人工乳房を通じて、人の心に寄り添う。「こんな私でも、誰かの役に」が原動力。
島根県大田市大森町で、人工乳房「ビビファイ」等の医療用具の製造・販売を行う中村ブレイスで働く福井さん。小さい頃から人の役に立ちたいと考えていた中で出会った「義肢装具士」という仕事に憧れ、ずっと働きたいと考えていた会社に務めるも、突然の異動。全く新しい環境で悩みながらも、見いだしたやりがい、そして新たな挑戦にかける思いとは?お話を伺いました。
福井 若菜
ふくい わかな|人工乳房等の医療用具の製造・販売
医療用具の製造・販売を行う中村ブレイス株式会社にて、人工乳房「ビビファイ」の製造・販売等に従事している。
※本チャンネルは、TBSテレビ「夢の扉+」の協力でお届けしました。
TBSテレビ「夢の扉+」で、中村ブレイスの活動に密着したドキュメンタリーが、
2015年8月2日(日)18時30分から放送されます。
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「義肢装具士」との出会い
私は島根県邑智郡川本町で生まれました。小さい頃からあまり自分に自信がない一方で、人の役に立ちたいというぼんやりとした思いを抱いて育ちました。
中学3年生のある時、近隣の町に拠点を置く中村ブレイスという医療用具の製造・販売を行う会社をモデルにした映画が上映されるということで、学校の行事として上映会に参加したことがありました。その映画は「アイ・ラヴ・ピース」という、アフガニスタンで地雷を踏んで足を無くした子どもに向けて義足を作る義肢装具士の映画で、実際に義足やコルセット等を作っている中村ブレイスが協力したものでした。
その映画を見て初めて義肢装具士という職業を知ったのですが、「こんな仕事があるんだ、すごいなぁ」と、とても感動しました。人のためになりたいという思いを表したような仕事で、少しずつ関心を抱くようになったんです。
その後、高校に進学すると、同じく人の役に立ちたいという思いから、先生に薦められた看護師なども考えたのですが、個人的に中村ブレイスに会社見学をさせてもらったことで、ここで働きたいという思いはより一層強くなっていきました。元々、職業自体がマイナーだったこともあり、親が心配して一緒に会社を見学させてもらったのですが、業界では名が通っていることや、地元で家の近くにあること、そして働いている人の明るい雰囲気に惹かれていったんです。
高校卒業後は必要な資格を取得するため、兵庫県三田市にある医療福祉の専門学校に進学を決めました。
中村ブレイスへ胸を張っての入社
専門学校に通い始めてからは、思った以上に忙しい生活を送ることになりました。毎日が勉強の日々でしたが、内容に難しさを感じる面はありながらも、それを嫌に感じることはありませんでしたね。
実習を通じて仕事の内容を掴むようになってからは、苦手だったコミュニケーションに慣れていこうと、個人的な努力を始めました。専門学校ということもあり、様々な年齢の学生がいたため、なるべく人と話そうと心がけて過ごしていました。
その学校は3年制だったのですが、3年目の臨床実習では、中村ブレイスで実習を受け入れてもらいました。地元を離れた生活を経験しても尚、育った場所で働きたいという思いは強かったですね。義肢装具士の業界では企業規模も大きく、胸を張って働きたいと言える会社でした。また、その実習中に中村社長から「うちで働きますか?」と言ってもらえたこともあり、社交辞令だったのかもしれませんが、就職活動を迎えると迷わず中村ブレイスを受けることに決め、内定をいただくことができたんです。ずっと働きたいと考えていたからこそ、希望が叶って嬉しかったですね。
実際に働き始めてからは、ひたすら勉強の日々でした。実習とは違い、患者さんの症例も多種多様なため、慣れるまでに時間がかかりましたね。
突然の部署異動と、新しい環境へのとまどい
そんな矢先、入社して1年目の1月にメディカルアート研究所という別の部門に異動することになったんです。自ら手を上げた訳ではなく社長が決めた異動だったこともあり、正直、話を聞いた時はとまどいました。というのも、その部門は「ビビファイ」というオーダーメイドの人工乳房を中心に、アートのように人体に模した医療用具を提供する部署で、義肢装具士の資格とは別の仕事だったんです。
実際に仕事に携わってみても、作っているものだけでなく、お客様との関わり方も全く違うことに気づきました。義肢・装具の場合は医師の処方の元製作しますが、人工乳房の場合はお客様との直接のやり取りになります。中には胸が無くなったことで心に傷を負い、沈んでいる方もいらっしゃいました。それまで以上にお客様との接し方を考えなければ、という気持ちになったんです。
具体的には、乳がん等の治療で乳房を切除した方が、薄着になった際に胸の形が左右対称でないことや、温泉など衣服で隠せない状況、子どもならではの純粋さで、「何故こちらは胸が無いの?」という声に悩んだりする方もいらっしゃいました。
自社の製品には既製品もありますが、よりリアルなものをと思われる方には、実際にもう片方の胸の型取りを行い、シリコーンで再現し、色付け等、見え方を調整する作業を行います。
特に、異動したては知識も足りていないため、最初はどう接するべきか悩むこともありました。それでも、一緒に働いていた先輩方の、お客様に寄り添って少しでも良いものを届けよう、少しでも喜んでもらおうといった姿勢を見て、尊敬すると同時に、私自身そういう風になりたいと考えて取り組むようになっていきました。
こんな自分でも、人工乳房で少しでも人の役に立ちたい
お客様は遠方から来ていただく方も多く、納品後しばらく経ってから確認のご連絡を差し上げるのですが、使用したことで喜んでいただいていることが分かる時は、本当にやりがいを感じます。中には、人工乳房を作ってから街に出られるようになったという声をいただくこともあり、その人の生活に必要とされるものを提供できていることに喜びを感じます。
また、お客様との対話を行う中で、下着着用時と温泉等での利用する時の両方に適応できるものがあればという声をいただいたこともあり、新しく、両方のシーンで活用できる人工乳房の研究開発を、同じチームの先輩方と取り組むことになりました。今までの当たり前を取っ払って、シリコーン自体の種類を変えて作り方も変えてと、手探りの作業でしたが、いただいた声に答えられるようにと試行錯誤を続けました。そして、現在はモニターの方にご利用いただく段階まで進み、実際に利用していただいての検証を進めています。
正直、最初はとまどいもありましたが、今はこの仕事に関われてよかったなと心から思いますし、すごくやりがいのある素晴らしい環境を与えてもらったことに感謝しています。だからこそ、新しい製品をたくさんの人に使っていただけるよう、改良していきたいという思いがあります。中村ブレイスでは25年前から人工乳房を提供していますが、これまでもそうだったように、お客様の声に寄り添って、その時代に合わせたものを作っていきたいですね。
私は自分が何も出来ない人間だと思うからこそ、少しでも人のためになればという思いを強く感じています。人と接するのが苦手で、隠れて隠れて生きて来たからこそ、こんな自分でもできることがあり、少しでも喜んでくれる人がいるというということが一番の原動力ですね。
2015.07.27