今日より明日、人が進化しているために。栄枯を経験しても変わらぬ思いで決めた挑戦。

クラウド上で簡単にマニュアルを作れるサービスを運営する鈴木さん。「絶対にコンピューターの時代が来る」と考え就職した企業で成長と衰退を見た中で、独立を決めた背景とは?「今日よりも明日、人が進化していくためのサービス」に込めた思いを伺いました。

鈴木 悟史

すずき さとし|クラウド型マニュアル作成ツール運営
クラウド型マニュアル作成ツール「Teachme biz」の運営等を行う株式会社スタディストの代表取締役を務める。

「絶対にコンピューターの時代が来る」


私は千葉県柏市に生まれ育ちました。学生時代のある時、実家を建て替えたことがあり、実際に図面が建物になっていく様子に面白さを感じていました。そこで、高校生になると、ぼんやりと建築に関心を抱くようになり、卒業後は明治大学の理工学部建築学科に進学しました。

しかし、建築設計を学びたいのに、授業では他のテーマが中心だったため、1・2年のうちはとにかく遊んでばかりで、学校にはあまり行きませんでしたね。

大学3年になり、ようやく建築設計の授業が始まると、やっと関心を持ち始め、ちょうど普及し始めた3D CADを扱うことが増え、コンピューターの可能性を感じはじめていました。建築の図面を作る際に、手書きだと面倒な点が多く、インクの乾きを待たなければならないなど、時間がかかってしまうんです。ところが、3DCADのツールを使えば無駄な作業がなく、時間も短縮できるため、次第にコンピューターが持つ道具としての可能性に興味を持つようになっていきました。

それからは、研究室の仲間と様々なデザインコンペに参加したりと、学問にも関心を強めていきました。建築では定期的にデザインコンペの募集があり、仲間が賞を取った悔しさから、没頭していくこともありました。

そんな学生生活を経て卒業を迎えると、建築学部の場合、建築設計に関わるには院卒が一般的だったため、そのまま大学院に進むことを決めました。また、引き続きコンペに出し続けたいという思いもありましたね。結局、大学院に進学してからは、アルバイトをして90万円もするMacBookを買い、それまで以上に没頭していきました。「手で書いている時代ではないし、絶対にコンピューターの時代が来るな」という感覚があったんです。

ところが、その後、1998年に就職活動を迎えると、建築業界の不況に加え、「3D CADで設計する建築は邪道」というような、3D CAD(コンピューターでの設計)に対してネガティブな雰囲気もありました。そこで、2社ほど受けた後に、他の業界に方向転換をすることに決めたんです。

すると、ある時、3D CADを用いて製造業の製品設計を3次元化するサービスやコンサルティングを提供していたベンチャー企業に出会いました。この会社では、私自身が図面の作成で感じた無駄の改善を、製造業各社に対して行っており、「これは面白い、絶対に今後来るな」という感覚がありました。元々、大手思考は無く、逆に競争の無い市場を選んでトップを目指すことを好んでいたため、ベンチャー企業ということにも抵抗はありませんでしたね。

エンジニアからコンサルタントへ


入社をしてからは、エンジニアとして、3DCADを用いた製造業のクライアント支援業務に携わるようになりました。新入社員であることに加え、元々コンピューターが好きだったこともあり、とにかくがむしゃらに仕事をしていましたね。最新鋭のコンピューターに触れながら、幅広い業務範囲に関わることができ、充実した生活でした。仕事は忙しかったものの、好きなことをやらせてもらっていることもあり、文句等はありませんでした。

その後、2年程するとエンジニアとして一定のスキルも身に付き、会社としても製造業の業務効率改善の人員が足りていなかったため、コンサルティングの部署に移ることになりました。それからは、大手メーカーのプロジェクトに入り、業務効率改善のために3次元化を考えて施策を考案するだけでなく、実際の投資対効果も算出して提案する部分も携わるようになり、非常に良い経験になりましたね。それまでに以上にロジカルに考えるようになっていき、「伝え方」についても勉強する日々でした。

特に、コンサルタントになってからはお客様の経営トップへのプレゼンテーションを行う機会が増えたため、決断に足るだけのロジックの構築、見せ方を考えて資料にまとめ上げるという日々を過ごしました。会社も成長・拡大を続け、有名な高層ビルにオフィスを構えるようにもなりました。

民事再生をキッカケに決めた独立


ところが、しばらくすると、リーマン・ショックが起きて、会社の業績もそれまでとは一転し、右肩下がりになっていったんです。私自身はパートナー職に就き、幹部側にいたので内情を見て来たこともあり、「このままではまずいな」という感覚を抱くようになりました。

そして、2009年、ついに会社は民事再生法の適用を申請することになりました。良い時も悪い時も両方見たことで、業績が悪くなっていく中で「会社ってこうなっていくんだな」と、非常に学びが多かったですね。当たり前のことなのですが、売上と費用があり、差分の利益から給与が生まれる。そのバランスについては非常に学ぶ点が多かったですし、不要に利益を生まない固定費を上げることは「悪」だと考えるようにもなりました。

ただ、一方で「自分たちが取り組んで来たこと自体は悪いことではない」という感覚も明確にありました。特に、「業務の効率化を通じて、仕事における無駄な時間を無くし、より豊かなことに時間を使うことは、良いことである」という気持ちは変わらなかったんです。そして、それによって知的活力がみなぎる社会をつくりたいという思いも変わらずにありました。

そこで、民事再生法の適用の申請が発表された夜、オフィスを出て東京駅まで歩き、それまでプロジェクトに一緒に取り組んでいた仲間と話をして、一緒に独立して会社を立ち上げようと決めたんです。建築業界をやめてベンチャー企業を選んだ時のように、「次のステップに行くときがきたかな」という気持ちもありましたし、民事再生を機に気持ちを固めることができました。

それまでのように限られた大企業だけが使うソリューションでなく、中小企業でも使えるようなサービスを作ろうと決めていました。仕事の効率を良くして無駄なコストを抑えたいと考えているのは大手企業だけではありませんし、プリンタの設定で1日が終わってしまったり、毎年起こる新入社員受け入れの準備を深夜までしていたりと、身近な所でも課題を感じる場面があったんです。

日々の業務を効率化することで、空いた時間を新しいことへのチャレンジに向けることで、人の人生も豊かになるし、社会も良くなるような確信がありました。そして、企業において必ず発生する「手順」や「方法」を伝達するということを、より簡単にするサービスを作ろうと決め、株式会社スタディストを立ち上げました。

新卒入社の会社を37歳のタイミングで退職しての挑戦でしたが、いざとなればどこか他の会社で働けるだろうという感覚もあったので、不安はありませんでしたね。

人の進化のための仕組みを世界中に


ところが、創業して6ヶ月ほど、仕事が無い期間が続いたんです。自社サービスの構想検討を行いながらも、「これはやばいな」という感覚でしたね。そうこうしているうちに、次第にコンサルの仕事が入り始め、なんとか収益が上がり始めるようになりました。そこからは、段々とメンバーも増やしていき、元々想定していたサービスの開発に力を割いていきました。

そして、2013年9月、クラウド型マニュアル作成ツール「Teachme Biz」をリリースしました。前職でも嫌というほどマニュアル作りには苦労していたので、「マニュアル」をテーマにしたサービスは、必ずマーケットがあるだろうなと思って投入したサービスでした。

私たちは毎日他の生き物の命を食べて生きているのだから、今日より明日進化していないのは失礼だと思うんです。プライベートでぼーっと考え事をする時間を取ることは私自身も多いですが、仕事においては、「前回と同じ場面」で時間をとってしまうのは、進化していない状況です。だからこそ、手順や方法を知ることはなるべく効率化し、よりクリエイティブなことに挑戦する余裕を作り出すことができるツールとなれば、という考えでのスタートでした。

現在、リリース後2年弱が経過し300社近くのお客様に有償でサービスをご利用いただき、ようやく事業になってきたなという感覚があります。スマホ・タブレットアプリはもちろん、パソコンのブラウザでも簡単にマニュアル作成ができるため、業種を問わずに利用していただいており、想定していたよりも大手企業でのニーズが大きいことに驚きもありました。

今後は海外への展開に加え、単なる「マニュアルツール」ではなく、利用場面を拡張するような提案をしていきたいですね。「マニュアル」というのはそもそも世界共通のドキュメントの種類です。しかしながら、全世界で利用されているMicrosoft Officeにも、Google Driveにも「マニュアル専用のツール」は無いんです。ユーザーからのフィードバックに応えながらも、どうやって世界に届けるかはこれから意識していきたいです。

また、個人的には、私が30歳の時、父親が59歳で心筋梗塞他界しました。私がその年齢を迎えるまで、あと17年となりました。春夏秋冬を迎えられるのはそれぞれ17回しかないと考えると、すごく短いなという感覚ですが、それまでは今の事業を本気で続けたいですね。

父が亡くなった時に、自分たちが生き物であることを再認識しましたし、当たり前ですが、「死ぬときは死ぬんだな」と感じたんです。だからこそ、59歳以降のことはあまり考えていません。そう考えて全力で生きる方が、人生の密度が高いかもしれないんじゃないかな、と考えています。

2015.06.24

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