アイディアの力で現実の景色を変えていきたい。「努力しないための努力」を貫く生き方。

広告会社に勤務し、世の中に様々な現象を生み出す三浦さん。人とは違った企画やアイディアを作るベースには、「努力せず、人とは違う方法で一番を目指していた」という、幼い頃からの性格が影響しているようです。そんな三浦さんのこれまでの歩みを伺いました。

三浦 崇宏

みうら たかひろ|面白い方法で社会を良くする
TBWA\HAKUHODOにて、アソシエイトクリエイティブディレクター兼PRスペシャリストとして働く。

2017年3月19日another life. Sunday Morning Cafe 登壇!

努力は嫌い、それでも一番にこだわりたかった


ぼくは東京の渋谷で生まれました。小さい頃から本を読むのが好きで、将来は小説家になりたいと思っていました。ものを書くことが好きで作文は得意、小学生の時には合唱曲の歌詞を書いてNHKのコンテストで入賞したことがありました。ただ、「こう書けば、大人は小学生の純粋な感情だと思うだろうな」と計算して書くような戦略的な子どもだったんです。

また、負けず嫌いで、一番にこだわる性格でした。しかし、そのために努力をするのは嫌いだったので、常に「どうしたら努力せずに一番になれるか」と考えていました。 その考え方は、中学から始めた柔道でも活かされていました。柔道では、相手の技にいかに反応できるかが勝負の分れ目になります。そこで、練習では強い相手に強い技をかけられて。身体や目を慣らしていくんですね。

ただ、ぼくの通っていた学校は進学校で、体育会の強い大学とのネットワークもなく、強い相手と稽古するのは現実的に難しいし、そもそも長時間の練習や筋トレや走り込みなど、いわゆる地道な努力はできる限り避けたいと思っていました。そこで、ぼくはレスリングや総合格闘技の道場に通うことにしたんです。相手は、普段から稽古している柔道の技でなく、見慣れない動きから技を仕掛けられたら反応できないと考えたんです。 実際、その戦略は功を奏し、見事に結果を出せるようになり、全国大会に出場するほどの結果を出せるようになりました。

みんなで成し遂げるから、おもしろい


柔道にのめり込んでいくと、次第に小説家になりたいという思いは薄れていきました。みんなでひとつのことを達成する方が好きだったので、ひとりで黙々と執筆するのは性に合っていなかったこともありましたね。

柔道でも、個人戦よりも団体戦に力を入れていました。そして、戦略的に団体メンバーを選び、いつも全国大会に進むような強豪校に勝てた時はたまらなく嬉しかったですね。また、みんなで企画していく文化祭も大好きでした。そして、高校では柔道部主将を務めつつ生徒会長にもなりました。そのときは文化祭の、1年に2回行うという異例の事態にも成功したんです。

そんな高校生活を送り、大学受験の時期を迎えました。ここでも「努力嫌い」の性格が発揮され、英語の受験を回避するため、外国語はフランス語の試験を受けることにしたんです。何年も英語を勉強してきた人には努力しなければ勝てないけど、他の言語だったらそこまで頑張らなくても大丈夫だろうと。実際、フランス語にして良かったと思いましたね。

そうやって入学した大学ですが、学校には毎日行くものの授業にはほとんど出ずに、イベントのチケットを売りさばく毎日でした。ぼく自身は映像を作ったり、DJとして音楽を流すことはできないのですが、仲間と一緒にイベントを企画するのが好きだったんです。

そして、将来は面白いやりかたで世の中を良くできる仕事をしたいと考え、広告会社で働きたいと考えるようになりました。テレビ局も候補ではあったのですが、広告会社の方が、より多くの人と関わりながらひとつのものを作れると感じていたんです。最終的にはご縁のあった博報堂に入社することにしました。

思うように仕事ができず腐りかけた社会人のスタート


ただ、入社後は思うようにはいきませんでした。元々メディア事業を希望していたのですが、配属されたのは企画部門の中の、マーケティングの部署。また、上司は若手育成に責任を持つ人で、「努力やマナーが大事」と話す様な人。最初から怒られてばかりだし、よく反発していました。

そして、ある日ついに「ぼくは褒められて伸びるタイプなんで!」と、言ってしまったんです。それも、自分が遅刻して怒られている時の「逆ギレ」でした。

すると、その日からやはり、上司とのコミュニュケーションがギクシャクし、ほとんど会話がなくなりました。朝出社してから夜会社を出るまで、ずっとボーっとしてました。そんな状況なので、会社に行っても、大げさじゃなく仕事が無いんですよね。ゼロです。そのため、会社外での活動ばかりに精を出すようになっていきました。

それでも会社を辞めようとは思いませんでしたね。大学時代の経験を活かせば、小さなイベント会社や企画会社は作れたと思います。ただ、ぼくがやりたかったのは、社会やそこで生きる人々に大きなインパクトを与えることだったので、それをするには今の環境がベストだったんです。いつか広告の仕事ができるようにと、虎視眈々とチャンスを伺っていましたね。

そんな生活を1年ほど続けたある時、同期が大きな企業のキャンペーンを企画したという話を聞きました。それが悔しくてしょうがなかったし、その瞬間自分がやりたいのはやっぱり広告だと痛感したんです。

そこで、「広告の仕事がしたいです」と、上司に土下座するくらいの勢いで頼み込みました。泣いてた気がします。『スラムダンク』の三井ばりの必死さでしたよ。 それからは、広告の仕事をさせてもらえるようになりました。

上司も、ぼくの動きを見つつも、「褒めるところが見つからない」と、コミュニケーションの取り方が分からずに悩んでいたそうです。それでも、広告の仕事をしたいと素直に頭をさげてきた時にはチャンスを与えようと考えていてくれていたんです。

課題を解決するためなら手段は選ばない


その後、初めて携わったのは、飲料メーカーでの仕事でした。ある商品ブランドが不調なので、どうにか立て直したいという相談でした。そこで、ぼくたちのチームは思い切って、同じブランドを持ち直すのは厳しいので、別ブランド商品を立ち上げることを提案したんです。そして、その企画はうまくいき、新しい飲料ブランドとして認知を広げることができました。

ぼくが所属していたマーケティングの部署では、「どんなCMを打つか」「どんなコピーを書くか」というよりも、もう少し広い視点で、「ユーザーに、どんな切り口でメッセージを届けるか」「そのためにはどんな媒体やイベントを行うか」といったコミュニケーション全体の戦略を提案していたんです。 その後も、PRの部署に移動したり、外資系との合弁企業である「TBWA\HAKUHODO」に出向になりましたが、面白いアイディアでクライアントの課題解決に貢献するという仕事の軸は変わりませんでした。

その中でも『土』のPRを手掛けた仕事が印象的でした。プロトリーフさんという園芸用の良質な土を販売する企業から、東日本大震災後の原発事故による風評被害で販売が落ち込んでいたので、土の安全性をアピールしたいと相談を受けました。ただ、予算はそこまでないのでテレビCM等は作れないし、かといって「この土は安全です」と発信しても、メディアはなかなか報道してくれません。

そこで、土を食べる企画を考えました。プロトリーフの良質な土を料理に活用してフレンチに仕立てる「土のフルコース」をつくり、メディア関係者に食べてもらったんです。口で説明するよりも、食べてしまえばその安全性は一目瞭然ですから。

すると、そのプロジェクトは瞬く間に広がり、日本だけでなく世界中で注目され、実際に土の売上にも大きく貢献することができたんです。

また、日産自動車さんと「究極のスマートバーベキューカー」というプロジェクトを手掛けました。これは、電気自動車をもっと多くの人々に興味を持ってもらいたいという日産さんの切実な課題から始まりました。ぼくは以前、環境系のマーケティングに携わったことがあったので、身にしみて感じていたのですが、「エコ」とか「環境保全」の切り口では、固すぎて若者には響かないんですよね。

そこで、若者に電気自動車をもっと楽しんでもらうために、若者の間で人気が高まっているうえに、市場も急激に伸びているバーベキューに注目しました。バーベキューをするのに最適な電気自動車を日産さんの技術力で開発し「電動式BBQグリル」「ワイヤレススピーカー」「生ゴミ処理機」などの機能を実装し、究極のスマートバーベキューカーの開発まで踏み込みました。

さらに、日本BBQ協会さんと一緒に、クラウドファンディングを使うことで多くのバーべキューファンや若者を巻き込んで、「セルフィー撮影用のドローン」や「超音波とアロマを活用した蚊バリア」などの最新機能も追加しました。その結果、SNSやテレビで取り上げられることで、狙い通り若者を中心に大きな話題になり、電気自動車のワクワクする可能性を多くの方に感じてもらえたと思います。

作品を作るのではなく、現象を創る


現在はTBWA\HAKUHODOで、PRの専門家としての仕事をしつつ、アソシエイトクリエイティブディレクターとしてクライアントや世間と向き合っています。 個人的な信条として、「作品を作るのではなく、現象を創るのが仕事」と掲げています。広告はクリエイターやプランナーの作品ではありません。現実、つまり世の中の常識や、生活者の態度を変えられなければ、どんなにキレイな作品を作っても、広告としては意味が無いと思っています。

広告業界はどんどん変革していて、仕事の内容も単純にテレビCMを作ればいいのではなく、クライアントの課題を解決するために最適な企画をすることが求められています。切り口を考えて、どう生活者に届けていくのかストーリーを組み立てなくてはいけません。また広告に対する生活者の反応を商品開発自体にフィードバックすることだってあります。この仕事はやはりクライアントの課題解決を通じて社会の課題を解決していけるのが楽しいですね。

ぼくは今の仕事が大好きで、企画やアイディアを考えるのにどんなに時間を使っていても、「努力」ではないんですよね。だから、もしかしたら睡眠時間を削って長い時間働いているかもしれないけど、一切努力してる感覚はありません。どんな飲み会よりも、みんなで企画を考えている時間が何より楽しいんです。大学の時も、授業には出なかったけど、イベントのチケット売るために、朝から夜までずっと学校にいましたからね。

根本には「社会を少しでも良くしたい」という気持ちがあって、それを少しでも楽しい方法でできればいいなと。自分自身もそうですが、チームメンバーやクライアント、生活者がワクワクするやり方で社会と関わっていきたいですね。

今は、日本に挑戦する人を増やしたいという気持ちがあって、個人的に広告やPRのスキルを活かしたスタートアップ支援に積極的に取り組んでいます。実際に個人的な縁でつながったスタートアップの方と、所属する会社を通じた仕事をご一緒したこともあります。今後はシード時期のPRから始まり、上場前後にはブランディング、事業が大きくなっていくタイミングでCMやプロモーションのお手伝い、そして、共同で事業開発など、ステージごとに一緒に進化していくような仕事をしていく機会を増やしていきたいですね。

また、個人的には「ライフイズコンテンツ」というのを座右の銘にしています、自らの人生がネタになるように生きています。失敗したら落ち込みますが、すぐに頭を切り替えて笑い話にしてしまうんです。子どもの頃、親の仕事が失敗して夜逃げしたりとか、色々と大変だったんですけど、そういうのも今では全部笑い話のネタとか、仕事のアイディアのタネになるので、むしろ感謝しかないですね。

これからも自分の人生が最高のコンテンツになるように、ワクワクするような現象を社会にどんどん起こしていきたいです。

2015.07.16

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