私は滋賀県湖南市という田舎町に生まれ育ちました。小さい頃からテレビドラマが好きで、『やまとなでしこ』や『美女か野獣』など、女性が仕事を頑張っている作品を見ては、明日も頑張ろうとやる気を出していて、そんな気持ちにさせるエンターテインメントとはすごいなと憧れを抱いていました。小学校の教師を務める母の影響もあり、見たいテレビ番組は事前に冷蔵庫に貼っておくという厳しいルールだったのですが、ドラマは母も好きだったので、横で見ていても大丈夫だったんです。

幼稚園の頃から人見知りで、自分にあまり自信がなかったのですが、ドラマの世界であれば憧れの人をたくさん演じられることもあり、ぼんやりと芸能界に憧れを抱くようにもなっていきました。ちょうど、英語が好きで、スピーチコンテストに出た際に、長く準備してきたものを発表する達成感に加え、人前で何かを伝えることに快感を感じたのも一つの理由でした。

しかし、田舎に住んでおり芸能人なんて異次元の人、小学生の時に思い切って夢を母に伝えてみても「そういうものは限られた人がなるもの」と言われてしまい、「ああ、言っちゃだめなんだ」と感じました。そこで、母が喜ぶ職業に就きたいという思いから、関心があった英語の先生や国連の機関で働くことを目標とするようになっていきました。ただ、心の中ではエンターテインメントへの憧れは消えておらず、会社員だということもあり、折衷案のように思えたアナウンサーを、誰にも言わずに目指すようになりました。

その後、中学・高校と進むにつれて、表向きには国際関係の仕事を目指しつつ、本心ではアナウンサーを目指していました。しかし、どちらか選ばなければという焦りもありましたね。「何になりたいの?」と聞かれると、一つ選ばなければいけないような気がしていました。

そして、迎えた大学受験では、志望していた国立に落ちてしまい、慶應か立命館のどちらかに進学をすることに。立命館の学部は、2年留学をして日本と海外の両方の大学を卒業することができるコースで、国際系の道に進むにはもってこいの環境でした。しかし、東京に行き、アナウンサーを多数輩出する慶應大学に進学したら、もしかすると夢に近づけるかもしれないという思いもあったんです。母にもその話を相談してみると、「じゃあ、慶應に行ったら」と言ってもらうことができ、大学進学とともに上京を決めました。

私が進学したのはSFC(湘南藤沢キャンパス)という環境で、何かに秀でて突き抜けている人や、帰国子女の多い環境でした。そのため、自己紹介で「安奈は今までどんな活動をしてきたの?」と当たり前のように聞かれ、私は周りと比べて、何一つ飛び抜けているものがないと感じてしまったんです。元々、嫌いなものは無い、嫌なものにもいい所があるという考え方で育ったため、器用貧乏になってしまう不安があったんですよね。

そこで、これは誰にも負けないというものを作るためにも、ある意味で「嫌い」を大事にしようと考えるようになりました。また、それまでは高校・大学と受験が上手く行かずに私立に進んでしまい、親に迷惑をかけてしまった気持ちから萎縮している面もあったのですが、大学からは自分がやりたいことをやろうと考えるようになったんです。