大手IT企業から起業を経てフリーアナウンサーへ。やっぱり、話すことが好きだったんです。

司会・MC・ナレーションや話し方教室など、「言葉を伝える」サービスを運営する能政さん。自身が話すことを仕事とするだけでなく、「話すことが楽しいという人を増やしたい」という思いから、教育の事業を展開しようとしています。IT系企業から起業を経てフリーアナウンサーに辿り着くまでには、どんな背景があったのでしょうか?

能政 夕介

のせ ゆうすけ|フリーアナウンサー
司会・MC・ナレーションや話し方教室など、「言葉を伝える」サービスを運営するKotokakeの代表を務める。

Kotokake

自分の価値って何だろう


学生時代から、人前に立ってなにか話すのが好きでした。
周りからとにかくいじられるキャラで、部活やクラスでは、
ムードメーカー的な立ち位置であることが多かったです。

小・中はサッカーをやっていて、高校からはアメリカンフットボール部に入りました。
戦略がものを言うチームスポーツで、何かに秀でていればスターになれる、
そんなところがすごくいいなと思ったんです。

大学に内部進学で入学してからも、相変わらずアメリカンフットボールに熱中しました。
チームは全国優勝を目指す強豪校だったのですが、もともと小柄だったこともあり、
大学からはトレーナーとしてチームに関わるようになりました。

ところが、一年目の終わりにさしかかる頃、自分の中で違和感をもつようになったんです。
自分の役割や仕事にやりがいはあるものの、このままだと、
チームの中の一つの役割で終わってしまう気がしたんですよ。

「自分の価値って何だろう?」

それが、わからなくなりました。

そして、僕は部活を辞めることに決めたんです。
たくさんの人に止めてもらっていることへの申し訳なさ、
高校から続けて来た仲間を裏切っているという感覚から、
自分の中でもあまりうまく整理がついていませんでした。その期間はすごく痩せましたよ。

でも、仲間の期待を裏切ってしまう形になるので、
自分のこれからの行動で示していくしかない、そんな決心がありました。

狭き門への諦め


アメフトを辞めた後に僕が選んだのは、大学の放送部にあるアナウンス部門でした。
自分の良さを生かせることから、選択肢を探していこうと考えた時、自分にとっては「話すこと」だったんです。

アナウンス部門は80人以上の大所帯で、アナウンサーを目指す人も多かったです。
そんな中、2年目からの入部だったため、最初はすごく大変でした。
一つ下の新入生と一緒に練習し、とにかく追いつこうと必死でしたね。
それでも、新しいことを学べるのはすごく楽しかったです。

そんなスタートだったものの、3回生になる頃には、アナウンス部門の部長に選出されることになったんです。
最初はびっくりしたし、自分がなっていいのかという悩みはありました。
ただでさえ個性の強い面々をマネジメントしていくなかで、自分がリーダーシップをもって取り組まないと、
という責任感が芽生ていきました。
入学式や地域のイベントでも司会を務めさせてもらい、大変だったものの、すごく貴重な経験でしたね。

4回生になってからは、本格的に就職活動が始まりました。
僕はスポーツ実況などへの憧れが強く、アナウンサーになるため、放送局の選考を受けていきました。
ところが、人気の職業で倍率がものすごく高いこともあり、不合格が重なったんです。

それでも表現をすることやメディア方面への憧れがあり、
就職活動と並行しながら、俳優の養成所にも通いました。
もし、自分にそちらの方面での才能があれば、役者の道もありなのではないかと思ったんです。

ところが、一年養成所に通って感じて得たのは、自分には難しいという感覚でした。

アナウンサーも俳優も、自分が憧れた表現を扱う仕事は、狭き門だったんです。
そして、それを通過できるのは一握りの人だけだ、と諦めてしまったんですよ。

それからは、一般企業での総合職の就職活動に切り替え、
先輩の影響やIT産業への可能性を感じ、IT系の大手企業に入社することに決めました。

本当にやりたいことか?


社会人になってからは、充実した日々でした。
色々な部署で仕事をさせてもらい、やりたいと感じたことは全部やらせてもらいました。
正直、「新卒のうちからこんなに任せてもらえるんだ」という驚きがありました。
仕事は忙しかったですが、必要とされている感覚があり、苦ではなかったですね。

あとは、休みの日にイベントや結婚式の司会を務めさせてもらうことも一つの楽しみでした。
ただ原稿を読むのではなく、場の企画から一緒に関わって作っていくことに喜びを感じていましたね。

そんなある時、友達に誘われ、「ドリームプレゼンテーション」という、
大人が本気で夢を語るプレゼンテーションの大会を見に行ったことがありました。

その会場で見た光景が忘れられないんですよね。
自分より一周りも二周りも年上の人が、自分のやりたいことについて本気で話をしていたんです。
涙ながらに話す人もいました。

それを見て、ストレートに感動しました。
同時に、

「今の仕事は自分で本当に誇れるものなんだろうか?」

という疑問を持つようになったんです。
今の環境に満足しているんではないか、と感じるようになったんですよ。

起業しても、中身は変わっていない


ちょうどそんなことを考えるようになった頃、
大学時代から仲の良い友人から起業に誘われました。
迷いながらも、卒業後も定期的に会って話をする友人だったので、やってみたいという気持ちがありました。

また、自分自身危機感はあったものの、何がやりたいかを明確に持てていなかったこともあり、
自分の意志で決めて行動し、挑戦することを選ぼうと思い、起業することに決めたんです。

会社を起こした当初は事業内容が決まっていなかったこともあり、
セミナーやコミュニティデザインなど、色々な事業を試しました。

一緒に会社を興したメンバーとは大学時代から信頼が厚く、
こいつと何かしたら面白いだろうなという気持ちがありました。
ただ、そんな気持ちが少しずつ依存に繋がっている面があったんだと思います。

起業後もあまり自分の意見を言わない僕に、ある日代表を務めていた知人から、

「結局お前は何をやりたいの?」

と言われたんですよ。
それを言われたときに、すごくハッとしました。
せっかく挑戦しているのに、中身はこれまでと変わっていなかったんです。

世間体では起業だったけれども、波風をたてるのを恐れて、自分の意志を出さず、
組織で働いている時となんら変わらなかったんですよ。

それから、本当に自分がやりたいことは何だろうと、もう一度考え直してみました。

「話すことが楽しい」と思える人を増やしたい


そうやって辿り着いたのは、やはり「話すこと」でした。
特に、司会者として結婚式など身近な人の晴れの日のイベントに、企画から携わることに関しては、
一生かけてでもやりたいことだと思えたんです。

そんな背景から、僕は一緒に起こした会社を離れ、フリーのアナウンサーとして活動することに決めました。
起業した仲間とは一緒に働きたいという気持ちが強くありましたが、
「目的を持ったスタートなら」と送り出してくれたんです。

事務所に所属することも考えたのですが、自分の大切な人、支えられた人の結婚式の手伝いをするためには、
自分で仕事を選択する必要があるため、フリーアナウンサーを選びました。

今は、知人の紹介の他に、自分で仕事の営業を行うこともあります。
決して楽な業界ではないし、たぶん誰も僕が成功するとは思っていない気がします。

だからこそ自分が挑戦し続け成功することで、チャレンジすればできるというのを見せたいと思っているんですよね。

そして、将来は「話すこと」を通じて生き方を考えるキッカケを提供する機会を提供していけたらと思っています。
「話すことが楽しい」と思える人を増やしたいんですよね。
きっと、話すことが楽しいときは、自分らしくいられている時だと思うんです。

自分でも話す仕事をしつつ、話し方を教えることを通して、
人がやりたいことをやれるようになっていく手伝いができたらと思っているんです。

人は誰でも心の中に「やりたいこと」を持っていると思っています。
僕自身は周りの友人や本気で挑戦する人を見て、それに気づくことができました。

次は僕自身が出逢う人の「やりたいこと」を引き出せるお手伝をしていきたいと思っています。

2014.05.13

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