内科医から飛び込んだ「山の医療」の道。「山の遭難を減らす」日本初国際山岳医の挑戦。

日本初の国際山岳医として、北海道の病院を拠点に登山者への医療活動を行う大城さん。 人の役に立ちたいという思いから医者を志し、大学病院を経て自然の魅力に引かれて北海道へ。そんな大城さんが、「山の医療」の道に進むことに決めた背景とは?

大城 和恵

おおしろ かずえ|国際山岳医
日本初の「登山外来」を設ける、心臓血管センター北海道大野病院に医師として勤務する。

※本チャンネルは、TBSテレビ「夢の扉+」の協力でお届けしました。
TBSテレビ「夢の扉+」で、大城 和恵さんの活動に密着したドキュメンタリーが、
2015年10月25日(日)18時30分から放送されます。

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人の役に立ちたいという思いから医者を目指す


私は長野県長野市に生まれ育ちました。自然豊かな環境に恵まれていたため、小さい頃から友達とスキーをしたり山に行ったり、身体を動かして遊ぶことが好きでした。

また、私が幼い頃から母が病院に通う機会が多く、行って帰ってくると元気になっていることもあり、小学生頃から漠然と医者に憧れを抱くようになりました。人の役に立つ仕事はいいなと感じたんです。

とはいえ、興味関心がはっきりしたタイプだったこともあり、高校ではたまに授業に出席しないこともあり、さぼって映画を見に行ったらばったり弟に会う、なんてこともありました。中学生くらいまでは無邪気にスキーを楽しんでいたのが、高校になってからは格好を気にし始め、映画やファッションに関心を持っていましたね。

加えて、母の入院以来私が家事一切を行っていたため、限られた勉強時間の中で医学部を目指すために、受験科目が少ない大学を受けました。大学に入学してみると、最初は医療以外の分野の授業も多く、高校の授業を難しくしたような雰囲気だったので、もっと医者らしい勉強をしたいなという思いがありました。また、上京して初めての一人暮らしはとても自由に感じていましたが、遊びに出かけたい反面、そのお金もないので、まじめに授業に出ようという面もありましたね。

また、家庭教師のアルバイトはしながらも、とにかくお金がなくてその心配ばかりしている大学生活でした。仕送りをもらっている立場でしたから「足りない」とは言えず、月末近くには電気が止まるなど、お金に追われることが多かったです。

大学を卒業し研修期間を終えた頃から山登りに行くようになりました。子どもの頃は地元の山を登ることはあっても、登山というほどではなかったのですが、北アルプスの紅葉が見たくなって出掛けてみようと思ったのが始まりです。

登頂した時の達成感は大きく、「来てよかったな、自分でも登れたんだな」と感じられるのが嬉しかったんです。次第に岩山や雪山等美しい山に登ってみたいという思いも生まれるようになりました。そのために、必要な技術を身につけるようにもなっていき、少しずつ楽しみ方の幅を広げていきました。





全身を診れる医者に


大学を卒業後は大学病院で医師として勤務を始め、第一内科という呼吸器や血液系の専門につきました。元々、母が血液系の病気を患っていたこともありましたし、身体全身を診れる医者になりたいという目標があったため、アカデミックなイメージのある科に所属することに決めたんです。

とはいえ、最初の1年は分からないこと・できないことばかりからのスタートだったので、学ぶことが多かったですね。それでも、それまでは先生や本から勉強していたのが、患者さんから直接学ぶ環境になったことで、意欲は以前よりも強くなっていきました。

その後、大学の博士号や内科の専門医の資格を取得することができました。最初は資格や博士号に興味はあまりなかったのですが、資格を取得したことは、これから自分が医師として活動していく上での、社会に認知してもらう為の一つの通行手形を得たような感覚でした。

そして、ちょうど大学編成の波が訪れたこともあり、いつも庇護されている大学内ではなく、自分の力で仕事をしてみたいという思いから環境を変えることを考えるようになりました。次に学びたいのは心臓の領域でした。また、スキーが好きで北海道の雪に憧れ、北海道に移住し、仕事をしようと決めました。

そんな背景から、35歳で札幌に引っ越し、心臓血管センター北海道大野病院で働き始めました。



ネパールでの経験から、山岳医の道へ



実際に札幌で働き始めると、思った以上に環境の変化は大きかったですね。自分の名前で働くことによる責任のかかり方が変わることや、東京と比べて医療のIT化の違いなどを感じることもありました。心臓の病院で働き始めたこともあり、24時間いつ病院から呼ばれるか分からず、思った以上にプライベートの時間が取れませんでしたね。ナイタースキーに出掛け、リフトの上で電話を取って20分後には病院に、なんていうこともあり、循環器の専門医を取得しようと打ち込む日々を過ごしました。

数年後、夏休みにネパール旅行に行き、山登りをしたことがありました。すると、道中で高山病に苦しんでいる方に出会ったんです。その人はふらふらと歩いていて、血中酸素飽和度(体内の酸素の量の目安)を測るととても低く、水も持っていない状況。呼吸法等を指示し、水を分けて下山するよう指示しました。

この方は無事に下山できましたが、私は高山病について十分な知識が無く、山の医療に対して自分の力が足りていないという感覚がありました。特に、山の医療については学ぶ機会も無く、病院で診る機会もありませんでしたので、もっと勉強したいと感じるようになったんです。

もっと勉強したいという情熱から、42歳で病院を退職して、山の医療について学ぶことに決めました。

それからは、海外の学会で知った「国際山岳医」という資格の勉強をしながら、病院でアルバイトをしつつ、トレーニングの山登りもしてという生活を送りました。国際山岳医の勉強は、山岳医療を体系立てて勉強できるカリキュラムでしたが、日本では誰も取得していない資格ということもあり、正直ニーズがあるのかは全く分からない状況でもありました。

1年勉強とトレーニングをし、2010年の9月に国際山岳医の資格を取得すると、なんと以前務めていた心臓血管センター北海道大野病院から戻ってこないかというオファーをいただけたんです。そこで、「登山外来」を設けていただくという素晴らしい条件のもと、もう一度病院に復帰させていただくことを決めました。心臓発作は登山中に起こると救命が難しいことが多いため、予防するには登山前に検査と治療をしておくことが大事です。そう考えていた折、心臓病院だった前職から声をかけてもらったため、本当に嬉しいタイミングでした。


山の遭難を減らすため、山岳医としてできること



現在は心臓血管センター北海道大野病院にて、循環器内科の専門として、心筋梗塞や狭心症等、心臓の病気の治療を行う傍ら、登山に関わる診療等を行う登山外来も並行して行っています。

日本初の登山外来でしたが、まだ周知もされていないし、そのニーズも広まっていないですし、予防にお金をかける人はあまり多くないのが現状でしたので、最初は患者さんが来ませんでした。少しずつメディアで取り上げて頂いたり、他の病院の先生からの紹介などを通じて、少しずつ患者さんが増えていきました。ユニークなことに、山のお土産を持って来ていただける方がいたり、同じ山仲間として接する部分もあり、一般診療での医者と患者とは別のコミュニティという側面もありますね。

具体的な診療としては、例えば、「昔から山に登っているけど、年を取ってきたから心配だ」とか、「この間登った時にドキドキした」と、相談に来られる方が多いです。その際には、検査を行い、必要に応じて治療をし、より心臓に安全に登る為の登山時の注意点等を指導するといった、その人にあった治療と助言を行います。

登山後に具合が悪くなって来院いただくケースもあります。例えば、凍傷や肺水腫等山に特有の病気の場合、他のお医者さんでも分からないこともあり、地元のお医者さんにかかってからこちらに来られることもありますね。

また、その他にも救助隊に携帯電話で指示を出したり、山の診療所で登山者の治療をしたりという活動も定期的に行っています。加えて、海外遠征に帯同することもあります。エベレストに挑戦した三浦雄一郎さんのチームや、テレビ番組で登山を行うイモトアヤコさんのチーム等に帯同させていただきました。

自ら山に登っていないと山のことも、山で起こる体の変化も十分に理解できないことが多いので、自ら登山をする時間を確保するようにしています。山岳医といっても、山の医療のことはまだまだ学ぶことが多く、資格を取る前よりも現在の方が勉強時間が増えています。また、救急科にも務めており、心臓以外の診療トレーニングも継続しています。

根底にあるのは、やはり遭難を減らしたいという思いです。山で遭難が起きて医者が飛んでいくのは一見かっこいいのですが、起きたものに対処をしていても、遭難は減りません。また、山のような環境では、現場で時間をかけるより、早く病院に搬送し、より適切な治療を受ける方が良いのです。

登山外来では登山者の健康管理に対応しています。同時に、登山者には山で起こる体の変化や遭遇し得る疾病の予防や処置を学び、自助能力を高めることも大切だと思っています。現在は、登山者へ道警山岳遭難救助隊との登山口での啓発活動や、講習や講演等を通じて、直接働きかけることに特に力を入れています。登山者は、自分の意志で山に登るのですから、山での安全も自分で準備できるよう、医療面から貢献したいと考えています。

今後の活動ですが、これからも、登山者が自ら安全を高めること、それにより必要の無い救助が減ること、遭難が起こってしまった場合には、人を救う救助隊の皆さん自身が安全で、かつ遭難者に合理的な対応ができるように、医療面で役に立ちたいと思います。まだまだ自分が登りたい山があるので、それも楽しみにしています。

2015.10.19

インタビュー・執筆 | 新條 隼人
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