100年後の社会を、海流発電で支える。五感を教科書に生み出す、未来のエネルギー。

大きな風車を海底に沈めて、潮の流れで発電を行う「海流発電(潮流発電)」の研究を行う新竹さん。小さい頃から自らの五感を教科書に科学に没頭していき、国内外でも表彰を受ける物理学者に。そんな新竹さんが原子力に替わる自然エネルギーの構築に取り組む背景には、100年後の社会への思いがありました。

新竹 積

しんたけ つもる|海流発電(潮流発電)の研究
沖縄科学技術大学院大学 量子波光学顕微鏡ユニット 海洋エネルギー開発教授を務める。大きな風車を海底に沈めて潮の流れで発電を行う「海流発電(潮流発電)」の研究を行う。

※本チャンネルは、TBSテレビ「夢の扉+」の協力でお届けしました。

TBSテレビ「夢の扉+」で、新竹 積さんの活動に密着したドキュメンタリーが、
2015年9月6日(日)18時30分から放送されます。

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エンジンの衝撃、五感で科学を学ぶ日々


私は宮崎県小林市に、農家の息子として生まれました。田舎だったこともあり、保育園にも幼稚園にも行かず、小さい頃から父を手伝い農作業をしていました。するとある時、農業機械のために使うエンジンの修理を手伝うことがありました。午前中からエンジンを分解し始め、故障の原因を整備して組み立て直すのですが、夕方に修理が完成し、ものすごい音とともにエンジンが振動するのを見て、大きな衝撃を受けました。昼食を食べた時には、ただのメタルの材料だったのが、お互いが知っていたかのように組み合わさり、生き物みたいに動いているんです。「これは面白い!」と機械いじりに没頭していきました。

それからは、とにかく色々なものを自分で作ってみることを繰り返しました。ヘリコプターやセスナ機を見て、あれを作ってみたいなあと思い真似をすることもあれば、ロケットや船、発電所の真似をすることもありました。教科書がある訳でもなく、真似っこで作ることを続けたんです。

そして、小中学生になってからは色々と部品が手に入るようになったため、貧乏なりに工夫し、作れるものの幅が広がっていきました。最初は仕組みが分からないのですが、何度も分解していると、なんとなく何がどの機能を果たしているか分かっていくんです。五感を使って学んでいくような感覚でした。中学生の時に作った風車は卒業アルバムにも取り上げられ、楽しい毎日でしたね。

しかし、高校生になると、理科室で何か作ってそれまで通り楽しむ私に、先生から「お前は大学に行け、九州大学を目指せ」と言われたんです。正直、3年生になっても将来のことは全く考えておらず、勉強もしていなかったため、絶対無理だと即答しました。ところが、やってみないとわからないと説得され、毎日しごかれることに。結果的に、なんとか九州大学応用原子核工学科に合格することができました。

苦労して勉強して進学したものの、実際にものを作るという意味では周りの学生・教授よりも断然の差がありましたね。小さい頃から自由に没頭し続けたことで、教授の方々も驚くほどの知識や技術があったんです。そこで、こいつがいると実験に便利だと思われたのか、研究室に残れという話をいただき、大学院へ進学しました。自ら進路を決めた訳ではありませんでしたが、自分はどこでも楽しめるので、周りが喜んでくれるなら、という感覚でしたね。

イタリアへの留学で訪れたブレークスルー


博士課程に進学してからは、教授の薦めで筑波にある高エネルギー加速器研究機構という施設で勉強させてもらうようになりました。そこでは、原子核や素粒子の実験に用いる加速器という大きな設備の製作のため、ほぼ建築業のような肉体労働から、実際にその機器を用いた研究まで、幅広く経験できました。研究は毎日楽しかったですし、卒業後にそのまま高エネルギー加速器研究機構所属の研究員になると、研究をしてお金をもらえるということにひどく感動しました。

28歳で研究員となってからは、マイペースな日々を過ごしていましたね。毎日の研究の他に、ウィンドサーフィンにハマってしまい、頭の中では常に波と風のことを考えるような日々を過ごしました。

しかし、そんな生活をしていた35歳のタイミングで、研究所のディレクターからイタリアに行ってこいという話をされたんです。国の制度を使って1年間在来研究員として、ローマにある原子物理学研究所に行けという話だったのですが、実は直前に研究方針について激しく衝突してしまったこともあり、左遷のような状況でした。

そんな背景ではありましたが、実際にイタリアに住んでみると、まるで天国のようないい所でしたね。ワインもチーズも腰を抜かすほど美味しく、3ヶ月もすれば言葉も分かるようになりました。研究所は標高の高い山の上にあり、そこからはローマ市街を見渡せたのですが、ルネサンス期の作品が今も残り続ける町並みを見ていると、自分も100年くらい残るものに携わりたいなと考えるようになっていったんです。小さなことをせこせこやっても仕方が無いなと。

また、現地を起点にバックパッカーでヨーロッパを回っていると、スペインのバーで出会ったおじさんから、「お前ら日本人は、何もしない時間が人生ですごく大事なんだと知っているか?」という話をされたんです。日本人は工場の中で生まれ、工場の学校に通い、工場で死ぬ、と。その話にえらいショックを受けてからは、ライフスタイルも大きく変わっていきました。朝は早く起きるものの、夕方18時以降は仕事をしなくなったんです。自分の中で大きな変化が起きた1年となりました。

そこで、家に帰ってからはお気に入りだったキャンティ・クラシコという銘柄のワインを机に並べて、開封後何分が一番美味しいかという実験をしていたのですが、ある時飲み比べをしていると、ふとあるひらめきが生まれました。ちょうど、スタンフォード大学から懸賞金のかかった問題が出ていたのですが、その計算式をひらめいたんです。

実際に、その論文を提出してみると、大学の目に止まり、日本に帰国した後、37歳からの5年間は日本とスタンフォードを行き来するような日々を過ごしました。懸賞金のかかっていた問題の実験についても無事上手く行き、ナノメートルの電子ビームを測定することに成功したモニターは、名前を取って『新竹モニター』と呼ばれるようになり、海外の物理学の賞をいただくこともできました。

違和感から始まった15年のプロジェクト


ところが、スタンフォードで研究を行っていくと、あるテーマについて、学長でありノーベル物理学賞を受賞したバートン・リヒター氏と意見が食い違い、喧嘩をしてしまったんです。スタンフォードで行われていたプロジェクトが、自分のフィーリング的に前向きに思えず、学長のお膝元にも関わらずそのプロジェクトに批判的な論文を書いたことで、ひどく怒られることになってしまいました。

食い違っていたのは、加速器を作る際の周波数の議論で、スタンフォードではX-bandという技術を支持していたのに対し、私はC-bandという技術を支持していました。どちらも実用化できるレベルに至っていなかったのですが、方向性は一向に合わず、ついに私はスタンフォードを後にすることになりました。

個人的に、フィーリングで納得できないため、考えは曲げられないという思いがありました。教科書ではなく、実際の体験をもとに五感で学んで来たからこそ、例えば、臭いを嗅いで「これは壊れる」と分かることもありました。そして、それは五感であって数式ではないため、人と分ち合うことが難しい部分でもあったんです。そのため、自分で証明するほうに力を割こうと決めました。

そこで、日本で有志のC-bandのプロジェクトを立ち上げてからは、5人の仲間と5年間かけて技術を研磨していきました。自らの考えを成果で示すためにも、とにかくむちゃくちゃに働きましたね。

しかし、そんな思いを抱えて臨んだ、どの技術を採用するか決める国際評議会では、スタンフォードのXでも日本のCでもなく、ヨーロッパの第三案になってしまう結果に。ずっと努力を注いで来た分、居場所が無いような感覚でした。

それでも、その後、兵庫にある理化学研究所から、「君のC-bandでX線レーザーを作るプロジェクトに取り組みたい」という声をいただき、環境を変えて研究を続けることができました。

すると、研究開始から15年したタイミングで、やっとC-band加速器技術を用いたX線自由電子レーザー(SACLA)の開発に成功することができたんです。長い間続けた努力で技術が実用化し、物理学において多岐にわたる技術革新をもたらすことができました。

それまでの努力が報われたような感覚があり、ようやく一区切りがついたような気がしました。やれやれ、と大きな荷物を降ろすような感覚でしたね。

原子力に替わるエネルギーという、新しいテーマ


しかし、そのプロジェクトを終えると、再び組織内で意見が食い違ってしまい、別の機関に移ることに決めました。随分時間も経っていたので、スタンフォードに教授として戻ろうと考え、現地で電子顕微鏡について研究をしようと考えていました。

ところが、もう移住先の家も決めた後に、新しく設立される沖縄科学技術大学院大学(OIST)の学長から強い誘いをいただき、何度も誘われ続けた結果、沖縄で同様の研究に取り組むことに決めました。

そして、2011年9月にOISTに赴任してからは、震災後の課題感もあり、何か新しい研究をしたいと考えるようになりました。すると、イギリスで行われたある記念講演会で、以前すれ違ってしまったスタンフォードのバートン・リヒター氏と再会する機会がありました。

以前は異なる意見だったものの、実用化に成功したC-bandについて“Congratulations!”と声をかけていただき、プロジェクトの成功を祝っていただきました。さらに、続けて、“You have to do something important.”とも言われたんです。「お前は世界規模で世に残る研究をしろ、その責任がある」と。そして、彼がエネルギーに携わる研究者だったこともあり、原子力に替わるようなものを作れという話をされました。非常に権威のある立場の方からの言葉だったので重みがありましたね。

また、一つだけ、「海には行くな」というアドバイスもいただきました。海上には波や風に加え、塩害もあり電力設備を作るのが難しいと。しかし、その言葉をいただいてから、私は海で電力を生む方法を考えるようになりました。その道の権威が「これをやるな」と言う場合、かえってチャンスがあるという確信があったんです。

とはいえ、安全なものにしなければ行けないという条件もあるため、どうしたものかと考えながら帰路につくと、イギリスから日本に帰るのにはアムステルダムを経由したのですが、飛行機からは風車が見えました。「それにしてもすごい数だな」とか、「わりと故障しているな」だとかを考えながらぼんやりと見ているうちに、「あの風車を海の中に立てられないか」と思い始めたんです。

最初は飛行機でワインを飲みながらぼんやりと考え始めたのですが、すぐにスケッチを描いて数式に落としていき、日本に着く頃には計算が終わっていました。そして、いけるという手応えを感じたんです。

100年先の社会を支える仕組みを


日本に帰って準備を始めると、わずか4ヶ月で現物での実験開始に至ることができました。元々、中学3年生で父が開いた古民家のドライブインに電気を供給するために風力発電機を作ったことがあり、自分の中でも知見のある分野でした。

ただ、中学生の時の感覚では、台風が来ると壊れてしまうし、供給できる電気も弱々しいため、これでは役に立たないと思いがありました。すると、その後90年代にヨーロッパのベンチャーが同様の技術で実用化を成功させて特許を持っていき、非常に後悔したことがあったんです。そのため、すぐに実用的にならないとしても、いずれ必要になった時に提供ができるよう、技術を磨き特許を取ることも考えています。

現在、大きな風車を海底に沈めて、潮の流れで発電を行う海流発電(潮流発電)に対して世論は否定的で、間違っていると言われることもあります。しかし、中学校から取り組んだ風車の技術に加え、大学時代は同じ技術で人の命を運ぶグライダーの整備にも携わり、装置が海中で浮いている仕組みにはウィンドサーフィンの板の作り方を転用しています。風車のプロペラに、加速器で扱った発電機に、ウィンドサーフィンの板のような浮きの仕組みと、この研究は自分の経験の積み重ねのようなものなんです。

現在、二酸化炭素の排出量はものすごいスピードで増え、地球温暖化の問題は全く無くなっていません。集中豪雨や異常寒波で食料生産が危うくなることも予想され、他国では二酸化炭素の排出を防ぐため、化石燃料の代替として原子力に力を入れているケースもあります。

しかし、日本では震災の影響もあり、原子力の以外の自然エネルギーが求められている。だからこそ、日本が資源として持つ海からエネルギーを賄う仕組みを作らなければと考えているんです。良く原理を考えて、五感を使って、私たちが捨て石になることで、後で使える技術を残すことができればと考えています。

私が研究に取り組むのは、目の前で誰かが「おおっ!」と感動して喜んでくれることが原動力になっています。そして、その「おおっ!」という感動を続けていくと、100年後の社会の利益に繋がっていくという思いがあるんです。

現在、海流発電のプロペラを小型にして、多数海岸に並べ波の水流で発電する波力発電も併せて研究しています。100年後、ある海岸を歩く子どもが、波力発電のプロペラを見て、並んで歩くじいさんと話をするんです。「あれは何?かもめ?」「あれは沖縄の人が作った発電機なんだよ」「すごい、かわいいね、役に立っているんだね」と。そんな会話が交わされるような社会を作りたいと思います。

2015.08.31

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