がメインで働ける仕事です。

最初は私も現場に出ましたが、次第に、女性のための働く場所づくり、働く機会を作る事業を始めました。人出が足りていない仕事を取ってきて、時間の融通がきかずに働きたくてもなかなか機会がない女性に働いてもらうというものです。

独立してから色々悩みましたが、学生時代からずっと考えていた、女性の力を活かせる場所をつくりたい、というところに戻ってきた気がします。私の周りには、シングルマザーになった人や、子どもを預けられなくて働けない人、何をしていいかわからなくてフリーターをしている人など、自分の力を活かせていない人がたくさんいます。そういう人が活躍できる場所や仕組みを作っていきたいですね。今後は、時間に融通をきかせながら働ける場所として、仕事が集まるシェアオフィスを作ることも検討しています。

仕事は大変なことばかりですが、やりたいことをやっている分、充実しています。やっぱり、お客さんから仕事を依頼された時が一番嬉しいですね。仕事が無いということは、誰からも必要とされていないということですから。人から必要とされることが、私の原動力です。

留学した時も、ブライダルの会社で働いた時も、独立してからも、大変なことがたくさんありました。その度に、周りの人が助けてくれました。起業してからは特にそうですが、自分ひとりで生きているわけではないんだと、改めて感じます。

人によって生かされているのだから、人のために生きる。これからも、女性が活躍できる仕組みづくりをしていきます。

2016.04.18

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