拾ってもらえたこの会社で、やるしかない。大好きな会社の成長を見続けるために。

【株式会社UZUZ提供:第二新卒・既卒の就活CH】第二新卒・既卒に特化した人材紹介会社で、社内初の在宅社員として、新しい働き方の実現を目指す草野さん。家庭の事情で実家に戻ることになり、その後なぜ在宅社員として働き続けるのか。お話を伺いました。

草野 有砂

くさの ありさ|第二新卒・既卒専門人材紹介会社の在宅社員
株式会社UZUZの在宅社員として、カスタマーサポートやメディア運営に従事する。
※本チャンネルは、株式会社UZUZの提供でお届けしました。
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漠然とした将来しか持たない「普通」の大学生


茨城県水戸市で生まれました。一人っ子で、わがままに育ったように思います。祖父母からも可愛がられ、欲しいものは何でも買ってもらいました。活発な性格で、人見知りせずに誰とでも話すタイプでした。

将来の夢は、小学校に上る前は警察官や花屋さん、小学生になると学校の先生や保育士と、コロコロ変わっていました。

高校生になっても、将来のことは漠然としか考えていませんでした。進学クラスに通っていたので、周囲はみんな大学を目指すような環境でした。特に目的はありませんでしたが、私も大学に行くんだろうなと、何となく思っていました。

高校卒業後の進路については、親から茨城から出ないようにと言われていました。地元の大学に行くか、県内で就職するかのどちらかにするようにということでした。東京に出たい気持ちもありましたが、茨城も好きだったので、特に反抗する気にはなりませんでしたね。

県内の大学を第一志望にしていたのですが、入学試験では失敗したと感じました。自己採点の結果、苦手な数学で、合格点に50点近く足りませんでした。

それでも、せっかくなので大学まで合格発表を見に行きました。講堂の前に貼りだされた合格者一覧の中に、私の番号がありました。嬉しかったですね。父に報告しようと思ったのですが、自分でもびっくりしすぎて、上履きでそのまま外に出てしまいました。父に電話をして、「受かったよ。番号あったよ」と話したら、父がとても喜んで「本当に良かったね」と言ってくれました。上履きのまま、校門の前で電話していましたね。

大学では、部活やサークルなどには入らず、学科の友達と仲良くしていました。授業にはきちんと出席していましたが、特に授業以上に勉強するわけでもありませんでした。アルバイトをして、飲みに行って、どこかに出掛けてと、大学生らしい生活でしたね。

厳しい家庭で、門限があったのですが、大学生になってからは門限を破って夜遊びも増えました。父がタクシー運転手で、夜中にいないことが多く、それをいいことに遊んでいました。

先生になるのは、何か違う気がする


将来のことは、深く考えていませんでした。教育系の学部で、周りは学校の先生になるという人ばかりでした。同級生のほとんどが、3年生になった頃から教員採用試験の勉強を始めます。就活をしているのは、仲のいい友達の中では、ふたりくらいしかいませんでした。みんなが採用試験や就職のための活動を始める中、私は何もやってませんでしたね。
 
先生になることも、ちょっとは考えていました。先生になるための勉強をずっとしてきて、「先生になった方がいいのかな」という気持ちもありました。

私の父はタクシー運転手でしたが、もともとは先生になりたかった、という人です。父は経済的に苦労の多い家庭で育ち、アルバイトなどで学費を自分で払って学校に行っていたのですが、結局、学費を払えなくなって、卒業するまでは学校に通えず、先生になれなかった、という経緯があります。父は、自分の夢もあって、私に先生になって欲しいと思っていました。

でも、私は「学校の先生になるのはどうなんだろうな?」というのをずっと考えていました。教職課程を履修していると、教育実習に行くんですよ。実習で、私は小学校、中学校どちらにも行きました。実習は楽しかったんですよね、特に中学校は。小学校はすごい大変だったんですけど、子どもは可愛いし、色々学ぶことが沢山ありました。

でも、実習に行ってみて「これを仕事にするのって、どうなのかな?」という疑問を感じてしまいました。子どもは好きだけど、好きという気持ちだけだなと感じていました。学校の先生を仕事にするのは何か違うんじゃないかと、教育実習に行ってみて思ったんです。

普通だったらそこで就活をするものだと思うんですけど、私は何を思ったのか、次の行動が何も出てきませんでした。「何か見つかるだろう」くらいの気持ちで大学にも入ったんですが、やりたいことは何も見つかりませんでした。

先生になるのは違うし、他に何も見つかってない。

その状態がやばいなと思ったんですけど、そこで就活から逃げたんですよね。自分と向き合うのも嫌だし、面接も得意じゃない。そう自覚があったので、就活をするのはすごく嫌だなと思ってしまいました。合同説明会とどこかの企業の説明会に1回ずつだけ行って、後は全く就活をせず、ずっとアルバイトをしていました。

考えることから、逃げたんです。アルバイトのシフトをたくさん入れて、空き時間を忙しくして、思考することからそもそも逃げる、みたいなことをしていました。両親に怒られるかと思ったんですけど、両親は就活のことをあまり分かっていなかったので、「卒業後の進路はどうなっているの?」と聞かれても、ごまかし続けていました。

将来に対する不安は、めっちゃありましたね。自分に対して恥ずかしいという気持ちがあったんですよ。「何やっているんだろう?」と思うのに、行動できない自分。そんな自分が本当に恥ずかしくて。でも、何をやっていいかも分からない。

何か行動しようと思った時には、友達はみんな内定を取っているし、教員試験に合格したと言ってくるし、「どこから動けばいいんだ?」みたいな感覚でした。動き方すら分かりませんでした。

「既卒 やばい」「既卒 就活」


いろいろ迷走もしました。やっぱり先生になろうと思って、翌年の教員採用試験を受けようと思った時もありましたし、幼稚園か保育園の先生になろうと思って、ちょっとしたボランティアというか見学に行ったこともありました。でも、全部「うーん」という感じでしっくりこなくて、全て中途半端で終わってしまいました。

友達に相談もできないんですよね。仲がいいからこそ相談できない。みんなが頑張っている中、自分だけがダメダメな行動をしていたので、その自分のダメさ加減を知られたくなかったんです。

友達から、「何やってんの?」とか、「進路はどうするの?」と聞かれることもあったんですけど、「私もよくわからないんだよね」、とごまかして終わる。聞かれても逃げていました。

時間だけはどんどん過ぎていって、あっという間に卒業ですよね。結局、なにもしないまま卒業式を迎えました。卒業式の日は、みんなで袴を着て、写真を撮って、謝恩会に出てと、普通の一日を過ごしました。何も将来が決まらず、大学生活が終わりました。

卒業してから焦りが募り始め、インターネットで「既卒 やばい」「既卒 就活」と調べ始めました。検索にヒットした中で、ブログでちょくちょく既卒生の就活情報や働いているスタッフの情報を発信していた、第二新卒・既卒専門の就職支援サイトに興味を持ちました。何となく、このサイトで就職先が決まる気がすると感じて、求職者として登録しました。

ただ、卒業して1ヶ月位は、ほとんど就職活動をせずに教習所に通っていました。免許がないと地元の茨城では就職できないと思っていました。
5月からキャリアカウンセラーの人に本格的に相談を始めました。3,4社くらい受けた頃に、就職サイトの代表の人と話す機会がありました。代表と話しているうちに、うちの会社に入らないかと、誘われました。

突然のことでしたが、不思議と驚きはありませんでした。なぜか分かりませんが、心のどこかで、こうなるんじゃないかなと思っていたんです。他にも魅力を感じる会社があったのですが、代表からの誘いを断る理由も特になく、第二新卒・既卒に特化した就職のサポートをするその会社に入社しました。

就職できる安心感とともに、「やるしかないな」という気持ちでした。私には何もない。これまで何もしていない既卒。拾ってもらったなら、ここでやるしかないと考えていました。

実家に戻るか、働き続けるか


就職と同時に、茨城を出て東京で一人暮らしを始めました。仕事は、キャリアコンサルタントとして、既卒、第二新卒の就職をサポートすることでした。

初めての一人暮らしに加えて、初めての仕事に戸惑い、最初は泣き言ばかりで、よく両親に電話していました。ある時、電話口で、父から「今のお前は本当に甘いからね」と言われてしまいました。教育実習の時もよく家で泣き言を言っていたのですが、その時と比べて成長していない私に「実習の時と何も変わってないよ。そのままで良いと思ってるの?」と。

父の言葉で弱い自分に気づかされました。泣き言を言うのはもうやめよう。弱音を吐かずに仕事に取り組むようになりました。

それからは、徐々に仕事を楽しめるようになり、少しずつ結果も出るようになりました。求職者の方から、「草野さんに恩返しをしたくて、内定を取ろうと思いました」と言われた時は仕事をしていて本当によかったと感じました。会社自体もどんどん成長していて、この会社の成長を一緒に見続けたいと思っていました。

仕事にも慣れ、新しい業務にも挑戦しようとしていたタイミングで、父が亡くなりました。2015年の大晦日、仕事が長引いた夜勤帰り、事故に遭って命を落としました。あまりに突然のことで、信じられませんでした。

父の葬儀や遺品の整理などが終わり、東京に戻ったあと、少しして実家に帰ることがあり、母と会いました。

話しているうちに、母が「毎日お父さんの写真の前で泣いちゃうんだよね」と、ポロッとこぼしたんです。「帰ってきなよ」と冗談めかす感じで言うんですが、これは相当辛いんだろうなと感じました。自分に兄弟がいれば良かったのですが、誰もいない。今は、会社を辞めて茨城に帰るべきなんだろうなと、その一言で確信しました。

すぐに上司に会社を辞めることを相談しました。考えがまとまらないまま話をしたのですが、その中で、本当はこの会社が好きだから働きたいとは思っているものの、今の自分の現状を考えると、茨城に戻る選択をしたいという話をしました。上司との話が終わってすぐあとに、代表に呼ばれて、「じゃあ在宅で働かない?」と。

在宅勤務という選択肢を想像していなかったので、驚きましたし、嬉しかったですね。「え、いいんですか?」という感じです。在宅だと、担当するキャリア相談の数もすごく少なくなるし、新しく取り組む予定だった営業もできなくなるので、良いのかなと。在宅社員になるなら、在宅社員なりの働き方をするという新たな目標はできますが、これまで通りの仕事をできなくなる部分が大きいので、「いいの?」というのが正直なところでした。

どんな働き方になるのかという不安もありましたが、会社で働き続けられることが嬉しくて、在宅社員として働き続けることにしました。

大好きな会社の成長を見続けたい


現在は、株式会社UZUZの在宅社員として、カスタマーサポートや、ブログの記事執筆などの仕事を担当しています。

在宅社員と言っても、会社の営業時間と同じ時間に働きます。オフィスと自宅は映像と音声でつながっています。オフィスにいるのとほとんど変わらないですね。声をかければ、誰かが反応してくれます。思っていたよりこれまでと変わらない環境で働けています。

最近は、ブログ記事の執筆に加えて、新しいメディアの立ち上げに取り組んでいます。自分でもメディアに使う記事を時々書きます。ネタを見つけて、自分の知らないことを調べて記事にする。記事を書く仕事の中で、新しいことを発見できるのが楽しいですね。自分の記事に対する反響があったり、記事が求職者の登録に繋がったりするのも面白いです。

今後は、外部のライターさんのマネジメントにも携わります。新しいことに関われるのは嬉しいですね。

私はこの会社が大好きです。既卒で何もない私を雇ってくれるばかりか、辞めようとすれば在宅社員としてのオファーをくれるほど、社員思いの会社ですし、本当に働きやすいです。新しい事業をどんどん展開しているので、毎月どころか、毎日何かが変わっていくのも面白いです。そのスピード感の中で働けるのが嬉しいですね。変な話、嫌なところが全く出てこないんですよね。同年代の誰よりも良い環境で働けている実感があります。

将来の夢は、明確に決まっているわけではないのですが、会社を大きくするのに貢献したいと考えています。その中で、今は在宅勤務という自分しかしていない働き方を通して、「在宅勤務でも形になる」という結果を残すことで、会社の働き方を広げたいと思っています。

私みたいなダメな既卒に、「ここで働いて良い」と言ってくれる会社なんて、なかなかありません。心から、本当にいい会社だと思っています。この大好きな会社がこれからどうなるか、ずっと見ていたいです。

2016.04.05

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