社会に貢献し続けるため、大企業に変化を!がむしゃらに頑張ることで見えてきたもの。

社員数1万人を超える大企業に勤めながら、「大企業の体質を変えたい」と話す林田さん。幼少期から常に落ちこぼれだったと話す林田さんが、仕事にがむしゃらに取り組む中で見てきたものとは、どんなものだったのでしょうか。お話を伺いました。

林田 敏之

はやしだ としゆき|IT企業勤務
大手IT大企業に勤務しながら、イノベータ―として様々な分野と大企業のマッチングを行う。

どんな環境でも常に落ちこぼれ


東京都昭島市に生まれました。小学校、中学校では全く勉強ができず、先生から出来の悪い子と言われることもありました。正直勉強はできるほうではなかったです。

高校では特に熱中したことがなく、クラスの友人に誘われて、テニス部を作ったりしました。勉強は好きではなく、成績も良くなかったです。周りの友達が受験を考えていた影響もあり自分も理由もなく行かなくてはと思い、浪人を経て青山学院大学の理工学部へ進学しました。

大学では、体育会に近い競技志向のテニス部に入りました。運営幹部の先輩に頼まれて、3年からは全国のテニス大会を運営する団体の役員をすることになりました。選手と運営、どちらにも力を入れていましたね。

サークルや遊びに明け暮れていたので、授業にはついていけず、大学時代も勉強は全くしませんでした。成績は学科で131人中、131位。就職活動では、バブル全盛期で周りは次々と決まっていく中、大学推薦すらもらえず、1人だけ決まらずにいました。それでも焦りはなく、何とかなるだろうと思っていましたね。自分の将来やりたいことが明確にあったわけではないので、淡々としていました。

そんな中、大手IT企業に勤めていた大学の先輩から声をかけられました。何をする会社か知りませんでしたが、大手ということもあり入社を決めました。

がむしゃらに頑張ることで感じた手ごたえ


入社してから、ITエンジニアでの採用だったと知りました。最初は本当に大変でしたね。大学時代にプログラムを組んだことがある同期も多くいる中、パソコンの仕組みすら全く分らず、研修の時からレベルの違いを痛感しました。

仕事では同期についていけないことも多く、「なんでこの会社に入ったのだろう」と不安になり、何か楽しいことを探して会社を辞めようと思ったことも。新人時代にはお客さんからも「なんでこんな若造がうちの担当なんだ」と言われることもありました。落ちこぼれからのスタートでしたね。

それでも「自分で選んだ会社なんだから、目の前の仕事を一生懸命やろう」という気持ちでした。土曜日にお客さんのもとへ行き、鍵を借りて朝まで作業することもありましたね。怒られながらもくじけず、ただがむしゃらに頑張る日々でした。

時間が経つに連れて、頑張っている姿勢を少しづつお客さんから褒めてもらえるようになってきました。お客さんから信頼してもらえたり、担当の中でお客さんについて一番詳しくなったり、大きなプロジェクトのリーダーを任されたり。徐々に、「仕事ってこんな感じなんだ」という手ごたえを感じるようになりました。

それでも、会社にまぐれで入ったという感覚があり、一番下っ端という意識はなくなりませんでした。周りと比べれば知識も全然なかったですし、「お客さんに対しても申し訳ないから一生懸命自分ができることを精一杯やって働こう」という意識を持っていました。

突然の異動


入社して15年ほど経ったある日、異動の話を受けました。異動先はそれまでのITエンジニアではなく、会社の流れや仕組みを統括する現場から少し離れた立ち位置でした。

キャリアを積むための異動というイメージがあり、自分に経験も知識もない部門への異動への話が来たことに、すごく驚きましたね。それでも、知り合いが誰もいない部門に一人で飛び込み、自分がどこまでできるか試してみようと思い、異動を決めました。

新しい仕事は、ものすごく大変でした。毎週、会社の幹部の人たちを集めて戦略会議をしたり、部門全体をどうやってよくしていくか、その議題作りのネタ出しを一人でやっていくんです。事業戦略、コンプライアンス、法務、財務、セキュリティなど、ありとあらゆる分野の勉強をしました。自分よりはるか上の立場の人に対して下手なことはできないため、とにかく一生懸命でしたね。

すると、それまで誰も自分の見方がいなかったのですが、頑張っていたことで少しずつ周りから応援してもらったり協力をもらえるようになったんです。

頭が悪くても、とにかくがむしゃらに頑張る。すると、知り合いが誰もいない環境でも周りの賛同をもらえるようになり、周りを巻き込み、部門全体を変えられる。影響を及ぼせるんだと感じました。非常に密度の濃い、充実した仕事でした。

事業会社の経営に


任期が終わる頃、「新しい事業会社の経営をやらないか」という話をもらいました。41歳だったので、事業会社の経営なんて、最初は全く信じられませんでしたが、何事もチャレンジしてみようと思い飛び込みました。

部門全体の仕組みやルールがどんなものかは分かってきていたので、仕事内容にはそれほど大きなギャップを感じませんでした。

新しい事業会社への就任当初はうまくいきませんでした。新しい会社の社員のマインドが全く違ったんですね。社員の仕事に対する価値観、働く上でのモチベーションの源泉となるものなど、これまでとは違った価値観がありギャップがありました。血のかよったコミュニケーションがうまくできず、ぎくしゃくした部分が多かったです。

自分の価値観を押し付けてもうまくいかないことに気づきました。社員一人ひとりと話をすることで、彼らが何を考えているのか、どんなことを会社に求めているのか、どんな思いで仕事をしているのかを確認しあう、相互理解があってはじめてコミュニケーションが噛み合い始めました。するとチームが徐々にうまく回るようになったんです。

事業会社で働くことで、社会にはいろんな価値観があることに気付きました。大手企業の価値観はある意味、社会全体の価値観とはズレている部分もあることが初めて見えてきました。これからの社会に適応していくためにも、大企業には変化が必要なのではないかという危機感がありましたね。

自分は運がありいろいろ経験できた人間です。事業会社経営をさせてもらったのも、自分の会社を外から見ることができたのも、自分の努力ではなく、上司をはじめ、自分のことを見て、評価してくれた周りの人のお陰だと感じました。

その人たちや会社に恩返しをしたい。外から冷静に会社を見られた自分ができることは何か、と考えた時に、「将来、社会に貢献し続けるために大企業の体質を変えたい」と感じました。いろんな業界の大企業に勤める同年代の方たちと話をたくさんしましたが、どの業界でも大企業の同年代の方々は細かいところは違ってもベースにある体質は同じようなものだと痛感しました。自分がやるべきこと、自分にしかできないことはなんだろうと深く考えました。

当初2年間だった事業会社への出向任期はいつの間にか5年を経ていました。そして46歳の時、大きなプロジェクトが終わったタイミングで事業会社での任務は終了になりました。

大企業に戻ってきてまず感じたことは、企業の体質が旧態なものだと肌で感じました。自分がパワフルにやっていかなくてはと思いました。

大企業の体質を変える


現在は、一般法人分野のBtoBビジネス部門の統括をしています。会社の体質を変えるため、色々なことを実践しています。もちろん本業でしっかりと結果を残さなくては、会社を変えるために強い影響力を持てません。

働き方が出向前と大きく変わりました。目の前のことをがむしゃらにやるだけでなく、企業体質を変え、イノベーションを起こすこと、それをどう本業へ活かしていけるかを常に考えながら仕事をしています。すると、変えなくてはいけない部分がたくさん見えてきたんです。

そのうちの1つが、ベンチャー企業との連携です。世の中では、ベンチャー企業の気運が高まる中、大手企業がベンチャー企業との連携はタブー視される面が多々あり条件によって取引すらできず、門前払いの状態でした。それを変えるために社内で、ベンチャー企業が大手企業の経営陣に向けて、イノベーションを生み出すためのプレゼンテーションの場をセッティングしました。

大企業体質を変えるために、内部から働きかけてもうまくいきません。だからこそ会社の外部や世論を仲間にし、世の中に発信していくことで、うまくいくんだと感じました。

ここ数年で会社の雰囲気は少しずつ変わりはじめました。ベンチャーとの連携した企画や活動が当たり前になってきたので、今はさらに新しい分野との連携としての幅を広げて、NPOやアスリートとの連携も始めています。まさにオープンイノベーションです。

大企業に入社する多くの社員は、何十倍もの倍率がある中、選ばれて入ってくるため、人間力としてのポテンシャルは比較的高いものだと思います。にもかかわらず、定年まで雇用が保証されているかのような錯覚を大企業に勤めていると起こしてしまうんです。「世の中=自身の企業環境」という錯覚を起こしてしまい、社内で「うまく」動き回り、企業環境に順応することにエネルギーを注いでしまいます。非常にもったいないと感じます。

そうなっているのは、高度成長時代であった昭和の時代に日本の企業がもっていた、「働けば働くだけ企業の売上が増し、そこで働く社員の生活や心の豊かさも同調して増す」という価値観を、高度成長時代が終わった現代でも保ち続けている部分があるからだと思います。

環境が変わり、企業で働く社員の価値観も若い世代に様変わりしつつある中、企業体質も時代にあったものに変化していく必要があると思います。これまでの成功体験は、あくまでこれまでの社会環境での成功であり、これからの社会環境にマッチした成功とは限らないので、新しい成功体験を創り出す行動を大企業は怖がらず取るべきというのが持論です。大企業でなければ体力的な理由もあり、大きなリスクはとれない場合もあると思います。

大企業がこれからの将来において担うべき役割は、社会に貢献し社会を変えることだと思います。多くの企業体質が変っていけば自然と社会はよくなると思うのです。

今後は自分の意思を継ぐような後継者を見つけて、このコミュニティを維持していきたいです。そして、社外を巻き込んで大企業を起点としたイノベーションを繰り返し、業界問わず、多くの他の企業や世の中にもインパクトを与えていきたいです。

※インタビュー:小野 修平

2016.03.23

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