目の前の人それぞれに喜んでもらいたい。提供できるのは技術だけでなく、心意気!

北海道帯広にある「とかちむら」内で、ビストロカフェを経営する田中さん。「目の前の人それぞれに喜んでもらいたい」と話す背景には、どんな経験があるのか。お話を伺いました。

田中 将

たなか しょう|飲食店の経営
北海道帯広市にある「とかちむら」内のビストロカフェ「million sante(ミリオン・サンテ)」を経営する。

自分の考えているやり方ではダメだった


私は千葉県で生まれました。4歳の時に両親が離婚し、母の元で育ちました。新しい父ができたものの、また数年で別れてしまいました。そんな状況だったので、周りの大人からは、母の評判はあまり良くありませんでした。

しかし、私自身は、母が幸せならそれで良いと思っていました。子育てに手抜きをせずに向き合ってくれる人で、支えてあげたいと思っていたんです。それでも、言うことを素直に聞けずに反発する時期もありましたね。

高校1年生の時に、母は3人目の父と別れました。すると、さすがに地元にはいられなくなってしまったので、東京に出てきました。そんな母を安心させるためには、学生の本分である勉強をしっかりとすることだと思い、高校ではしっかりと勉強し、学年でも常に上位にいました。

母は、クラブでホステスとして働いていました。飲み明かして明け方に帰ってくることもあり、次第に、家まで送ってくれていたクラブのお客さんたち、社長さんたちと話すようになりました。

今まで触れたことのない、経営者の世界。この人たちのようになるにはどうしたら良いか。そんなことを考えているうちに、「株を勉強しよう」と思い、お金のかからないバーチャルトレードを始めました。また、金融の勉強をしたいと思い、東洋大学の夜間の学部に進むことにしました。

ただ、そんな時に、初めて付き合った彼女と別れてしまいました。同時期に、父に引き取られていた妹が精神的にかなり追い詰められていたことが分かり、さらには、母も仕事のストレスと育児に携われない葛藤からパニック障害になり、頻繁に過呼吸も起こしていました。この時、「これじゃダメだ」と、無力感を覚えたんです。

複雑な家庭で育ったこともあり、家族や好きな人は大切にしたいと、自分なりには色々考えていました。しかし、自分が良いと思っている生き方では、結局、彼女も幸せにできないし、妹も助けられない。それなら、今まで苦手だったことや避けてきたことを通じて、自分が変わらなければと思ったんです。

そこで、人と接するのが嫌いな自分を変えるため、カクテルの世界大会で準優勝したことがあるバーテンダーが経営するバーで働くことにしたんです。また、大学は、元々受けたかった授業を全部終えてしまったので、中退しました。

技術よりも大切な心意気


それから生活は一変し、全ての時間をバーのために費やすようになりました。ゲームや漫画は捨て、暇さえあればカクテルのレシピを覚えているし、早く出勤してカクテル作りの技術も磨いていくんです。また、バーで働くだけでは偉大な先輩たちに追いつけないと感じていたので、カフェで働き、ティーやコーヒーなどドリンク全般の知識をつけたり、接客の質が高い職場で働き、ホスピタリティを身につけたりしていきました。

ただ、私はバーでもアルバイトだったので、お客さんにドリンクを提供する機会はほとんどありませんでした。そこで、2年ほどでそのお店を辞めて、店長としてスカウトされた他のバーで働くことにしました。お客さんに直接お酒を提供して喜んでもらう経験が必要だと考えたんです。

そこは、前の店に比べると、技術的にはあまりレベルの高くないお店でした。しかし、帰る時にはお客さんはとても喜んでくれていて、その雰囲気に惹かれたのも店長を引き受けようと思った理由でした。

実際、ビールやウイスキーを注文されることが多くて、前の店で学んだカクテル技術を使える場面はほとんど無いし、サービスもオーセンティックスタイルとアメリカンスタイルの違いに苦戦しました。そのため、「一体どうやってお客さんを喜ばせたらいいんだろう?」と思っていました。

しかし、技術が通用しない分、心意気でしかないんですよね。置き方とか注ぎ方とか、その一つひとつの所作。それも、均一なサービスを提供するのではなくて、「目の前の人が何を求めているか」を感じて、その空間を提供する。そんなことを学んでいきました。

ただ、2年ほどで、バーを経営する親会社の方針が変わり人事異動の話などが出てきて、最終的にお店を閉めることになりました。その後は、別のオーナーの元で新しくダイニングバーの立ち上げをすることになりました。

それまでの2店舗での経験から、自分の中で「良いもの」の定義はありました。ただ、今度は、それまで「こうしたらどうなるんだろう?」と思っていたことを、全部試してみることにしました。そして、「一生付き合える人を作ろう」と考えながら、お店の運営をしていきました。

自分を変えるために避けてきたことと向き合う


すると、最高の仲間と出会うことができ、毎日楽しく営業していました。ただ、売り上げはあまり伸びず、1年ほどで閉店することになりました。2店舗とも実力不足で潰してしまった。これは、また一から学び直さなければと思い、バーでアルバイトから再スタートすることにしました。

しかし、経済的に苦しくなっていき、車のローンが払えなくなり、ついには実家に督促が届いてしまいました。このままだとブラックリストに載ってしまい、まだ学生の弟や妹にも影響が出てしまう。さらに、「彼らの人生を台無しにする権利があなたにあるの?」と、母に言われたことをキッカケに、このまま自由にしているわけにはいかないと、郵便局に就職して配達員として働き始めることにしました。やりたいことを続けられない自分が情けなかったですね。

ただ、2年ほどして、結婚、妻の妊娠と立て続けに起こった時に、飲食店で店長をしないかとスカウトされました。そこで、生まれてくる子どもに、「好きなことをやっている背中」を見せたいと考え、飲食業界に再チャレンジすることにしたんです。

また、新しいお店のオーナーにすすめられて、人生で初めてセミナーに行くことにしました。それまでは、今まで現場で育ててくれた人がいるのだから、セミナーに行くのはその人たちの教えを否定することになると考え、避けていました。

ただ、今の自分に限界があるのは明らか。家族を養う必要もあり、絶対に結果は出さなければならない。そして、自分を変えるためには、単純にできることを増やすことが大切。そう考え、セミナーに行くと決めたんです。

すると、少しずつ成功する人の考え方が分かるようになり、結果を出す習慣をつくり、それを実社会に活かせるようになったんです。お店の売上も順調に伸びていき、スペインバル店長、イタリアンレストラン店長を経て、エリア統括マネージャーを任せてもらうほどになりました。

「とかちむら」での諦めきれない挑戦


ただ、これまでのひとり営業とは違い、スタッフと一緒に働くことに新しい苦労もありました。全てのお客さんに喜んでもらうためには、スタッフにも成長してもらいたい。しかし、スタッフの育成ばかりに目が向くと、お店の空気が悪くなることもあるし、「ひとりでやった方が、お客さんの満足度は高くできるかもしれない」と感じてしまうなど、葛藤もありました。それでも、次第にスタッフも成長していき、お店を任せられるほどになりました。

ただ、新しく入ってくれた人が、「労働条件が悪すぎる」と辞めてしまうこともあり、会社の福利厚生をもっと整えたいと考えるようになりました。そんな時、北海道の帯広にあるレストランの撤退話が上がりました。グループの中で経営が難しい店舗だったんです。

そこで、そのお店を任せてほしいと手を挙げました。既存の黒字店舗は部下が運営できると信頼してたからこそ、新天地へ挑戦して結果を出すことで福利厚生が実現すると感じたんです。

また、そのお店は、これまで自分より経験のある人たちが何人も挑戦したけどうまくいかなかった難しい店舗。北海道に人脈が全く無い自分なら、なおさら通用しないとも思っていました。でも、だからこそ、挑戦する自分の姿が周囲にプラスの影響を与えられるのではとも思っていましたし、何より、お店に関わった人たちは思い出の場所を潰したくないだろうなと思ったんです。私自身、お店を潰した経験があるからこそ、多くの人の思いがある場所を残すことの大切さを身をもって感じていました。

そして、2014年、北海道帯広にある「とかちむら」の中にあるカジュアルフレンチレストランに単身赴任しました。北海道には人脈も車も無く、居候先がかろうじて決まってるぐらいだったので、孤独でしたね。それでも、ひとりで営業できる規模のお店ではないので、多くの人に助けてもらいました。

しかし、大きな赤字を垂れ流してしまい、1年で閉店が決まりました。ただ、どうしても諦められませんでした。観光地域に根ざしているこのお店は絶対的に必要なもので、この地域のために何とか結果を出したい。ここで向き合えなければ、自分自身、その先には進めないと思ったんです。

そこで、会社を辞めて、その場所に自分でお店を出すことにしました。正直、勝算はなく、絶望的でした。それでも、どうしてもここで結果を出したかったんです。

飲食店を通じて地域全体を好きになってもらう


そして、家族にも北海道に来てもらい、2015年4月より、妻とふたりで「million sante(ミリオン・サンテ)」の営業をスタートしました。初年度の夏の観光シーズンは黒字で切り抜けることができましたが、ここからがまた勝負です。

とかちむらは、帯広に観光に来た人が必ず来るような場所で、このお店も、この観光地がある限りは必要だと考えています。この土地に観光に行こうと思うことって、人によっては人生では1回しかないことかもしれません。だからこそ、初めてその土地に来た時の印象や、そこで得られるものはとても大事なんです。

このお店を通じて地域全体の良さを分かりやすく伝えることで、2回、3回と訪れたくなるきっかけを作れたらと思っています。また、そういった空間を、この場所だけでなく、日本全国、また世界でも展開してみたいとも考えています。

そのためには技術の前に、聴く、見る、応える心意気の姿勢が大切。一人ひとりのお客さんが求めているものを感じて、それを提供するだけなんです。

私は、これからも目の前の人それぞれを喜ばせられるものなら、何でも提供していきたいと考えています。できることはもっとたくさんあるし、自分自身が体現していきながら、同じように喜びを提供できる人を増やしたいですね。

そのために、飲食店を続けていきたいとは思っていますが、手段にはこだわっていません。それよりも、自由に動けるようにして、呼ばれたらどこでもいけるようにしておきたいです。

2015.11.05

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