私は千葉県船橋市に、4人兄妹の末っ子として生まれました。小学校の頃に家にあったギターを手に取ったことをキッカケに、中学高校と音楽にのめり込み、バンドを始めて出場したコンテストで優勝してと、どんどん没頭していきました。

実家は業務用食品を病院や学校等に卸す問屋を営んでいたのですが、家業を継ぐ気は全く無く、高校を卒業した後は音楽の道に進もうと考えていました。私が3歳の時から新聞配達を手伝うような経済状況だったこともあり、儲かっていない商売をするのは嫌だったんです。ただ、他の兄妹は実家を手伝っていたため、卒業をしてからもフラフラしながら音楽だけしていると、家族からは冷たい目で見られていましたね。

するとある時、母から私がずっと欲しがっていた車の免許を取っていいという許可をもらったんです。急な話に驚きながらも宇都宮で合宿免許を取ってみると、トラックで商品を運ぶ仕事を頼まれることに。運転ができる人手が足りない状況で、自分に白羽の矢が立ったことを知りました。

更に、仕事を手伝い始めてしばらくすると父が体調を崩して倒れてしまったんです。いよいよ仕事を抜けられなくなり、まともな給料も無い中、ポケットに100円しか入っていないような日々を過ごしました。正直、全く前向きになれず、嫌々仕事をしていましたね。半年ほど経ってやっと給料が入るようになってからは、それを種銭に楽器を買ったりパチンコをしたりする生活を繰り返しました。

そんなある時、パチンコで儲けたお金で近くの車屋さんでカーナビを買ったのですが、その車屋から家を入力しても、パチンコ屋を入力しても景色が出てこないことがあったんです。何故だろうと調べてみると、あまりに近距離すぎてルート案内が出ないということでした。それを知った瞬間、自分はなんて狭い世界にいるんだ、と強烈な焦りを感じました。「こんなことをずっとしてはいられない」と、すぐに紳士服店にスーツを買いに行き、次の日からは服装も態度も変えて仕事をするようになったんです。

すると、21歳の若者がスーツを着て元気に商品を運んでくるということで評判が良くなっていき、それに比例して売上も上がっていきました。また、卸先の営業として有名小売チェーンに飛び込んで取引が決まる等、結果も出て仕事がどんどん楽しくなっていきました。

しかし、真剣に仕事に向き合い始めると、問屋という立ち位置に疑問も感じるようになりました。私の実家は、商社等の一次問屋から仕入れて卸す二次問屋で、鞘取りをされていくことが非効率に感じたんです。また、自分たちが紹介したクライアント同士の商談で、席を外してくれと言われることすらあり、いつかはメーカーにならなきゃだめだと考えるようになっていきました。