個人がいきいきと活躍する社会へ。
「レンタル移籍」で世に問う、自分の使命。

原田 未来さん/個人がいきいき活躍する社会を作る

はてぶ

会社の出向制度を使って、人材を他社のプロジェクトに参加させる「企業間レンタル移籍プラットフォーム LoanDEAL」を運営する原田さん。写真家を目指した学生時代から一転、カメラマンとして入ったベンチャー企業でビジネスにのめり込み、上場も経験。そんな中、自らの伸びしろへの不安と、転職で得た、環境が人にもたらす大きさへの気づき。使命を感じて取り組む事業に込めた思いとは?

将来は、写真家として生きていこう

千葉県市川市に生まれ、東京の中学を経て、大学付属の高校に進学しました。高校ではバレー部に入り、練習に打ち込んで過ごしました。残念ながら運動神経が悪くて万年補欠のくせに朝練は欠かさず参加して、声出しだけは一人前・・・みたいなキャラクターでした。

人と同じ選択をしたくないという変な抵抗感から、内部進学ではなく、他大を受験しようと考えました。選んだのは立教大学の文学部。校舎がかっこいいという単純な理由でした。

大学では史学科に所属し、比較文明学を学びました。映画監督が授業をしたり、ドヤ街でフィールドワークをしたり。感覚的なものが好きだったので、非常に面白かったですね。

大学2年生のとき、一人旅でオーストラリアへ行きました。パチンコで大勝ちをして、せっかくだから行ってみるか、というくらいのものでした。何をするか特に決めていたわけでもなく、オーストラリアの東海岸を転々としていました。

途中、たまたま立ち寄ったシドニーの現代美術館で、アンディ・ウォーホルという芸術家の回顧展が行われていました。衝撃を受けました。個別の作品というよりも、世界観に惹かれ、「こういう生き方ってあるんだ」ということが驚きでした。「自分がいいと思うものを発信して、生きることができるのか」と。

それからの道中、いろいろな街を転々としながら写真を撮りまくりました。帰国後に現像してみると、バイロンベイというオーストラリア最東端の町で撮った写真にものすごくハッとするものがありました。「これを多くの人に見てもらいたい」と思い、ポストカードを作り、表参道の同潤会アパート(※現在の表参道ヒルズの場所にあった古いアパートでギャラリーやショップが入っていた)前の路上で手売りを始めました。最初に自分の写真を広げる時はとにかくドキドキでした。お客さんに買ってもらい、お金をもらう。その経験がすごく嬉しくて、いつか、同潤会アパートの中にあるギャラリーで個展を開きたいと考えるようになりました。

学生時代はずっと写真が中心にあって、ニューヨークに行ってポストカードを販売したり、撮影旅行に行ったり・・・という活動をしていましたね。リクルートスーツを着るのが面倒で、「写真でやっていくからいいや」と思っていたので就職活動もしませんでした。大学卒業が近くなったころ、写真撮影のアルバイトとして見つけた、株式会社ラクーンという創業期のベンチャー企業で働き始めました。

人は誰しも輝ける場所がある

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