フィルムカメラの魅力を、世の中に伝えていく。自分のやりたいことをやる、出会いで拓けた道。
フリーランスのカメラマンとして、フィルムカメラを中心に撮影を行う山本さん。 小さい頃からクリエイティブな分野に関心を持ちながらも、自らの意志ではなく、周りの意見に従って進路を決める日々。そんな中、写真と出会い、自分のやりたいことを選ぶことに決めた背景とは?お話を伺いました。
山本 春花
やまもと はるか|フィルムカメラを中心としたカメラマン
雑誌・書籍の撮影を中心にフリーランスで活動中。趣味の写真の楽しみを提案する「snap!」の企画・編集にも参加。2014年4月より、自身のBLOGにて女性モデルを被写体としたポートレートシリーズ「乙女グラフィー」の連載を開始。2014年9月アートフェア「台湾フォト」にも出展された。
自らのやりたいことでなく、周りに従い選択する日々
私は東京都板橋区に生まれ、3歳からは埼玉県で育ちました。小さい頃からイラストを描くことが好きで、ずっと絵を描いているような子どもでした。おじいちゃんが月に1回本を買ってくれるため、漫画から小説まで幅広く本を読むことも好きでしたね。
中学生になってからは、もっとイラストについて学びたいという思いから、専門的な高校に進学したいと考えるようになりました。しかし、学校の成績が良かったこともあり、親からは進学校に行くべきだという話をされたんです。元々、テストの点数に厳しく怒るような、教育熱心な親で、安定した職業について欲しいという考えから、私がイラストの道に進むことにも理解を得られませんでした。そこで、結果的には県内でも上位の女子校に進学することに決めました。
実際に入学してみると、勉強のレベルが高いことはもちろん、イラスト部には自分よりも絵が上手い人がいました。部室に行って自分の絵を見せ合うのですが、同級生でもレベルが違うんです。絵もできないし、勉強もできない、なんだか清々しいほど諦めがつきました。努力してなんとかなることと、そうでないことの違いがはっきり分かったような気がしました。
そうなると自分の将来の進路についても、何をしても良いかなと考えるようになっていきました。夢も無くなってしまったし、これから先は大学を出て、大手企業に就職をして、結婚をして、子供を産んで…という風に、みんなの思うとおりに生きていく方がいいのかな、とあまり自らの意志で考えていくことが無くなっていきました。
高校を卒業した後は、正直これと言って学びたいこともなかったのですが、大手企業に就職するためのステップという思いで、一番興味分野と近く、通学しやすい都内の私大の文学部に進むことにしました。何か明確な目標があるわけでもなく、サークルでボランティア活動をしながら、ラジオ局や塾講師としてアルバイトをして学生生活を送りました。
そんな環境でも、せっかく働くならクリエイティブ系に携わりたいという思いはなんとなく持ち続けており、就職活動ではメーカーの企画職や出版・メディア業界等、何か自分で作れる仕事ができる業界を受けました。しかし、就活中にリーマンショックが重なり、就職氷河期に突入。最終的に受かったのは滑り止め的に考えていた旅行代理店1社でした。就職浪人するほどの情熱もなく、受かった旅行代理店に入社することに決めました。
フィルムカメラとの出会い
実際に働き始めてからは、旅行コンサルタントとして店舗で働き始めたのですが、正直接客が苦手で、いわゆるサラリーマン的な働き方も苦手でした。朝決まった時間に出社して掃除をして、皆で同じことをすることが肌に合わない感覚があったんです。頑張りますと言って入社しながら、入ると不満ばかりこぼす組織にも違和感を感じました。それでも、入社して1年ほど経つと、新規店舗の立ち上げに携わることになり、責任のある立場に置かれることで会社のために頑張ろうと考えるようになっていきました。
また、1年目の冬のボーナスを使ってデジタルカメラを買い、趣味で写真を撮り始めるようになりました。ちょうど、ブロガーが流行り出し、こんな風に撮りたいなという思いを抱くようになったんです。それ以来、休みの日から仕事の休み時間まで、ものを中心に色々と撮るようになりました。
写真は思い通りに構図や配色を作ることができ、自分の思い描いた通りのものができるので、それが面白かったですね。イラストでは自分の考える通りにいかないことが多かったからこそ、純粋な楽しさから写真にのめり込んでいきました。
すると、ある時、いいなと思うブロガーの写真と自分の写真が少し違うことに気付き、何故なのか調べていくと、フィルムカメラを使っていることが分かりました。そこで、私もフィルムカメラで写真を撮ってみると、初めて撮影して現像をした瞬間、「これだ!」と感じたんです。自分が撮りたかった質感の写真を撮影でき、フィルムにのめり込むようになり、作家さんの展示会に足を運んだり、独学で勉強をするようになりました。
「自分は写真をやってもいいんだ」
自由が丘にある老舗写真専門店のフィルムカメラのワークショップをきっかけに、フリーランスを20年以上経験しているカメラ雑誌の編集長を務める方と知り合いました。そして、アマチュアで頑張っているカメラマンを紹介する雑誌の取材を受けたことを機に、フィルムカメラに対して私と近い思いを抱いていることが分かり、一緒に撮影等を行わせてもらえるようになっていきました。
また、仕事では、入社して3年程期間が経つと、次第に身体に異常が現れるようになりました。胃炎と微熱が続き、継続して体調が悪い状況になってしまったんです。「これはやばいな、辞めないと身体が死んでしまう」という危機感がありつつ、新店舗を任せていただいているからこそ辞め辛いことに加え、「嫌になったから辞めました」はあまりにも格好が悪いという思いもありました。
そこで、ぼんやりと考えていた写真で食べていきたいという思いを形にしようと考え、「写真家を目指すので、辞めます」と伝えることに決めました。元から苦手意識や辛さはあったものの、やはり身体に出た時点で続けられないなという感覚がありましたし、私は組織に向いていないからフリーランスになろうということも決めました。
そして、写真家を目指すことは親には伝えずに会社を辞めることに決めました。親からは安定した職業として公務員等も薦められたのですが、自分のやりたい気持ちとぶつかり、初めて反抗しました。それまで、誰かに言われたことをやり続けて、それが幸せだと思っていました。しかし、編集長や他のフリーランスの方との出会い、自分の信念を持ち、やりたいことをやり続ける強さを目の当たりにして、「自分は写真をやっていいんだ、誰の言うことを聞かなくてもいいんだ」と吹っ切れるような感覚があったんです。人に迷惑だけはかけずに、自分のやりたいことをやる道に進むことに決めました。
大好きなフィルムカメラで撮り続けるために、私ができること
フリーランスになってからは、写真を学んだこともなく現場経験もなかったため、当たり前に仕事はほとんどありませんでした。しばらくはアルバイトをしながら編集長の仕事のお手伝いをするような生活を送っていましたが、紹介でお仕事をいただいたり、SNSの作品を見て仕事の依頼がくるようになり、2015年の4月から完全にアルバイトを辞め、フリーランスとして活動できるようになりました。現在は、フィルムカメラにまつわる本や雑誌の撮影・執筆を行っており、特に入門段階の、間口を広める分野に携わることが多いです。その他にも新聞や雑誌、web媒体等、幅広く撮影の仕事を受けています。
また、雑誌や広告等で活躍する女の子のポートレートを中心とした作品撮りも行っており、「乙女グラフィー」というタイトルで、自分のブログやInstagram、展示会等で発信しています。20代の女子の自然な表情を中心にフィルムカメラで撮影し、自らのコンプレックスを写真で表現したり、フィルム自体の普及や啓蒙に繋がったりしていけばという思いがあります。
特に、現在はフィルムや印画紙の生産が終わってしまう等、無くなっていく危機感を感じているからこそ、その魅力を伝えていくことに力を入れていますし、フィルムの持つ描写が自分自身大好きなんですよね。最終的にはフィルムの作品だけで食べていける作家として大成したいという思いはもちろんあるのですが、なんでもない普段の生活を撮影することにこそ写真の魅力があると思っているので、どんな形であろうとも一生写真とは付き合っていきたいです。
現在取り組んでいる「乙女グラフィー」についても、ずっとやっていきたいですね。今は20代の若い女の子を写すことによって自分の「老い」と向き合い、そのコンプレックスを解消するというコンセプトでやっていますが、更に自分の年齢が上がり、40代、50代になったときにも続けていれば、このシリーズはまた違った意味を持ってくると思うんです。あとは、自分でスタジオを持ちたいというのも、一つの夢ですね。
2015.12.03