「かわいそう」から「かわいい」へ。世に知られていないものを、プロデュースする。

報道やドキュメンタリーのテレビ番組制作に長年携わり、関心があるペット業界とのコラボレーションも積極的にプロデュースする澤田さん。一度はテレビ業界を離れた澤田さんが、どうして、再びテレビの世界に戻ってきたのか。そこにあるメディアに対する熱い想いを伺いました。

澤田 祥江

さわだ さちえ|世の中に知られていないものを総合プロデュースする
ドキュメンタリー番組を中心とした映像制作会社オルタスジャパンにて、営業、番組制作プロデューサーを務める。また、「ペットメディアプロジェクト」活動にも関わる。

2017年2月26日(日)澤田さん登壇イベント「Sunday Morning Cafe〜あなたの未来を変える生き方〜」開催!

人生を変えた「いじめ」の恐怖


神奈川県川崎市で生まれました。渋谷の東急百貨店の一番上にあった東横ホールで、木馬座という劇団のぬいぐるみ芝居をよく見ていました。芝居をやってみたいと思いましたが、教育者の立場である厳しい父には言い出せませんでした。

活発で、男の子とも取っ組み合いの喧嘩をするような子どもだったのですが、中学2年生の時、いじめられるようになりました。いじめられていた子をかばったら、次の日から標的になってしまったんです。

私のそばから人がいなくなり、追い詰められ、学校には行きたくても、怖くて行けなくなりました。いじめという言葉が一般的でなかった時代ですから、転校したいと学校に話しても相手にしてもらえません。市役所に相談しても、いじめが大きくならないと学校は変えられないと言われました。自分がいらない存在に思えてきて、生きている意味や先のことが見えず、真っ暗なトンネルを永遠に歩きつづけるような心境でした。

そんな私の心を救ってくれたのは家族でした。弟は小学生ながらも私の話を聞いて、味方になって私を支えてくれましたし、父と母は一生懸命学校に掛け合ってくれました。私に対する深い愛情を感じました。そんな家族のためにもちゃんと生きようと思い、頑張れました。

半年ほどして、やっと転校が受け入れられました。転校先では、担任の先生もいじめられた経験がある人だったので私に理解を示してくれましたし、友達もたくさんできて、中学生活を再出発できました。

それでも、自分に自信がもてずに胃が痛くなり「胃潰瘍」で入退院を繰り返していたので、私立の高校に行っても続かず、通信制の学校に通いました。高校卒業の頃には自信を持てるようになり、大学生活は無事に送ることができました。

演劇業界からテレビの道に


入院していた頃、何か目標を持とうと思い、芝居を始めました。入った劇団は、日本でおきた事件や思想などを舞台表現する、小さな「アングラ演劇」でした。

アングラ演劇は自分たちを追い込むことで有名で、「ご飯を食べる時間、寝る時間があれば台本を覚えろ」という、厳しいと言うよりはエキセントリックで独特な空気でした。その雰囲気に慣れなくて、倒れてしまいました。命を取るか、芝居を取るか。考えた結果、大学2年になる頃に劇団をやめました。

普通の大学生活に戻っても、芝居や制作に関わりたい気持ちは変わらなかったので、卒業後は大手劇団の制作部に就職しました。企画の仕事をしたいと思っていたのですが、仕事内容は切符の販売とお茶汲みでした。

当時、女性は就職しても、2年くらいで結婚して仕事を辞めて家庭に入り、専業主婦になることが当たり前のような世の中でした。私は、結婚しても一生仕事を続けたいと考えていたので、このまま切符を売っているだけでいいのか、と考えていました。

4年ほど働いたある時、大学時代のバイト先のオーナーでテレビドラマの監督をしていた方から「テレビの世界が向いているんじゃないの?入ったら?」と言われました。

元々、テレビドラマ制作にも興味がありました。また、転職を考えていた時、「いじめ」がニュースで大きく取り上げられていて、テレビの世界なら自分にしかできないことがあるかもしれないと思い、テレビ業界に転職すると決めました。20代後半で転職先を見つけるのは難しかったのですが、マスコミ業界に転職するための夜間学校で勉強して、学校の推薦を受けてテレビの制作会社に入りました。

入社当時、ドラマを作ることしか考えていなかったのですが、配属されたのは報道の部署でした。作るのはドラマではなくドキュメンタリー。こんなハズじゃなかった。どうにかしてドラマに関わりたいと思っていました。

ただ、私がアシスタントとしてついたディレクターは、以前ドラマを担当されていた方で、ある日、こんな話を聞いて気持ちが変わりました。「僕もドラマをずっと作っていたし、今でもドラマをやりたいと思っている。でも、ドラマは作り物だけど、ドキュメンタリーってその人の人生そのものだから、ドラマよりもドラマチックなんだよ」と言われたんですよ。

そういう目線で仕事をすると、まさにその通りだったんですね。人の人生に、「仕事だ」と言ってズカズカ入れる世界はドキュメンタリーしかありません。ディレクターの話を聞いてからドキュメンタリーが面白く感じられるようになって、ドラマのことは忘れちゃいましたね。

テレビ業界の光と影


数年間、AD(アシスタントディレクター)をしていたのですが、30歳を過ぎて、同世代はディレクターとして番組を企画していたので、私も早くディレクターになりたいと思っていました。チーフプロデューサーに番組を作りたいと直談判すると、「企画を出して通ったらディレクターにしてやる。その代わり、ADの仕事と両立できることが条件だ」と言われました。

ADの仕事も忙しいし、さてどうしよう。そう思った時に、ホストクラブを取材したらいいと思いつきました。ホストクラブは朝8時頃まで営業してますから、私の睡眠時間を減らせば取材に行けますからね。時間的に、AD業務もこなすことができます。

そんな理由で始めたホストの企画が、大きな注目を浴びました。当時、ホストクラブは世の中に認知されていませんでした。どんな所か社会的に知られていなかった場所、通常カメラを向けないところにカメラを向けたので、取材はもちろん、ネタ出しや人の紹介まで依頼されるようになったんです。

ホストクラブは、すごく面白いんですよね。何が面白いかというと、ホストクラブでは、人間のすべての「欲」が見えるんです。食欲、性欲、お金の欲。欲という欲が全部入っていて。そういうところの裏側って、普通は行けないですよね。テレビの取材という形じゃないと見られないじゃないですか。

それがすごく面白くて。「仕事です」と大手を振って普通の人が入れないところに行けます。ホストクラブから始まり、キャバクラ、性風俗、最終的には、全国の刑務所を周りました。事件の張り込みや芸能取材もそうです。テレビでしか味わえないことをメインでやっていました。

ディレクターになり5年ほど経ち、順調に仕事をしていた時、ハワイ沖で水産高校の船が沈没した事故を取材しました。事故で亡くなられた被害者の自宅に行き、カメラとマイクを遺族の方に向けた時に、「被害者は悲しみで苦しんでいるのに、なぜ取材する。加害者にはなぜカメラとマイクを向けない。あなたは本当に人間ですか?」と言われました。

その時、報道の自由とは、ジャーナリズムとはなんだろうと思ってしまって。ジャーナリストとして、伝えるべき真実を伝えなければならないけれど、カメラとマイクを被害者に向けるのが本当にいいことなのだろうか。相手が嫌だと言っているのに、当時は電話をしたり、家のインターホンを鳴らしたりしていました。そこまでする報道って一体何なんだろうか。そう思った時に、私は人間らしくいたいと思いました。

カメラとマイクは、少なくとも被害者に向けるものではないのではないか。そう疑問を感じた時に、無意識にカメラとマイクを向けられなくなっていました。それではジャーナリストとしては失格。テレビ業界を離れることにしました。

それからは、ホスト雑誌のライターをしました。テレビの企画でお世話になったホストの人たちが、取材など全面的に協力をして助けてくれたんです。

1年ほど経つと、先輩から、「そろそろ戻ってこないか」と声をかられました。確かに、テレビに対して未練がありました。テレビでしか会えない人がいましたし、取材では知らないことを知ることもできます。被害者にカメラとマイクを向けることへの疑問はまだありました。

しかし、先輩が、「そんな感覚の人間がテレビを作ったら、違う面白い視点が表現できる取材ができるんじゃないのか?」と言ってくれ、その言葉が私の背中を押してくれたんです。いろいろ考えた結果、先輩の意見と同じことを感じるようになり、テレビ業界に戻ると決心しました。

一頭のワンちゃんが家族を救った


ある時、愛犬家である方と一緒に、動物番組を企画しました。動物病院の取材に行くことになったんですけど、私は犬が嫌いで触ったこともありませんでした。

「自分が触ることはできない。でも取材もあるし、どうしょう」と思いながら病院に行くと、みなさん、犬を我が子みたいに大切し、愛情をもって接していました。その姿を見て、「触れません」なんて言ったら失礼にあたると思ったんです。怖いと思う気持ちを隠して、飼い主さんに犬が苦手だと気づかれないように、必死で抱っこしました。

すると、触った瞬間、ワンちゃんが可愛くなっちゃったんですよ。それから、殺処分されるワンちゃんの存在を知り、その子たちのために何か活動したいと思い始めました。その時、一頭のワンちゃんと出会い、引き取ることにしました。名前はキャンディーです。

トイレのしつけも全部して、甘噛みとかもしなくなって落ち着いた時に、父が突然亡くなりました。母ひとりで家にいさせるわけにもいかないので、私の家に来ることになりました。母は犬が大嫌いでしたが、腹をくくってキャンディーと仲良くなると決めて、一緒に住み始めたんですよね。

お父さんが亡くなると、お母さんがおかしくなってしまうことがよくあると聞いていましたが、私の家では一切ありませんでした。キャンディが母を寂しさから守ってくれるんです。キャンディーは、父と入れ替えのように、亡くなるのが分かっていたように家に来たんですよ。父が亡くなった日と、キャンディーの誕生日が同じなんです。うちに来るべくしてキャンディーは来たんだと思います。運命を感じました。

私も父が亡くなったことを受け入れられず、3ヶ月位はご飯を食べられない時期がありました。そしたら、私を心配したキャンディーまで具合が悪くなってしまって。動物病院で、「これ以上あなたがご飯を食べないと、キャンディーちゃんまで死んじゃいますよ」と言われ、キャンディーがいたから、私もご飯を食べ始め、元気になろうと思えました。

わんこが家に来たおかげで、いろんなことが変わったんですよね。それから、ペットに関わる活動をするようになって、「ペットメディアプロジェクト」という保護犬のファッションショーを始めました。ペットの番組をやりたいと思っていたんですが、なかなかスポンサーが見つからなかったのがきっかけでした。

殺処分をなくすため、啓蒙の意味も含めてワンちゃんの知識を飼い主さんにお伝えするような番組の企画をしても、予算がつかなくて。また、テレビの人間として、良かれと思ってペット業界に提案しても、表現方法が理解されず、NGを出されることもありました。

だったら、「自分たちでちゃんと見せよう」と思ったんです。ペット業界のプロと、メディア業界のプロが集まって、正しい知識を新しい切り口で表現していこうと。

ファッションショーでは、捨てられた犬たちを、プロの手で可愛い自慢の子に仕上げます。「かわいそう」から「かわいい」に変えることで、引き取りのお手伝いをしようと考えているんです。

単純にワンちゃんをランウェイで歩かせるだけではなく、ペット業界の人材を育てることも目的としています。ワンちゃんをリードするハンドラーさんは、ペットの勉強をする専門学校の生徒にお願いしています。裏側では、プロのトリマーさんが、生徒さんに教えながらワンちゃんを綺麗にします。プロの技を、感受性が高い若い時に触れてもらい、社会に出たときに役に立つための実践をしてもらっています。

ファッションショーでは、ワンちゃんも人間同様疲れるので、休ませなければならないことを来場者にお伝えして、休憩時間を設けます。ワンちゃんが出てこない休憩時間こそ、私たちメディアの人間の腕の見せ所です。お笑いなどのパフォーマンスで、お客さんを楽しませる仕掛けを提供します。

ペット業界とメディア業界のコラボレーションで、お家がみつからないワンちゃんの飼い主が見つかるようにという願いを込めたプロジェクトです。

映像だけにこだわらずに幅広く制作ができる、マルチ総合プロデューサーとして


現在は、ドキュメンタリーを中心としたテレビ制作会社に勤めています。私のメインの仕事は、営業です。制作会社も、番組を作っているだけではなく、新しいことに挑戦することが求められる時代なので、映像にこだわらず、様々な企画プロデュースや営業を、自由にやらせてもらっています。それは、うちの社長や上司が一人、一人の適正を見て仕事をさせてくれているからです。

もちろん並行して、番組制作もやっています。ペットの番組は会社の中で私が一番得意なので、プロデューサーとして制作まで担当していますね。また、ペット好きが転じて、獣医師の方のタレントマネジメント、本のプロデュース、アプリや企業のイベントコンサルなどもしています。今の会社でなければ、させてもらえないことでしょうね。自由にやりたいことをさせてくれる会社に、本当に感謝しています。

テレビ業界にいる人はみんな同じだと思いますが、仕事でやりたいこととプライベートでやりたいことがリンクしているんですよね。獣医師のタレントマネジメントをきっかけに、動物に関わる番組を制作したり、番組制作がさらにペットメディアプロジェクトに活かされたり、いろんなところでリンクしているんです。

ワンちゃん経由で知り合った人から、企業の映像制作を発注してもらったりもします。営業先の人は、なぜか動物を飼っている人が多くて、打ち合わせが犬や猫のことで盛り上がり、最終的に仕事を頂いて帰って来ることもあります。

不思議と、全部がなんとなくつながっているんですよね。中学生の頃にいじめられていたこともそうです。いじめは絶対に良くないことですが、いじめられていなかったら、別の高校、大学に進んでいたでしょうし、テレビの仕事もしていなかったと思います。人とのつながりやありがたさを、今ほど理解できていなかったかもしれません。だから、どんなに苦しいことでも、人生、全てがつながっていると感じます。

色々やっているので、よく「何屋さんなんですか?」と聞かれるんですけど、結局は、「いろんな形で『プロデュース』をしたいんだな」と感じています、映像も、イベントコーディネーターも、コンサル的なことも、タレントマネジメントも、書籍も、全部に共通するのはプロデュース。

映像は好きですけど、映像だけをやっている人はたくさんいますし、うちの会社で私よりも、もっと優秀な制作のプロたちが沢山います。映像制作はその人たちに任せておけば安心です。

でも、人をつなげたり、いろんな形でプロデュースするのは、他にいませんし。私しかできないことかなと思うんですよね。私にしかできないことをちゃんと確立して、ビジネスの軌道に乗せていければいいかなと思います。

テレビや映像にこだわらない総合プロデューサーになり、いろんな架け橋を作ることが私の大きな目標です。

2016.03.17

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