生活は、誰かに決められるものではない。目の前の人を知り、人生に寄り添った介護を。
【株式会社ティスメ提供:介護のしごとCH】千葉県松戸市の小規模多機能型居宅介護施設の管理者として働く田中さん。徹底して利用者の生活に合わせた介護を行なう背景には、どんな思いがあるのでしょうか。お話を伺いました。
田中絵理
たなか えり|小規模多機能型居宅介護施設管理者
千葉県松戸市にある、小規模多機能型居宅介護施設「エスケアライフ松戸」の管理者を務める。
※本チャンネルは、株式会社ティスメの提供でお届けしました。
「みんなで一緒」が苦手だった
東京で生まれ、2歳から千葉県松戸市で育ちました。人と接するのは好きでしたが、人に合わせることや、みんなで一緒に何かをすることが好きではありませんでした。小学生くらいの時、女の子って友達同士で一緒にトイレに行くけど「何で?どうでもよくない?」と思っていましたね。学校と家が近かったので、誰かと待ち合わせて学校に行く習慣もありませんでした。
ご飯を食べましょうとか、どこかに行きましょうという時には一緒に行動しますが、「私はこうしたいから、みんなとは別」と動くのは当たり前で、自分がしたいことをしたいようにしていましたね。
高校の時まで、将来については何も考えていませんでした。やりたいことがないし、勉強は嫌い。何をしていいか分からない。まずは自分でお金を稼げるようになろうと、高卒で書籍販売の物流会社に就職しました。
仕事の内容は、書籍の注文をチェックし伝票作成する部署でした。初めのうちは、お給料をもらえるので疑問を持つことはありませんでしたが、一日中座ったままパソコンと向き合っているだけの仕事は苦痛で、働く大変さを感じました。
少しでも自分の興味のある仕事をしようと思い2年半で退職し、その後は音楽やファッションが好きだったこともあり、アパレルショップでアルバイトをしました。好きなものに関われて、お客さんと話すのも楽しく半分は遊んでいました。
ただ、アパレルの仕事をずっと続けられるとは思っていませんでした。アパレル企業に就職しても、店頭に出ているのは若いうちだけで、内勤の仕事になるのが予測出来たので、楽しいのは若い時だけだろうと思っていました。だからと言って将来を考えるわけではなく、アルバイトをしながら好きなバンドのライブを観にライヴハウスへ頻繁に足を運ぶ生活でした。
普通に生活をするだけの仕事
アルバイト生活を始めて2年ほどして同居している祖母の介護が必要になったことをきっかけに母がヘルパーの資格を取って働いていたので、フラフラしている私に介護の仕事を勧めてきました。何をするのかさっぱり分かりませんでしたが、手に職をつけなければと思っていたので、ホームヘルパーの研修を受けました。
最後の研修で2日間介護施設に行ったのですが、正直、「これが仕事になるんだ」という感じでしたね。別に何か特別なことをやっているわけではないので。お風呂に入ったり、ご飯を食べたりはしていますけど、利用者に合わせて、普通に生活しているだけの感覚でしかありませんでした。変な話、なんて楽な仕事だと思っていました。
研修先で利用者の人の生活に合わせたサービスを提供する介護職の仕事になんとなく興味を持ち、アパレルショップを辞めて研修先であった東京の介護老人保健施設(老健施設)で働き始めました。
老健施設での仕事は、「利用者と一緒に普通に生活しているだけ、素でいるだけ」という感じでしたね。ただ、服を売るのと人の生活を支えるのでは、大きく違い、医療や介護の知識も必要になりますし、利用者のそれまでの歴史を知らないとその人に寄り添った介護はできません。病気のことや飲んでいる薬のことまで、色々と勉強しました。学ぶことが楽しいと、人生で初めて思いましたね。
ただ、違和感もありました。老健に来る方は認知症などの方も多く、勝手に建物の外に出て行ってしまう人もいるので、施設の扉には鍵をかけているのが普通です。でも、何をするのも利用者の自由だから、「出ていきたいなら、出ていってもらえばいいじゃん」と考えていたんですよね。
そのため、休憩時間を使って、個人的にみんなを外に連れて行ったりとか、扉の外側のテラスでお茶会を開いたりしました。周りからは「外に連れて行くなんて、何をやってるの?」と言われましたが、何より本人が楽しんでいるし、最終的に無事に利用者の方と施設に帰ってくるならそれでいいと思っていました。休憩時間で何をやろうが勝手じゃないですか。自分がやっているのは、目の前の人を楽しませて、笑顔になって帰ってもらう仕事なので、他者から文句を言われる筋合いはないと思っていましたね。
目の前の人に寄り添った介護
その後、デイサービスの仕事を経て、グループホームで働き始めました。グループホームは他の介護施設のように規則に縛られず、利用者の方の普通の生活が行われていて、「あたりまえの生活をあたりまえにするってこういうことだな」と感じました。
例えば、他の介護施設のように決められたご飯の時間はありません。利用者の起床時間はバラバラで、朝早く起きて朝ごはんのメニューを考えて作る人もいれば、遅くに起きてきて出された朝ご飯をそのまま食べる人もいます。早く起きた人が、我慢できないから食べようかと言えばスタッフは「じゃあ食べよう」と返す、遅く起きた人に「作ってもらった分、食器洗いはお願いね」とお願いして、そういう自宅での会話が普通にありました。
利用者の方が自分のことは自分でします。玄関にゴミを置いておけば、ゴミを自分で捨てに行ってくれる人もいました。洗濯物なんて、スタッフが干すことはなかったですからね。「干したくないならそのままで。ビショビショのままにしておけば」という会話が普通に成り立っていました。他の介護施設だったら、スタッフが全て身の回りのことを整えますから、大違いです。
それまでの施設で働いている時は、利用者の自由でいいと言いつつ、利用者の行動を止めることもありました。グループホームは利用者に対してスタッフの人数が多く、法律の制限を受ける介護施設と違って、住まいでしかないため、特別な制限がないことも影響していました。グループホームでは個人に寄り添って何でもできたんです。
それまでの自分のやり方が間違っていると思いましたね。人がいきいきしているってこうだよなと、介護観が大きく変わりました。とことん寄り添って、付き合おう思ったんです。
小規模多機能型居宅介護施設の可能性
認知症対応型と言われる施設を経験する中で、小規模多機能型居宅介護施設(小規模多機能)は介護保険制度の中の枠に捉われず、自宅での暮らしを続けることが出来ると感じました。
小規模多機能は、利用者さんがデイサービスとして利用することも、宿泊として利用することもできますし、スタッフが訪問介護を提供することもできます。家での生活を大事にしながら、必要があったら24時間365日訪問介護を提供できます。
グループホームは24時間365日スタッフと生活を共にできる場所ですけど、結局自分の家じゃないんですよね。それが悪いとは思っていないのですが、今まで住んできた家、生きてきた場所ではないところで生活をしなければいけないという意味では、感覚としてちょっと違うかなと。本人が望んで入居するってことは稀なので。
家に帰るって、多分無意識だろうと思うんです。無意識だけど必ず帰りたい場所なんですよね。それは誰でも一緒だと思います。まずは家があること。家で難しくなってきた生活の一部を、お泊りだったり、デイサービスだったり、訪問で補っていく。そこに惹かれました。
小規模多機能には、規制がなくて柔軟に対応できる。訪問でこれをやっちゃだめとか、デイサービスでこれをやっちゃだめとかの決まりがないので、その人の生活リズムに合わせてサービスを提供できる。利用者が今までの人生で培ってきたものを大切にして、隣り近所や商店とか地域でなじみのある場所や人との関わりを継続しながら生活できる環境は、介護保険の中では小規模多機能しかないと感じました。
地元が大好きで、そろそろ松戸に貢献したいという気持ちもありました。松戸市の中で一番高齢化率が高い地域に住んでいて、周りから介護の相談をされることも多く、身近に相談ができる環境を作りたいと考えていたんですよね。
宅老所を運営している社長から声をかけていただき、小規模多機能を立ち上げる予定で12年働いていたグループ会社を辞めました。デイサービスと宅老所で働きながら立ち上げの準備をしていましたが、色々と事情があって立ち上げができず、小規模多機能にこだわっていたので、松戸市内の小規模多機能を運営していた別の会社に移りました。
最後に棺桶の中で笑えるように
現在は、松戸にある小規模多機能型居宅介護施設「エスケアライフ松戸」で、管理者として働いています。管理者といっても、特に仕事内容は変わりません。利用者と接する職員として、利用者の生活に寄り添ったサービスを提供するだけです。介護施設側に合わせたサービスではなく、利用者の話を聞いて、歴史や生活スタイルを理解することが大事だと思っています。
例えば、お風呂が嫌だと言う人が結構多いですが、その人の歴史を知っていくと、お風呂がない時代に生きている人だったり、集団風呂にしか入ったことがない人だったり、お風呂に毎日入る習慣がない人だったりといったことが分かってきます。生きてきた歴史を知れば、その人に合わせた声のかけ方や工夫ができます。
こちらがお風呂に入りましょうと言って、スムーズに「はい、入りましょう」と言う人だったら、多分、サービスは必要ないと思うんですね。そういう意味では、食事もそうだと思うんです。「人に分けなければ」と思って、半分食べて、「残りはどうぞ」と言う人もいます。
それが、その人が今まで生きてきた過程です。その人がそれまでどうやって生きてきたのかを知らないと、支援はできないと思っています。ですが、特別何かを意識しているわけでもありません。介護という専門職ではありますが、高齢者とか認知症とか関係なく、目の前の人と向きあえば良いんです。
仕事への原動力は、両親を任せる施設がないと感じたことですかね。生活に寄り添った介護を根づかせたい。自分自身の場合もそうです。生活のリズムを他人に決められるのって嫌だなと思います。寝ていたい時は寝ていたいし、ご飯も毎日同じ時間に食べるわけではないですし、寝る時間も毎日違います。それを誰かに決められて、消灯ですとか、朝ごはんですとか言われても、「ご飯食べるのも寝るのも私の勝手だよね」と思ってしまいます。
もちろん、会社勤めをしているとか、誰かに雇われているという身であれば、そこに対してルールは守らなければいけないと思います。でも、生活は、誰かに決められるものではない。今まで懸命に生きてきて最後の最後を人に決められて生きていくのって嫌だなって。根底にあるのはそこかなぁと思います。
今後、高齢化が確実に進んでいく中で、果たして高齢者を支える仕事に就く人たちがどのくらいいるのかなと考えることがあります。
2000年に介護保険制度がスタートし今まで介護の対象になってきた人たちと2025年問題と言われている時代の対象者は、生きてきた過程が違います。今までは介護職に合わせて「座ってて」と言えば座っていてくれる人たち。これからは自由に動きます。利用する高齢者の性質が変わるのです。
団塊の世代の人たちが介護保険のサービスを使いはじめると、今までみたいな介護サービスでは立ちゆかなくなると感じています。今の日本を戦後から頑張って立ち直らせた世代であり学生運動を行ってきた世代。「なんで若い人にそんなことを指示されなければいけないんだ」という思いを訴えられると思います。介護職側の都合で座っていられない人、言うこと聞かない人といわゆる問題行動と思われていた人たちが、普通の自己主張であると理解せざるを得なくなります。
介護職の時の流れに、利用者は合わせてくれません。介護の質を変える必要があると思います。10年もしないうちに確実に今の問題行動といわれているものに対応できない施設はお客様がいなくなるというか選ばれなくなる。そうした時に残っていられる施設・対応出来る施設を、今から作らなければいけない。それが、当面の目標ですね。
介護の仕事を辞めようと思ったことは一度もありません。天職だと思っているので。目の前で出会った人と家族や関係者がお互いに「お疲れ様、ありがとう」って、最期に棺桶で笑えるようにしたい。できれば、施設とか病院の白い壁を眺めるベッドの上ではなくて今まで暮らしていた自宅で、という想いが強いです。
2016.03.10